Mon 170807 ハバナの海を眺めにいく/ビジネスチャンス(キューバ&メキシコ探険記37) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 170807 ハバナの海を眺めにいく/ビジネスチャンス(キューバ&メキシコ探険記37)

 1週間にも満たないハバナ滞在であったが、オビスポ通りをぶらつく日々を満喫しているうちに、ついうっかりカリブ海のビーチを見逃して帰るところだった。「ラム酒は浴びるほど飲みましたが、カリブ海は見ませんでした」じゃ、きっといろんな気難しい人に叱られる。

 もっとも、話が「カリブ海」ということなら、この旅の序盤のメキシコ・カンクンでたっぷり目撃してきたのである。アクアマリンの水があんまりキレイだったので、カンクン以外の場所で海を見て、ガッカリさせられるのがイヤだった。

 しかし諸君、キューバだってやっぱりカリブ海の国だ。カンクンのイスラ・ムヘーレスで余りの感激に危うく涙しそうになった今井君だ、ハバナの海でもう1度、感動の涙が溢れ出ないとも限らない。滞在5日目の午前11時、ワタクシはバスに乗りこんで、ハバナの東のビーチを目指した。
ビーチ1
(ハバナのビーチ風景 1)

 カリブ海沿岸諸国の地図を眺めてみるに、正確に言えばハバナで眺める海はカリブ海ではない。カリブ海に面しているのはキューバ南岸であって、北岸のハバナはメキシコ湾に向いている。

 フロリダは目と鼻の先、お船でどんぶらこ、フロリダ海峡を越えれば、すぐ先はマイアミビーチである。この位置関係じゃ、確かに1962年キューバ危機の深刻さも理解できる。いやはや、ホントに危なかった。

 もしホンモノのカリブ海を味わいたければ、だから改めてジャマイカあたりに旅をしなけりゃいけないんじゃまいか。ジャマイカの首都 ☞ キングストンに2週間も滞在したら、もう飽きるほどカリブ海を満喫できるんじゃまいか。

 ドミニカとかハイチでもいいですな。ドミニカの首都サント・ドミンゴを、次の旅のターゲットにするのもいい。「他に候補は?」となると、「ベネズエラのカラカス!!」であるが、今の政情を見るかぎり、カラカスとコロンビアのボゴタは、さすがの今井君もやっぱり食指が動かない。
パイナップル像
(ビーチの入口に、巨大パイナップルとココナッツの像を発見)

 ハバナには豪華客船も頻繁に入港しているが、港は大きく内陸部に切れ込んだ入江の中にある。入江の狭い入口を、3つの強固な要塞が守っていて、なかなか外敵が入り込めないようになっている。

 旧市街に近い入江の西側に「プンタ要塞」。入江の東側に「モロ要塞」。ちょっと奥まった所に「カバーニャ要塞」。まるで運河のように狭い入江の入口に、こんなにズラリと大砲を並べられたんじゃ、外敵クンたちだってたまったものではない。

 ハバナのビーチに行くには、まずプンタ要塞とモロ要塞を繋ぐ海底トンネルをくぐる。くぐった先には「第1ゲバラ邸宅」なんてのもある。「第1」があれば、当然「第2」も存在するわけで、革命の英雄 ☞ ゲバラどんもなかなか大した御仁なのである。

 バスの乗客は、「もうほとんど水着だけ」ないし「水着の上に軽くちょっと羽織っている」という人々がほとんど。「着いてからゆっくり着替える」というスタンスではなくて、「今日は一日ビーチで泳ぎます!!」とハッキリ態度で宣言している感じである。

 かく言う今井君の心には、泳ぐ準備は全く出来ていなくて、長袖のワイシャツに & 黒い長ズンボ。夏休みの小学生に付き添ってきた父兄みたいな出立ちであるが、まあいいじゃないか。「キューバの海を眺めながら、ゆっっくりメシでも食おう」。そういうオジサンが混じってもいいはずだ。
抜け道
(海岸に続く砂の道)

 バスに揺られること30分。ハバナでも指折りのビーチに到着。しかしバス停からは海のカケラも見えず、夏の浜辺の叢林が生い茂った向こう側から、海の気配が微かに伝わってくるだけである。

 この余りに閑散とした感じは、何なんだ? 叢林にちょっと切れ目があって、砂の細道が叢林の奥深くに続いている。バスから降りた人々は大きな声ではしゃぎながら、三々五々その砂の道をたどっていく。

 周囲には、土産物も飲食店もほとんどナシ。強い夏の風がヤシの樹々を大きく揺らしながら吹き抜け、砂粒だらけの風が吹きつけて、頬や腕が痛いぐらいである。

 こりゃ寂れすぎだ。寂れすぎている。砂の道に足をとられながら坂を登っていくと、坂のテッペンでいきなり視界が開けた。「おお、海だ」「海だ♡」「海だ♡」であるが、カンクンの海に感動した1週間後にこんな寂れた海岸を見れば、その寂寥感はヒトシオである。

 ワタクシが思い出したのは、8月中旬過ぎの秋田の海水浴場である。北の国☆秋田では、お盆を過ぎればもう水は冷たい。冷たい水にクラゲが浮かび、波も何だか機嫌が悪くて、それでも無理に海に入れば、離岸流にイジワルをされそうな気がする。

 この日のハバナの海にも、そういう不機嫌さを感じた。後で知ったのだが、ちょうどこの頃カリブ海から大きなハリケーンが接近中。ヤシの木がユサユサ大きく揺れていたのも、ビーチの人影がまばらだったのも、砂で茶色く濁った海に押し寄せる波に凶悪さを感じたのも、みんなハリケーンのせいだったのかもしれない。
カリブ海
(参考までに、メキシコ・カンクン ☞ イスラ・ムヘーレスの海)

 しかし諸君、やっぱりそうも言っていられないだろう。高級な別荘地も近いこの海岸に、めぼしい飲食店はたった1軒。その1軒については明日の記事で詳述するが、あとはジュースの屋台が1つあるだけで、ビーチには飲み物屋も食べ物屋も一切見当たらないのである。

 ここに、ビジネスチャンスを感じる人はいないだろうか。あんなに繁盛していたカンクンからは、ヒコーキで1時間足らず。マイアミビーチも目と鼻の先。なのにこんなに寂れているんじゃ、熱意と誠実ささえあれば、シロートがビジネスを始めても、好機はたっぷりありそうだ。

 ビーチの周辺には、観光資源も少なくない。「コヒマル」という漁村があって、村はヘミングウェイ「老人と海」の舞台となったところ。彼は「ヒラール号」と名づけた船で、連日コヒマルから海に乗り出した。

 コヒマルには「ヘミングウェイカップ」という有名なフィッシング大会があり、何とフィデル・カストロどんも優勝したことがあるんだそうな。議長も、なかなかやりますな。

 1928年、ヘミングウェイのおじさんは、初めてキューバを訪れた。パリ不戦条約の年である。この年、ミッキーマウスが登場。ロンドンでテムズ川が氾濫、14人死亡。ソ連ではトロツキー逮捕。ネブラスカ州で世界だ最大の雹が降る。うーん、何だか物騒だ。

 日本は昭和3年。早稲田大学演劇博物館ができる、日本航空が生まれ、「赤旗」が創刊、「特高警察」設立。京都・平安神宮の鳥居が完成。ラジオ体操始まる。うーん、そういう年である。
ビーチ2
(ハバナのビーチ風景 2)

 ヘミングウェイはすでに「誰がために鐘は鳴る」でベストセラー作家。あんまり印税がガッポリ入ったので、そのオカネでここに邸宅を購入、キューバの海を満喫しながら、海をテーマとした作品を書きまくった。

 というわけで、かつてヘミングウェイが大活躍した邸宅は、今では「Museo Ernest Hemingway」となり、何しろ博物館だから、彼が「老人と海」を書いた部屋、その時のタイプライター、蔵書約8000冊、そんなのがみんな当時のままに保存されているんだそうな。

 こういうふうで、この海岸に観光資源は豊富である。放置しておく手はないから、きっと欧米や中国の人々が虎視眈々とビジネスチャンスを狙っている。日本の若者諸君、指をくわえて眺めているだけで委員会?

 すでにハバナには、欧米のエアラインが続々と運航を始めている。エールフランスもパリから直行便を出している。KLMもアムステルダムから飛んでいる。

 アメリカからも、各地からビュンビュン飛びはじめている。ハバナの空港でチラッと見ただけで、アトランタから、ニューヨークから、ヒューストンから、直行便が飛んでいる、

 いちいちカナダやメキシコを経由していた時代は、もうすっかり過去になったのだ。諸君、まさに今こそチャンスじゃないか。

1E(Cd) Christopher Cross:EVERY TURN OF THE WORLD
2E(Cd) Bobby Caldwell:AUGUST MOON
3E(Cd) Bobby Caldwell:CARRY ON
4E(Cd) Bobby Caldwell:COME RAIN OR COME SHINE
5E(Cd) Bobby Caldwell:BLUE CONDITION
total m35 y1521 d21470