Thu 170803 帰国報告その2 昨日、オスロから帰国しました(晩夏フィヨルド紀行2)
「北欧」というと、日本のマスコミでは何でもかんでも「すごい」「素晴らしい」「天国みたいな高福祉社会」と、ほぼ手放しの絶讃が始まる。「北欧への批判や疑問はまかりならん」。そういう勢いである。
しかしホントにそうなのか。旅の後半はオスロに滞在して、北欧の街がどのぐらい「すごい」のか、ごく短期間ではあるが、実感してみることにした。
何と言っても「すごい」の対象は、物価の高さである。もともとエラく高い商品に、「これでもか?」というぐらい消費税がノッケ盛り。スーパーで買うDORITOSでも、カフェで飲むビールでも、レストランで半強制的に飲まされるミネラルウォーターでも、日本の1.7倍のお値段だ。
こんなに商品が高くては、人々の生活も苦しくなる。労働意欲だってなかなか湧いてこないんじゃないか。路上生活者の多いこと、浴びるように酒を飲んで深夜の広場で騒いでいるヒトビトの多いことには驚かされる。
「貧富の差」も、マザマザと感じさせられる。高級レストランを埋め尽くす高級オジサマ&高級オバサマは、「見るからに高級」「高級感を無理矢理にでも絞り出す」という感覚。一方、路上生活の人々は手に手に紙コップを携えて、真剣な表情でミーティングに加わっている。
意外なことに、トイレもあんまり美しくない。もちろんワタクシが訪れたトイレが偶然そういうトイレばかりだったのかもしれないが、紙くずやら、本来そこに落ちているべきではないモノやらが散乱。散乱に気づいても、別に人々は気にする様子もない。
(ソグネフィヨルド、クルーズ船の風景)
お弁当が質素なのもスゴい。今井君が目撃したお弁当の中には、「ニンジンがまるまる1本、キウィがまるまる1個」というのもあった。学生風の人だったが、お弁当箱の中から生のニンジン1本をつまみ出して、カリポリかじり出す。
このままじゃ、キウィの皮も剥かずに丸かじりしそうで、思わず電車の中でワクワクしたが、マコトに残念なことに、キウィ丸かじりのシーンに行き着かないうちに、電車が終点にたどり着いてしまった。
マスコミの皆さんが描く北欧と現実の北欧との間には、どうも大きな乖離がありそうなのである。今井のいつもの旅のスタンダードは、2週間。今回はわずか9日で帰ってきたが、おサイフのいたみ方は、正直言って9日で2週間を超えるほどであった。
他の国はどうなんだろう。スウェーデン・フィンランド・デンマークを早く旅してみたいものだが、何しろあの物価だ。行ってみたくても、おサイフがいたみすぎて、今後もなかなか食指が動きそうにない。
(世界最大・最深、ソグネフィヨルド風景)
チップも、なかなか巧妙に設定されている。ガイドブックには「チップの習慣はありません」「特にサービスが素晴らしいと感じたら、気持ちばかりのチップを手渡せばいいでしょう」とか、そんな甘いことが書いているが、実際はギュッとチップの上乗せがある。
完璧クレジット社会であるから、クレジットカードを片手に会計を待っていると、「合計金額」のすぐ下に「TOTAL」の欄が空白で残されている。合計金額にチップを10%以上は上乗せして、それでやっとTOTALになる。
トイレなんか、クレジットカードでチップを徴収した後でなければ、決してドアが開かない。南欧みたいに、入口で待ち構える優しげなバーチャンや意地悪そうなオバサマに、コインでチップを手渡すような暢気な世界ではないのだ。
いくらだか分からんが、とにかくクレジットカードを突っ込んで、電子のオカネを徴収される。するとその瞬間、マコトにゲンキンに鍵がアンロックされ、さほど清潔でもないトイレへの入場が許可される。そういう仕組みである。
確かに今井君はこの9日、ノルウェーを心ゆくまで満喫して帰ってきたのであるが、日本のテレビ局や新聞社で働く人々や、いわゆる「識者」である人々が、消費税25%の北欧を何故あんなに手放しで絶讃するのか、そこんトコロがよく分からない。諸問題♨山積である点では、日本に勝るとも劣らない気がする。
④ 8月20日(日)
ベルゲンのホテルを早朝7時にチェックアウト。ホテルから徒歩1分の世界遺産「ブリッゲン」の町並みを散策する。「ローゼンクランツの塔」と「ホーコン王の城」も近い。
ベルゲンの港を大急ぎで半周して、ソグネ・フィヨルドのクルーズ船に乗船。ベルゲン8:00 → フロム 13:25。5時間半に及ぶクルーズであるが、ベルゲンの遠景に始まったクルーズは、前半は日本的な穏やかで優しい風景が続く。
豪快で峻厳な「いかにもフィヨルド」という絶景は、クルーズの後半から。北の果ての峻厳なイメージは、昨日のネーロイ・フィヨルドが圧倒的に勝る。この日は快晴。風は冷たかったが、後半3時間は甲板に出て、日光の暖かさを楽しみながら終点フロムを目指した。
到着地フロムも快晴。遥かな山頂の残雪から、海まで一気に無数の滝が流れ落ちる絶景は格別だ。滝の水が集まって透明&清冽な流れとなり、フィヨルドの海に流れ込む。深い小川の水は底まで緑のガラスのように透き通り、「白河の清きに魚の住みかねて」という風景だ。
「Toget Café」でピザ&ソーセージのランチ、さらに昨日と同じ「Ægir Bryggeri Pub」で地ビールを満喫。寒さの中で飲むブロンドビールが旨い。丸刈り&黒ひげ、今井君と相似形の男たちが目立つ。
フロム 16:05 → ミュルダール 17:03(フロム鉄道)
ミュルダール 17:54 → オスロ 22:35
8月の北欧は夜9時半過ぎになっても明るいが、列車がオスロ中央駅にたどり着いた10時半には、さすが白夜の街もすっかり夜になっていた。
以上、足掛け2日間、公共交通機関7つを乗り継ぐ激しいフィヨルド探訪は無事に終了。ホテルに帰還すると、とっくに23時を回っていた。
(オスロ近郊「Gol」の町に、1200年ごろ建てられた木造教会)
⑤ 8月21日(月)
オスロ港から、夏季限定のフェリーでビュグドイ地区へ。ノルウェー民族博物館をゆっくり見て回る。13世紀前半の木造教会。18世紀から19世紀にかけてのノルウェーの農家。そういう建物をたっぷりここに移築して、架空の村を1つ形成する。そういう形式の博物館である。
(19世紀ノルウェーの農村風景)
夕食は、3日前と同じEngebret Café(エンゲブレトカフェ)。ハーリング盛り合わせ。トナカイのステーキ。サンテミリオンの赤ワイン。すべておいしゅーございました。
特にニシンの酢漬け「ハーリング」は、噛めば噛むほど好きになる。秋田の「ハタハタ寿司」が、どんどん恋しくなる。
(鳥たちがのどかに草をつついていた)
⑥ 8月22日(火)
お昼少し前、ホテルから徒歩5分のノルウェー国立美術館に向かう。オスロに来たら、さすがにムンクを見ないと叱られる。
はるか昔、18歳の夏に、神田神保町でお小遣いをはたいてムンクの画集を購入した。「マドンナ」「病める子」「メランコリー」「思春期」「生命の踊り」「橋の上の少女たち」、もちろん「叫び」、あのころ画集で眺めた絵が、みんなこの国立美術館に所蔵されている。
(国立美術館にムンクを見に行く)
午後からトラム12番でヴィーゲラン公園へ、「おこりんぼう」の像を至近距離で目撃。おこりんぼう君、最近はムンク「叫び」と並んでオスロの人気者になっている。薔薇の美しい公園に、無数の人物像がひしめきあい、夏の終わりの風がマコトに爽快だった。
(おこりんぼうの像)
再びトラム12番でオスロ中央駅へ移動、地下鉄でオスロ港へ。夕食は港を見渡す高級レストラン「LOFOTEN」で。とりあえず「フィッシュスープ」、ノルウェーに来てから、まだお魚を食べていなかった。このまま日本に帰ったら、やっぱり叱られる。
(みんなで雨宿り)
メインに選んだのは、甲殻類軍団。3種類のカニと大海老、牡蠣とロブスター。無数のムールとシュリンプを、2段重ねのヤマモリにした豪快な一品だ。
ウェイトレスのオネーサマも「アナタがフルにハングリーであることをウィッシュします」と言って、思わず噴き出した。ビックリ系の料理であるらしい。
(名店「LOFOTEN」で、甲殻類&貝類の大軍団を制圧する)
⑦ 8月23日(水)
オスロ近郊Fredrikstad(フレデリック・スタッド)へ、日帰りの旅を敢行。函館・五稜郭と同じ形式の、星形☆城塞都市である。強国スウェーデンに近く、この形式の城塞で防衛態勢を固める必要があった。
(ノルウェーの五稜郭、フレデリック・スタッドで出会ったネコ)
オスロ中央駅 11:01 → Fredrikstad 12:09
Fredrikstad 15:44 → オスロ中央駅 16:52
往路の電車はそのままスウェーデン国内に乗り入れる。帰りの電車はスウェーデンからやってくる。近世&近代には、北欧の国どうしで攻めたり攻められたり、とても高福祉に専念できるような国際関係ではなかった。
新市街から、無料の赤い渡し船で北欧版☆五稜郭の島にわたる。所要3分。ランチは「ピザを食おう」と決めていたが、肝腎のピザ屋があんまり旨そうではない。
ピザはやめて、パン屋「Råde Bakeri & Konditori」のSoftisに切りかえる。ソフティスとは、要するに巨大ソフトクリームであるが、日本語を少し話せる女子店員の笑顔が嬉しかった。
(こんな渡し船で島に渡る。10分おきに運航、所要3分)
帰りの電車は超満員。席なんか1つも空いていない。さすがスウェーデンから来る電車である。立って1時間強、ようやくオスロへ帰還したが、考えてみれば、ヨーロッパの電車で「座れない」という体験は久しぶりだ。
夕食は昨日に続いて二度目のLofoten。昨日は途中でギブアップした甲殻類大盛りのビックリ料理に再挑戦した。
蟹・海老・ロブスターの甲殻類軍団を、ほぼ完全に制圧。牡蠣とムールの貝類隊も当然のように制圧。一番下に隠れていた無数の小エビ軍団は、戦わずして今井に降伏した。ただし勝利が確定するまで2時間、赤ワインがカンタンに1本カラになってしまった。
(旅の最終日、「いかにもムンク」な夕陽に出会う)
⑧ 8月24日(木)
最終日であるが、ホテルをチェックアウトする1時間半前、まだ「見残し」になっていたオスロ大聖堂へ。さらに名店Stortorvets Gjæstgiveri(ストールトルヴェッツ・イェストイヴェリ)で大急ぎのランチを試みる。もちろん、フィッシュスープ。12時ちょうど、グランドホテル・オスロをチェックアウトした。
オスロ中央駅12:30 → オスロ国際空港 13:00
オスロ 16:05 → フランクフルト18:10(NH6184)
フランクフルト20:45 → 羽田 25日14:55
⑨ 8月25日(金)
こうして諸君、凍るような晩夏のフィヨルドの真っただ中から、35℃の猛暑TOKYOに無事帰還した。最高気温17℃のオスロから帰国してみれば、最低気温27℃の熱帯夜。こりゃどうしても、銀座でカシミールカレーを味わってから帰らなきゃいかん。
1E(Cd) The Beatles:RUBBER SOUL
2E(Cd) The Beatles:REVOLVER
3E(Cd) The Beatles:PLEASE PLEASE ME
4E(Cd) LET’S GROOVE ①
5E(Cd) LET’S GROOVE ②
total m15 y1501 d21450
しかしホントにそうなのか。旅の後半はオスロに滞在して、北欧の街がどのぐらい「すごい」のか、ごく短期間ではあるが、実感してみることにした。
何と言っても「すごい」の対象は、物価の高さである。もともとエラく高い商品に、「これでもか?」というぐらい消費税がノッケ盛り。スーパーで買うDORITOSでも、カフェで飲むビールでも、レストランで半強制的に飲まされるミネラルウォーターでも、日本の1.7倍のお値段だ。
こんなに商品が高くては、人々の生活も苦しくなる。労働意欲だってなかなか湧いてこないんじゃないか。路上生活者の多いこと、浴びるように酒を飲んで深夜の広場で騒いでいるヒトビトの多いことには驚かされる。
「貧富の差」も、マザマザと感じさせられる。高級レストランを埋め尽くす高級オジサマ&高級オバサマは、「見るからに高級」「高級感を無理矢理にでも絞り出す」という感覚。一方、路上生活の人々は手に手に紙コップを携えて、真剣な表情でミーティングに加わっている。
意外なことに、トイレもあんまり美しくない。もちろんワタクシが訪れたトイレが偶然そういうトイレばかりだったのかもしれないが、紙くずやら、本来そこに落ちているべきではないモノやらが散乱。散乱に気づいても、別に人々は気にする様子もない。
(ソグネフィヨルド、クルーズ船の風景)
お弁当が質素なのもスゴい。今井君が目撃したお弁当の中には、「ニンジンがまるまる1本、キウィがまるまる1個」というのもあった。学生風の人だったが、お弁当箱の中から生のニンジン1本をつまみ出して、カリポリかじり出す。
このままじゃ、キウィの皮も剥かずに丸かじりしそうで、思わず電車の中でワクワクしたが、マコトに残念なことに、キウィ丸かじりのシーンに行き着かないうちに、電車が終点にたどり着いてしまった。
マスコミの皆さんが描く北欧と現実の北欧との間には、どうも大きな乖離がありそうなのである。今井のいつもの旅のスタンダードは、2週間。今回はわずか9日で帰ってきたが、おサイフのいたみ方は、正直言って9日で2週間を超えるほどであった。
他の国はどうなんだろう。スウェーデン・フィンランド・デンマークを早く旅してみたいものだが、何しろあの物価だ。行ってみたくても、おサイフがいたみすぎて、今後もなかなか食指が動きそうにない。
(世界最大・最深、ソグネフィヨルド風景)
チップも、なかなか巧妙に設定されている。ガイドブックには「チップの習慣はありません」「特にサービスが素晴らしいと感じたら、気持ちばかりのチップを手渡せばいいでしょう」とか、そんな甘いことが書いているが、実際はギュッとチップの上乗せがある。
完璧クレジット社会であるから、クレジットカードを片手に会計を待っていると、「合計金額」のすぐ下に「TOTAL」の欄が空白で残されている。合計金額にチップを10%以上は上乗せして、それでやっとTOTALになる。
トイレなんか、クレジットカードでチップを徴収した後でなければ、決してドアが開かない。南欧みたいに、入口で待ち構える優しげなバーチャンや意地悪そうなオバサマに、コインでチップを手渡すような暢気な世界ではないのだ。
いくらだか分からんが、とにかくクレジットカードを突っ込んで、電子のオカネを徴収される。するとその瞬間、マコトにゲンキンに鍵がアンロックされ、さほど清潔でもないトイレへの入場が許可される。そういう仕組みである。
確かに今井君はこの9日、ノルウェーを心ゆくまで満喫して帰ってきたのであるが、日本のテレビ局や新聞社で働く人々や、いわゆる「識者」である人々が、消費税25%の北欧を何故あんなに手放しで絶讃するのか、そこんトコロがよく分からない。諸問題♨山積である点では、日本に勝るとも劣らない気がする。
(ソグネフィヨルド、山頂の万年雪から、一気に海まで無数の滝が流れ落ちる)
④ 8月20日(日)
ベルゲンのホテルを早朝7時にチェックアウト。ホテルから徒歩1分の世界遺産「ブリッゲン」の町並みを散策する。「ローゼンクランツの塔」と「ホーコン王の城」も近い。
ベルゲンの港を大急ぎで半周して、ソグネ・フィヨルドのクルーズ船に乗船。ベルゲン8:00 → フロム 13:25。5時間半に及ぶクルーズであるが、ベルゲンの遠景に始まったクルーズは、前半は日本的な穏やかで優しい風景が続く。
豪快で峻厳な「いかにもフィヨルド」という絶景は、クルーズの後半から。北の果ての峻厳なイメージは、昨日のネーロイ・フィヨルドが圧倒的に勝る。この日は快晴。風は冷たかったが、後半3時間は甲板に出て、日光の暖かさを楽しみながら終点フロムを目指した。
到着地フロムも快晴。遥かな山頂の残雪から、海まで一気に無数の滝が流れ落ちる絶景は格別だ。滝の水が集まって透明&清冽な流れとなり、フィヨルドの海に流れ込む。深い小川の水は底まで緑のガラスのように透き通り、「白河の清きに魚の住みかねて」という風景だ。
「Toget Café」でピザ&ソーセージのランチ、さらに昨日と同じ「Ægir Bryggeri Pub」で地ビールを満喫。寒さの中で飲むブロンドビールが旨い。丸刈り&黒ひげ、今井君と相似形の男たちが目立つ。
フロム 16:05 → ミュルダール 17:03(フロム鉄道)
ミュルダール 17:54 → オスロ 22:35
8月の北欧は夜9時半過ぎになっても明るいが、列車がオスロ中央駅にたどり着いた10時半には、さすが白夜の街もすっかり夜になっていた。
以上、足掛け2日間、公共交通機関7つを乗り継ぐ激しいフィヨルド探訪は無事に終了。ホテルに帰還すると、とっくに23時を回っていた。
(オスロ近郊「Gol」の町に、1200年ごろ建てられた木造教会)
⑤ 8月21日(月)
オスロ港から、夏季限定のフェリーでビュグドイ地区へ。ノルウェー民族博物館をゆっくり見て回る。13世紀前半の木造教会。18世紀から19世紀にかけてのノルウェーの農家。そういう建物をたっぷりここに移築して、架空の村を1つ形成する。そういう形式の博物館である。
(19世紀ノルウェーの農村風景)
夕食は、3日前と同じEngebret Café(エンゲブレトカフェ)。ハーリング盛り合わせ。トナカイのステーキ。サンテミリオンの赤ワイン。すべておいしゅーございました。
特にニシンの酢漬け「ハーリング」は、噛めば噛むほど好きになる。秋田の「ハタハタ寿司」が、どんどん恋しくなる。
(鳥たちがのどかに草をつついていた)
⑥ 8月22日(火)
お昼少し前、ホテルから徒歩5分のノルウェー国立美術館に向かう。オスロに来たら、さすがにムンクを見ないと叱られる。
はるか昔、18歳の夏に、神田神保町でお小遣いをはたいてムンクの画集を購入した。「マドンナ」「病める子」「メランコリー」「思春期」「生命の踊り」「橋の上の少女たち」、もちろん「叫び」、あのころ画集で眺めた絵が、みんなこの国立美術館に所蔵されている。
(国立美術館にムンクを見に行く)
午後からトラム12番でヴィーゲラン公園へ、「おこりんぼう」の像を至近距離で目撃。おこりんぼう君、最近はムンク「叫び」と並んでオスロの人気者になっている。薔薇の美しい公園に、無数の人物像がひしめきあい、夏の終わりの風がマコトに爽快だった。
(おこりんぼうの像)
再びトラム12番でオスロ中央駅へ移動、地下鉄でオスロ港へ。夕食は港を見渡す高級レストラン「LOFOTEN」で。とりあえず「フィッシュスープ」、ノルウェーに来てから、まだお魚を食べていなかった。このまま日本に帰ったら、やっぱり叱られる。
(みんなで雨宿り)
メインに選んだのは、甲殻類軍団。3種類のカニと大海老、牡蠣とロブスター。無数のムールとシュリンプを、2段重ねのヤマモリにした豪快な一品だ。
ウェイトレスのオネーサマも「アナタがフルにハングリーであることをウィッシュします」と言って、思わず噴き出した。ビックリ系の料理であるらしい。
(名店「LOFOTEN」で、甲殻類&貝類の大軍団を制圧する)
⑦ 8月23日(水)
オスロ近郊Fredrikstad(フレデリック・スタッド)へ、日帰りの旅を敢行。函館・五稜郭と同じ形式の、星形☆城塞都市である。強国スウェーデンに近く、この形式の城塞で防衛態勢を固める必要があった。
(ノルウェーの五稜郭、フレデリック・スタッドで出会ったネコ)
オスロ中央駅 11:01 → Fredrikstad 12:09
Fredrikstad 15:44 → オスロ中央駅 16:52
往路の電車はそのままスウェーデン国内に乗り入れる。帰りの電車はスウェーデンからやってくる。近世&近代には、北欧の国どうしで攻めたり攻められたり、とても高福祉に専念できるような国際関係ではなかった。
新市街から、無料の赤い渡し船で北欧版☆五稜郭の島にわたる。所要3分。ランチは「ピザを食おう」と決めていたが、肝腎のピザ屋があんまり旨そうではない。
ピザはやめて、パン屋「Råde Bakeri & Konditori」のSoftisに切りかえる。ソフティスとは、要するに巨大ソフトクリームであるが、日本語を少し話せる女子店員の笑顔が嬉しかった。
(こんな渡し船で島に渡る。10分おきに運航、所要3分)
帰りの電車は超満員。席なんか1つも空いていない。さすがスウェーデンから来る電車である。立って1時間強、ようやくオスロへ帰還したが、考えてみれば、ヨーロッパの電車で「座れない」という体験は久しぶりだ。
(フレデリック・スタッドで、巨大なソフトクリームを食す。ノルウェーでは「Softis」と呼ぶ)
夕食は昨日に続いて二度目のLofoten。昨日は途中でギブアップした甲殻類大盛りのビックリ料理に再挑戦した。
蟹・海老・ロブスターの甲殻類軍団を、ほぼ完全に制圧。牡蠣とムールの貝類隊も当然のように制圧。一番下に隠れていた無数の小エビ軍団は、戦わずして今井に降伏した。ただし勝利が確定するまで2時間、赤ワインがカンタンに1本カラになってしまった。
(旅の最終日、「いかにもムンク」な夕陽に出会う)
⑧ 8月24日(木)
最終日であるが、ホテルをチェックアウトする1時間半前、まだ「見残し」になっていたオスロ大聖堂へ。さらに名店Stortorvets Gjæstgiveri(ストールトルヴェッツ・イェストイヴェリ)で大急ぎのランチを試みる。もちろん、フィッシュスープ。12時ちょうど、グランドホテル・オスロをチェックアウトした。
(出発の日、オスロとしばしの別れを記念して、オスロ駅至近の名店「Stortorvets Gjæstgiveri」のランチを味わう)
オスロ中央駅12:30 → オスロ国際空港 13:00
オスロ 16:05 → フランクフルト18:10(NH6184)
フランクフルト20:45 → 羽田 25日14:55
⑨ 8月25日(金)
こうして諸君、凍るような晩夏のフィヨルドの真っただ中から、35℃の猛暑TOKYOに無事帰還した。最高気温17℃のオスロから帰国してみれば、最低気温27℃の熱帯夜。こりゃどうしても、銀座でカシミールカレーを味わってから帰らなきゃいかん。
(羽田到着後、銀座6丁目「デリー」でカシミールカレー。旅の締めくくりは、やっぱりこうでなくちゃいけない)
1E(Cd) The Beatles:RUBBER SOUL
2E(Cd) The Beatles:REVOLVER
3E(Cd) The Beatles:PLEASE PLEASE ME
4E(Cd) LET’S GROOVE ①
5E(Cd) LET’S GROOVE ②
total m15 y1501 d21450