Mon 170731 暗く不活発な子/ヘミングウェイのお部屋(キューバ&メキシコ探険記32) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 170731 暗く不活発な子/ヘミングウェイのお部屋(キューバ&メキシコ探険記32)

「多様性を愛する」みたいなことを言っておきながら(スミマセン、昨日の続きです)、自らの食事を顧みるに、「ちっとも多様じゃないじゃないか」「何なんだ? この『バッカリ食べ』の連続は?」と、まあ反省しきりなのである。

 いくらキューバのロブスターが安いからって、「5日で10尾」ってのはヒドいじゃないか。フィレステーキとなれば巨大フィレステーキばっかり7日連続、ムールとなればムールばっかり14日連続、生牡蠣となれば40個を一気に胃袋に流し込んだあげくの果て、「デザートに生牡蠣6個」とホザく。

 やっぱり、こういうのはいけません。世の中の栄養管理士・偉い先生がた・それほど偉くない先生方・ママ・隣のおばさん、みんな声を揃えておっしゃる通り、「栄養バランスに気をつけて、出来るだけ多様な食材を、よく噛んで食べましょう」でなきゃいけない。

 それなのに今井君は、たった一つの食材を、よく噛みもせず慌てて嚥下するのである。こういう「咀嚼ナシのバッカリ嚥下」こそ、最も指弾されてしかるべき行動じゃないか。

 小学校の「帰りの反省会」なんかで、
「今井君が好きなものだけを噛まずに飲んでました」
「嫌いなものはぜんぶ他の人に押しつけてました」
「いけないと思います♡」
「いけないと思います♡」
そういう指弾や攻撃の対象になることが少なくなかった。

 だから諸君、本来ワタクシは多様性なんかを称揚できるような立場にはないのかもしれない。しかしやっぱりボクチンは、カラフルな世の中が大好き。あんまりみんなが一緒だと、真綿で首を締めつけられるような息苦しさを感じる。
ヘミングウェイ
(死後60年、ヘミングウェイおじさんは健在だ。ハバナ「フロリディータ」での勇姿)

 昨日書いた「明るく元気で活発な子」みたいな学校のスローガンは、とにかく耐えがたかった。何を隠そうコドモ時代の今井君は「暗く鬱々として不活発な子」。どんなイベントにも消極的で、合唱コンクールでは当然のように最後列で、最初から最後まで口パクでゴマかした。

 昼休みの談笑が最も苦手な「鬱々として不活発な子」のまま、高校生になり、大学に入学し、卒業して会社勤めが始まった。しかし諸君、会社勤めとは要するに「朝から晩まで明るく人々と談笑する」ということであって、暗く鬱々として不活発な青年今井にとっては、ほとんど地獄のような毎日になった。

 だから少年今井 ☞ 青年今井の時代には、笑止千万なことに「作家になりたい」とホザきつづけた。明るく活発に談笑しなくて済ませるためには、物書きになって日々薄暗い一室で文章を書き続けるのが一番いいじゃないか。

 その場合も、ベストセラーを連発するような人気作家であっては困るのだ。何しろ「暗く鬱々として不活発なオトナ」である。人気なんかが出てみたまえ、いろんな人々がお部屋に押し掛けて、結局「談笑」「談笑」の日々に巻き込まれる。

 この状況が改善されたのは30歳を過ぎた頃である。ようやく明るく元気に人々と談笑が出来るようになった。尤も、今でもなお少人数での会合は苦手。目の前に100人以上いてくれないと、なかなか明るく元気に話せない。出来れば200人、理想的には300人以上の聴衆がほしいのである。
案内板
(ホテル アンボスムンドスが、ハバナでのヘミングウェイの定宿。520号室が彼のお部屋だった)

 そんなふうだから、高校生の頃から慣れ親しんだのが新潮文庫の「短編集」である。モーパッサンから始めて、サキ・フォークナー・オコナー・アンダーソン・ロレンス・ハーディからO・ヘンリまで、本屋さんで短編集を購入しては高校の教室に持ち込んだ。

 全ては「談笑」の世界に巻き込まれずにいるためである。1編で30ページぐらいの短編なら、休み時間に集中するのにベスト。ちょっと長いのは昼休みに回せば、1冊で2日ぐらいは何とかなるじゃないか。その中にヘミングウェイ短編集2冊も含まれていた。

 世界を旅していると、しょっちゅうヘミングウェイに出会うのである。マドリードで鶏の丸焼きで有名な超老舗に入ると、「ヘミングウェイがよく通っていました」という逸話が残っている。イタリア湖水地方のマッジョーレ湖を訪ねても、あちこちのホテルに「ヘミングウェイの行きつけでした」というバーがある。

 キューバのハバナは、まさにそういう逸話の宝庫であって、今回ワタクシが入り浸った「ホテル アンボスムンドス」は、ヘミングウェイおじさんの定宿。そのホテルから徒歩3分の距離に、彼が大好物のフローズンダイキリを痛飲したバー「フロリディータ」がある。

 旅とネコが大好き。そのへんもヘミングウェイのスンバラシーところである。やっぱり諸君、旅とネコ、この2つはどうしても外せないじゃないか。

 ヘミングウェイにはもう1つ、「女たち」というのがくっついてくるのだが、そのへんは今井君の語れる世界ではない。今村楯夫著「ヘミングウェイと猫と女たち」を、新潮選書でぜひ読んでみてくれたまえ。
ベッド
(ヘミングウェイのベッド。マコトにフツーで地味なシングルベッドである)

 せっかくハバナに5日も滞在するんだから、アンボスムンドスのバーに入り浸るとともに、せっかくならヘミングウェイのお部屋も見学したい。4月18日、ハバナ滞在3日目の午後は、アンボスムンドス520号室、彼の定宿を見てくることにした。

 いやはや、驚くほど地味なお部屋である。オレンジのベッドカバーをかけたシングルベッドが1台。部屋の真ん中にイスとタイプライター。彼は立ったままの姿勢で執筆に励むのが常だった。

 トイレもお風呂もマコトに質素であって、当たり前だがウォシュレットなんかも影も形もないのである。豪華調度品もナシ、窓からの眺望もマコトに平凡であって、「カリブ海を一望」などという特典は一切くっついていない。
タイプライター
(イスとタイプライター)

 こんなお部屋で、ヘミングウェイおじさんは「老人と海」の構想を練ったわけだ。1951年執筆、52年出版。1953年にはさすが日本の誇る英文学者 ☞ 福田恆存どんが、早くも日本語訳を出版している。

 1977年には野崎孝どんの翻訳が出る。サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」を日本で大ヒットさせたあの野崎孝どんだ。「老人と海」のインパクトは、かくのごとし。54年、ヘミングウェイはノーベル文学賞を受賞する。当時は何事もマコトにスピーディーに事態が進行したのである。

 それほど多くの作品は残していない。「老人と海」を長編と数えたとしても、1作で文庫本1冊になるような作品は10作に満たない。

 モト新聞記者、釣りやらネコやら、酒やら旅やら(ついでに「女たち」やら)、いろんなことにうつつを抜かしながら、2つの世界大戦とその戦後の時代をマコトに楽しげに生き抜いた。
調度品
(お部屋の調度品もたいへん地味である)

 520号室では、いかにも知的なオバサマが待ち受けていて、ハバナのヘミングウェイについて早口の英語で説明してくれる。「大学の文学部でヘミングウェイを読み、大学院でもヘミングウェイに関する論文を書きました」みたいな、たいへん文学部的なオバサマである。

 本棚には、各国語に訳された「老人と海」が展示されている。その中には、おお、懐かしや、日本の新潮文庫版も混じっている。暗く鬱々として不活発だった高校生時代の今井君が、常にポケットに隠し持って「談笑」を避けていた当時のままの装丁である。

 アンボスムンドス最上階は、現在はカフェとして営業中。ランチにちょうどよさそうな店であったが、うーん、ここでのランチはヤメにして、夜のロブスターのために胃袋の空間を空けておきたい。

 20世紀前半の古色蒼然としたエレベーターで下に降り、1階のバーで冷たいビールを1本グイッといただいて、努力家のワタクシは炎暑にもめげず、オビスポ通りの散策を再開したのであった。

1E(Cd) Christopher Cross:EVERY TURN OF THE WORLD
2E(Cd) Bobby Caldwell:CARRY ON
3E(Cd) Bobby Caldwell:COME RAIN OR COME SHINE
4E(Cd) Bobby Caldwell:BLUE CONDITION
5E(Cd) Bobby Caldwell:EVENING SCANDAL
total m156 y1486 d21435