Sat 170729 フィンランドを思う/しなーっと行くべ(キューバ&メキシコ探険記30) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 170729 フィンランドを思う/しなーっと行くべ(キューバ&メキシコ探険記30)

 バルセロナに続いて、フィンランド国内でもテロ事件が発生した。CNNもBBCも騒然としていて、オスロ滞在中の今井も安閑とした気分ではない。

 読者諸君の中にも、「今井は大丈夫か?」と心配してくれる人が、若干名はいらっしゃるかもしれない。ご心配をかけて申し訳ない。ワタクシはまだノルウェー滞在中で、こうして元気でこれを書いている。

 フィンランドとは同じ北欧の仲間どうし、高福祉&高消費税の親戚のようなノルウェーであるが、深夜早朝になると泥酔した男女の叫びが街に溢れ、状況は決して良好とは言えない。高福祉の国の首都、国会議事堂や王宮が立ち並ぶ通りに滞在していても、路上生活者の姿も少なくないのである。

 バルセロナの容疑者は、依然として逃亡中。ニュースでは「モロッコ系の青年」としている。フィンランドの事件の容疑者も「モロッコ国籍の少年」。前者が22歳、後者が18歳。余りにも悲惨な事件が続いた。

 かく言う自分だって、7ヶ月前にはモロッコに滞在していた。マラケシュ・フェズ・エッサウィラと旅して、モロッコの人々と同じ長距離列車に乗り、バスで長時間の旅もした。モロッコの青年たちがこんな犯行に走るのが、悲しくてならない。
新市街1
(ハバナ旧市街から新市街を遠望する。手前はカリブ海)

 さて、ノルウェーの首都オスロであるが、まだ8月下旬に入ったばかりというのに、人々はすっかり冬の身支度をして街をゆく。ホンキのダウンジャケットも目立つ。分厚いコートにマフラーをグルグル巻いた姿がスタンダード。樹々はまだ緑だが、早朝には吐く息が白くなる。

 この街は、1924年まで「クリスチャニア」と呼ばれた。クリスチャニアの名称が始まったのは1624年、それから300年もクリスチャニア時代が続き、日本が昭和になった頃、突然「オスロ」に変わっちゃった。

「違和感はなかったの?」というか、相当の違和感があっただろうが、そこはそれ、江戸300年の後でいきなり東京ないしTOKYOになっちゃっても、我々は対応できたわけだし、今から30年前、昭和が平成に変わっても、多くの人は素早く対応できたじゃないか。

「クリスチャニア」の呼称は、デンマークの首都コペンハーゲンの一地域にもあるそうであるが、こうして北欧で「クリスチャニア」はマコトにポピュラーなお名前。1970年代まで、スキーのパラレルターンのことを「クリスチャニア」と呼んでいた。
新市街2
(ハバナ新市街風景。高級ホテル風の優雅な建物が多い)

 日本でも、やっぱり「クリスチャニア」だった。スキーを始めてすぐ、「スキーをハの字に開けよ!!」と先生に大声で指導されながら、とりあえずボーゲンが出来るようになると、憧れは何と言ってもパラレルクリスチャニアなのだった。

「ターン」とか、何でもかんでも英語の21世紀とは違って、スキーだってヨーロッパ流の優雅さに満ちていた。何しろ日本のスキーは「レルヒ大佐」以来のドイツ&オーストリア流。ボーゲンからパラレルクリスチャニアに進歩する途上には、「シュテム・クリスチャニア」というのもあった。

 斜滑降から山側スキーを開いて「ハの字」姿勢を作り、そこからもう一方のスキーをゆっくりと揃えてターンする。パラレルへの階段は、ここで諦めちゃう人と、一気にクリスチャニアをマスターする人とに2分されたのである。

 そのクリスチャニアにも、「大回りクリスチャニア」と「小回りクリスチャニア」があって、小回りのほうを高速で連続して行うと、これを昔は「ウェーデルン」と呼んだ。イヌが高速で尻尾をフリフリする様子を示すコトバである。
新市街3
(ハバナ新市街にて。旧・赤坂プリンスホテルを髣髴とさせる)

 1970年代の少年たちは、ウェーデルンが出来るとオトナの仲間入りをして、一気に山頂を目指した。ゴンドラという便利なものが開発される以前は、短いリフトを3本も4本も乗り継がないと山頂に行き着けない。

 第3リフト ☞ 第4リフトと乗り継いで、山も深くなり、斜面も急角度になって大きなコブがはりつき、濃いガスがかかって視界もどんどん悪くなっていく。第4リフトの小さな座席の上で、「オレもオトナになったな」と実感する瞬間である。

 幼い今井君が始めて第3リフトや第4リフトで山頂に立ったのは、小学4年の冬である。父・三千雄が職場のスキー部長をやっていて、毎週日曜日に職場の仲間とスキーに出かけた。連れていってもらっているうちに、今井君もいつの間にか山頂まで行けるようになっていた。

 だからいつでも、父の職場の仲間たちと一緒なのである。40歳代前半の男たちに混じって第4リフトに乗り、濃霧に包まれた強風の山頂に立つ。嬉しいけれども、それより何より緊張感が強烈だ。何しろ、職場のスキー部の猛者たちである。小4の男子がついていけるレベルではない。

 その時、山頂にズラリと並んで急コブ斜面を見おろしている猛者のうちの1人、確か「二木」と書いて「ふたぎサン」と言ったが、少し気の抜けた声で「へば、しなーっと行くべ」とみんなに声をかける。

 TOKYO語に翻訳すれば、「では、慌てずゆっくり行きましょう」という意味であるが、幼い今井君は彼の「へば、しなーっと行くべ」が大好き。あれから幾星霜、ちょっとしたチャレンジの場面に立つと、必ず心の中で「へば、しなーっと行くべ」と自らに声をかけるのである。
ハバナ大学
(ハバナ旧市街。ハバナ大学)

 クリスチャニアの話から、はるか大昔の思い出に至ってしまったが、「しなーっと行くべ」の気持ちは、今でも変わらない。ホンのちょっと大きな舞台があれば、いつでも「しなーっと行くべ」なのである。

 若い諸君も、ぜひ一度「しなーっと行くべ」をやってみたまえ。受験生は、模擬試験はもちろん試験本番の朝にも、「しなーっと行くべ」。いや、試験用紙が配られて「始め!!」の声がかかった瞬間でもいい。

 バサバサ一斉に問題用紙を開く仲間たちの焦った姿を眺めつつ、「へば、しなーっと行くべ」。精神的に、1段も2段も高い所にいるような気がして、スーッと緊張がほぐれていく。シューカツでも、乾坤一擲のプレゼンでも同じこと、「しなーっと行くべ」が、きっとアナタを救うと信じる。

 そこで諸君、4月18日の今井君は、これからハバナの新市街に初めて繰り出す朝にも、「へば、しなーっと行くべ」と、自らに声をかけていた。あの頃の「ふたぎサン」の、トボケた調子がどんな時でも重要。緊張でパンパンの声じゃ、「しなーっ」も何もあったものではない。

 以上、「キューバ&メキシコ探険記30」とサブタイトルをつけた割りには、ちっともキューバ探険記でも何でもない話が長々と続いたのであるが、これでとうとう我々はキューバの新市街に向かう。旧市街からカリブ海を右に見ながらクルマで15分ほどの距離である。
新市街4
(ハバナ新市街にて。建物は、半世紀が過ぎても健在だ)

 半世紀以上前には、有名高級ホテルがズラリと並んでいた。今も建物は残っている。旧赤坂プリンスホテルにソックリなビルもあれば、いかにも「昔はヒルトンホテルでした」という建物も健在だ。ただし健在なのはあくまで「建物」であって、中身はこの半世紀の間にすっかり変わってしまっている。

 ショッキングなのは、旧市街から新市街に至る海岸通りの風景である。延々15分、目にする多くの家屋が廃墟と化している。窓ガラスはほとんどが跡形もなく、屋根も見当たらない。残っているのは壁だけであるが、かつて鮮やかだったであろう塗装はすっかり剥がれて、見る影もない。

 そこへ、再開発の大きな波が押し寄せているようだ。崩壊に任せるより、いっそのこと破壊して撤去し、一気に現代化してしまおうという力と流れを感じる。

 オバマ政権期にアメリカと仲直りが進み、ほぼ同時に中国のオカネもたくさん流入している様子。こうなると、容赦のないパワーとマネーが「いっそのことスカッと破壊して撤去、再構築」の流れをどんどん加速させる。

「古き良きハバナ」などというメンドーなものは、間もなく根こそぎになっちゃう予感が、マコトに濃厚濃密に漂っている。というか、2017年4月、その流れはもはや現実となって、ズンズン加速しつつあるように見えた。

1E(Cd) Vellard:DUFAY/MISSA ECCE ANCILLA DOMINI
2E(Cd) Oortmerssen:HISTORICAL ORGAN AT THE WAALSE KERK IN AMSTERDAM
3E(Cd) Philip Cave:PHILIPPE ROGIER/MAGNIFICAT
4E(Cd) Savall:ALFONS V EL MAGNÀNIM/EL CANCIONERO DE MONTECASSINO 1/2
5E(Cd) Savall:ALFONS V EL MAGNÀNIM/EL CANCIONERO DE MONTECASSINO 2/2
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