Mon 170724 昭和の猛烈♨帰省ラッシュ/CUCとモネダ(キューバ&メキシコ探険記25) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 170724 昭和の猛烈♨帰省ラッシュ/CUCとモネダ(キューバ&メキシコ探険記25)

 8月16日の日本は、まさに帰省ラッシュの真っただ中であって、博多や広島から新幹線の自由席に乗り込めば、誰でもそのラッシュの厳しさを痛感する。

 今年1月4日、ワタクシは新大阪から東京行き新幹線に乗って、お正月のUターンラッシュを久しぶりに経験した。何らかの緊急事態を思わせるほど切迫した駅のアナウンスに圧倒され、昭和日本のお正月やお盆を思い出して、ほとんど茫然、いやむしろ陶然とする思いだった。

 昭和の帰省ラッシュの激烈さは、もちろんこんな次元ではなかった。家族連れは何としてでも座席を確保しようと、半日も前から駅のホームに行列を作ったのである。

 上野駅でも東京駅でも、ビニールシートに車座になって座り、弁当を貪り、ビールとカップ酒を酌み交わしつつ、ウチワの風で炎暑に耐えながら、ひたすら列車の入線を待ち受けた。
ペソ
(よれよれのキューバ3CUC ☞ 約300円である。昔の日本なら、ちょうど缶ビール1本、カップの日本酒1本。まさに「昭和なお札」と言っていい)

 新幹線が出来る前は、一番速い特急でも盛岡まで6時間、青森や秋田まで8時間。仙台だって、L特急「ひばり」で4時間もかかった。長野だって富山だって金沢だって、6時間も7時間もかけてほうほうのていで帰省した。そりゃ長蛇の列もできるはずである。

 そのうちコドモがぐずり始める。コーラかファンタかバヤリースオレンジか、普段は飲ませてもらえないその種のドリンクをゲットする大チャンスなのだった。「アイスキャンディ」なんてのも、やっぱり悪くない。

 ママというか、当時は「おかあちゃん」だけれども、長い帰省の列に色めき立って、何故だかダンナに腹を立て、ダンナのダラしなさを激しくコキおろす。そのキーキーした声がコダマして、ただでさえ暑苦しい駅のホームは、ますます蒸し暑さを増していく。

 ダンナはもうビールと酒に酔っていて、誰にも聞いてもらえないジョークやダジャレを飛ばしまくるばかり。バターピーナツ ☞ 冷凍みかん ☞ ゆで玉子 ☞ さきいかと一巡すれば、そろそろキオスクでウィスキーのポケット瓶を購入する時間帯に入る。

 こうして上野駅は、マコトにさきいか臭い世界になっていく。あっちでもさきいか、こっちでもさきいか。当時は13番線ホームの端っこ、一番南側に立ち食い蕎麦屋があった。

 熱い蕎麦の出汁のニオイに、濃厚なさきいか臭が混じり、ラジオからは、やっぱり高校野球中継。日本酒とウィスキーのニオイも充満して、要するに上野駅は壮大な居酒屋と化した。

 何しろクーラーなんかない時代だから、今思えば「地獄絵図の一歩手前」というか、「準♡地獄絵図」というか、もう一度あんな世界を体験したいとは思わない。
人民ペソ
(キューバ国民用CUP、別称モネダ・ナシオナル ☞ 略称MN。交換率はCUC×0.4。デザインもグッと地味になる)

 1980年代に入っても、山手線でさえまだクーラーが100%普及していたわけではない。「前3両と後3両が冷房車」がせいぜいで、「前1両と後1両のみ冷房車」でも、まだいい方だった。

 だから諸君、当時の東京の夏の電車には、「扇風機のみ」なんてのが残っていたのである。しかもまだ「喫煙車がスタンダード」。「タバコがイヤです」とか「嫌煙権」とか、そういうことを口に出せば、むしろ「不思議なオカタ」「変な人」という目で見られた。

 東海道新幹線はさすがに当時からクーラー100%の天国だったけれども、それでも禁煙車はまだわずか。ほとんど「全面喫煙可」というか、「タバコを吸わないなんて、異様に気難しい御仁ですな」という視線が飛ぶぐらい。ふるさとへの帰省は、お盆でもお正月でも同様、たいへん厳しい世界であった。
札束
(10CUCをMNに両替すると、こんな分厚い札束になった)

 2017年4月、キューバのハバナで超満員のバスを眺めたとき、まず思い出したのが昭和中期、日本の帰省ラッシュの光景である。朝はもちろんのこと、ノンビリした昼間でも、カリブ海の夕暮れでも、とにかくバスはいつでもギューヅメの超満員である。

「地元の人以外は乗ってくれるな」
「観光客の利用は、いろんな意味でオススメしません」
そういうムードが、窓からもドアからもムンムン、確かに昭和の帰省列車ソックリの内輪な雰囲気が横溢しているのであった。

 諸君、アメリカとキューバの間を隔てていた巨大な氷が半世紀ぶりに融けて、外の世界から詰めかけた観光客がハバナでワイワイ大騒ぎをしてはいても、そんなにカンタンにキューバ国民の実生活に溶け込めるというわけではない。

 その象徴が、やっぱり通貨なのである。観光客が使用するオカネはCUC。地元のヒトビトが使うのはCUP。名称は似ていても、紙幣も貨幣もCUCとCUPは別である。

 名称があんまり紛らわしいから、キューバ国民の側でCUPを「モネダ」と呼ぶようになった。正しくはモネダ・ナシオナル、略称MN。25MN(=25CUP)が1CUCであって、銀行窓口もCUC ⇔ CUP(MN)の両替を扱っている。
クラシックカー
(CUCを国民用CUPに両替した後、ハバナ名物・豪華クラシックカーを発見しても、何だかシラケた気分になる。詳細は明日)

 しかし諸君、観光客用の1CUCが、数値では25倍の25CUPにもなってしまう。印象は、やっぱりあんまりよろしくない。国民用の250CUPを銀行に持ち込んでも、外国人用CUCならたった10CUCに換算されてしまう。

 単に数値の問題だとしても、キューバ国民としては「えーっ、たったそれだけ?」という違和感を感じるだろう。逆に観光客としても、10CUCを銀行に持ち込んだだけで、両替窓口では250CUPの紙幣を受け取ることになる。

 250MN、受け取ってみると、こりゃ立派な札束だ。「こんな大金、人前にさらしたらヤバいじゃないか」。紙幣が100枚を越えれば、もう十分に「札束」の雰囲気であるが、合計250MNとなると、小額のMN紙幣なら優に100枚を越える。

 中南米の旅では、ごくごく基礎基本として
「時計を見られたらヤバい」
「キラキラ光るものを他人に見られてはいけません」
「カメラでも、人に見られたら危険です」
の世界。少なくともガイドブックにはそう書いてある。

 キューバ国民が日常で使用するMNをどうしても手に入れたくて、思い切って銀行で10CUCを両替したのはいいが、窓口で返ってきたのはブワブワ分厚い札束である。「隠さなきゃ!!」という内心の叫びが心を萎縮させた。
おかね
(50ドル・板垣退助の100円・岩倉具視の500円・1000リラのレオナルド・ダ・ヴィンチ)

 銀行を出ると、午後1時半のオヒサマもやっぱり「そんな札束を持ってたら危険ですよ」と、気だるい呟きをもらすのである。元は10CUC、要するに1000円であるが、MN100枚の札束には、ヒトビトの視線を集めるたいへんな重厚感が伴うのだ。

 昭和中期の日本で、1ドル=360円の時代が長く続いた。100ドルなら36000円にもなった。当時の日本には板垣退助の100円紙幣とか、岩倉具視の500紙幣なんてのが普通に流通していて、100ドル紙幣を1枚、日本の銀行で両替すれば、「100円紙幣360枚」というカタストロフィもあっただろう。

 20世紀イタリアの「リラ」も同じ状況だった。1000リラ札でこんなに控えめなら、100ドルをリラに両替しちゃった人のオサイフの中がどんなカタストロフィになったか、想像するに難くない。

 21世紀のキューバでは、そういうことが日常茶飯として生起し、サイフがパンパンになっちゃった外国人観光客の心の中にも、いろんな勘違いやカタストロフィが続発してるんじゃないか。

 明日は、ハバナの街に溢れる大量のクラシックカーについて書くけれども、うーん、嗅覚の鋭い今井君は、その種の勘違いとカタストロフィのカホリを、ド派手なクラシックカー洪水の光景に早くも感じ取っていたのであった。

1E(Cd) Bill Evans Trio:WALTZ FOR DEBBY
2E(Cd) Anastasia:SOUVENIR DE MOSCOW
3E(Cd) Nanae Mimura:UNIVERSE
4E(Cd) AFRICAN AMERICAN SPIRITUALS 1/2
5E(Cd) AFRICAN AMERICAN SPIRITUALS 2/2
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