Mon 170626 祇園・浜松屋の思ひ出/フィンランディア/日和神楽を待ち受ける/やっと来た | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 170626 祇園・浜松屋の思ひ出/フィンランディア/日和神楽を待ち受ける/やっと来た

 ワタクシの京都祇園体験は、何と言っても「浜松屋」と「おかめ」である。祇園北側、「深夜まで開いている店」として、15年ぐらい前はどちらも飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

 浜松屋は「深夜1時を過ぎてもウナギが食べられる」で名が売れた。何もそんな真夜中にウナギなんか食べなくてもよさそうなものだが、やっぱり深夜のウナギには「ハレの舞台」の感覚があって、注文するだけで心がウキウキする。

 だから15年前の今井君は、京都でチャンスがあるたびに、浜松屋で深夜のウナギを満喫した。店のダンナも、その奥方も、いつの間にかサトイモ君の顔を記憶してくれた。

 その顔がテレビのCMにしょっちゅう映し出されるようになると、まるで大スターでも迎えるような満面の笑顔で対応してくれた。当たり前のことだが、深夜のウナギでも真っ昼間のウナギに勝るとも劣らない。

 注文を受けてから、水槽に手を突っ込んで生きたウナギを捕え、それを焼いてくれるのである。そりゃ旨いに決まっている。深夜のうな重を、1年に3回も4回も食べた時代があった。

 その頃は、浜松屋の向かいにある「おかめ」も絶頂の時代だった。雑誌やテレビがひっきりなしに取材に訪れ、深夜2時の祇園で熱いうどんをすするヒトビトの様子を日本中に伝えた。

 まあ、それなりに怪しいヒトビトも少なくない。さすが祇園、「バブルの残照」とでも表現したい深夜の風景である。あんまり繰り返しテレビで放映されるものだから、近所の店のジェラシーも燃え上がった。「どこがええんやろ?」と首をかしげるオバサマの声が、今も今井君の脳裏に蘇る。
日和神楽1
(祇園、長刀鉾「日和神楽」の休息 1)

 しかし諸君、7月16日深夜の祇園は、祇園祭の真っ最中 ☞ 京都中が大渋滞の真っただ中だというのに、おかめや浜松屋が大繁盛していたあたりだけが、マコトに深い静寂に包まれている。

 もちろん、単に今井が道を間違えただけなのかもしれない。ロシア料理「キエフ」で、赤ワイン1本と蜂蜜酒1本の飲み干した直後だ(昨日の記事参照)。泥酔の1歩手前、正確には10歩手前。おかめと浜松屋の位置を把握できる状況ではなかったのは確かだ。

 そこで今井は一計を案じ、四条通りを横切って祇園南側に転じた。そもそも「日和神楽」が出現するのは祇園南側の一帯である。時計は深夜11時、そろそろ街は閑散とし始めた。大阪・神戸・奈良・滋賀からの日帰り観光客は、終電ギリギリに駆け足で駅に駆け込む時間帯である。

 選んだ店は「FINLANDIA」。京町家をそのままバーに改造した店であって、1階がバーカウンター、2階がお座敷になっている。今年の早春シリーズで、公開授業を主催してくださった京都の塾の皆さんに連れてきてもらった。
バー
(京都・祇園「フィンランディア」。大繁盛の最中だった)

 店は大繁盛、今井君の公開授業レベルのギューギュー詰めだったが、幸運にもカウンター席があいていた。こりゃいいや。日和神楽が出現するまでの時間を、こんなオシャレなバーで過ごせるなら、混雑していても何の文句もござんせん。

 注文したのは、① ウォッカ ② バーボンの2本だて。どちらもストレートでギュッとノドに流し込めば、おお、まるでキャンディみたいに濃厚&濃密、マコトに甘ーい世界である。

 ウォッカは、氷点下20℃以下に冷やしたフィンランドの逸品。一方のバーボンは、バーボンの代表選手「ブラントン」である。こんな祇園のオシャレなバーで、まさか「水割り」だの「カクテル」だの、そんな中途半端な酒は注文できないじゃないか。

「ブラントン、ストレートで」と言った瞬間に、バーテンダーの皆さんのマナコの色が変わるのである。
「お、すげー酒飲みが来た」
「コイツは要注意、おかしな酒は出せないぜ」
「ご用心ご用心。徹底的にご用心」
祇園祭の雑踏で緩んでいたカウンターに、ピリピリ心地よい緊張感が走る。

 こういう場合、バーテンダーの流儀として「もうワンランク高いブラントン」を勧めてくるのは当然である。普通のブラントンではなくて、一段上のブラントン。「店でもなかなか手に入りません」と言われれば、今度は客の流儀として、その高級なブラントンも試してみるしかない。

 ただし今井君ほどのベテランになれば、遠慮なく「ナンボですか?」「高すぎるのはイヤでござんす」と、明確にお値段を尋ねる。そんなのを恥ずかしがっているうちは、まだまだ諸君、シロートに過ぎない。

 ましてや「カネに糸目はつけねえ」みたいな大胆なことをホザクのは、もっとシロート。オカネは大事だよー。とっても大事だよー。オカネに糸目をつけるからこそ、人生にメリハリが生まれる。糸目をつけない見栄っ張りは、要するにむかしむかしの成金どんだ。
日和神楽2
(祇園、長刀鉾「日和神楽」の休息 2)

 こうして日付が変わった。7月17日、京都の深い夜が明ければ、いよいよ山鉾巡行の朝である。フィンランディアのバーテンダー諸君に「また近いうちにお邪魔します」と別れを告げて、観光客の去った深夜の祇園の街に出た。

 静まり返ってはいるが、辻々にマコトに上品な和服のオバサマが立って、日和神楽を待ち受けていらっしゃる。今年はいつもの年より遅くなって、神楽の出現は深夜1時ぐらいになりそうだとおっしゃる。

 7〜8年前、初めての日和神楽を目撃して感動&感激の嵐がビュービュー吹き荒れた時は、夜11時を回るか回らないかの時刻だった。祇園「隠」という庶民的なお店でお酒を飲んでいたら、何だか外が騒がしいので、店の人たちと一緒に外に駆け出してみた。

 だから今年の日和神楽は、あの時より2時間近く遅い。祇園南の名店「てる子」の人々も、三々五々お外に出て、蒸し暑い夜の空気をウチワや扇子でかき混ぜながら、遅い神楽の到着を待ち受けていた。
日和神楽3
(祇園、長刀鉾「日和神楽」の休息 3)

 祇園の店は、神楽の人々をお茶やオムスビで接待するのである。「てる子」みたいな名店になると、舞妓はんや芸妓はんも馴染みのお客さんと一緒に外に出てきて、神楽の人々に声をかける。

 1時、とうとう八坂神社の方角から神楽のお囃子が聞こえてきた。「来た」「来た」「やっと来た」の囁きが交わされ、お囃子に合わせて「どっこい!!」「ああ、どっこい!!」の勇ましい掛け声も聞こえてくる。深夜の祇園に安堵の溜め息が漏れる。

「てる子」の接待はなかなか豪華である。オムスビばかりか、寿司も出る。お茶の他にビールもある。「こりゃいいや♡」とばかり、旨そうな海苔巻きに観光客まで手を伸ばすけれども、その手を無碍に振り払うことはしない。観光客のほうで、キチンと限度をわきまえなきゃいかん。

「おそらくあれが『てる子』さん」と思われるオバーチャンの姿も見える。戦後の昭和、昭和の京都、そういうマコトに厳しい世界を生き抜いてきたオバーチャンであるが、今やおそらく尊敬どころか崇拝の対象であって、小さな背中に日本の戦後を凝縮させた姿は、まさに威厳に満ちている。
日和神楽4
(祇園、長刀鉾「日和神楽」の休息 4)

 そのまま一力茶屋のあたりまで、日和神楽にくっついて練り歩く。いっぱしの京都人になった気分である。いいっすね。いいっすね。このまま京都の人間になっちゃいたいっすね。その発想こそ田舎もん独特なんだろうけれども、いやはやホンマに、あのまま京都人になっちゃいたくてたまらなかった。

 つい先月、京都化野「平野屋」で、初夏のアユ料理を味わったばかり。化野から長いダラダラ坂を下って、嵯峨釈迦堂こと清凉寺の「あぶり餅」にイヤしいヨダレを垂らしたばかりだ。

 昨年11月にも京都を訪れて、仁和寺や真如堂のモミジ、智積院や化野念仏寺のモミジを満喫した。こんなに京都三昧なら、そろそろ京都人にしてもらってもよさそうな頃合いだ。

 しかし諸君、そのへんにはマコトに厳しい門番の方々がいらっしゃって、「500年早いどすえ」「800年早いどすえ」「いやいや、まだ1000年早いどすえ」、そんなふうにせせら笑われるだろう。ま、それも仕方ない。

 むしろそれだからこそ京都の魔力は維持できているのであって、その手の門番さえいなくなったら、きっと京都はつまらない。異界とか魔界とか、日和神楽の魅力はおそらくそのあたりから、生温かく&生ぐさく湧き出してくるものに違いないのだ。

1E(Cd) Kazuhiko Komatsu & Saint Petersburg:貴志康一/SYMPHONY ”BUDDHA”
2E(Cd) Akiko Suwanai, Dutoit & NHK響:武満徹 ”FAR CALLS” ”REQUIEM FOR STRINGS”etc
3E(Cd) Amalia Rodrigues:SUPERNOW
4E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 1/18
5E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 2/18
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