Wed 170621 真っ赤に燃え上がる/せんげん台へ/春日部カレー/せんげん台の大盛況 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 170621 真っ赤に燃え上がる/せんげん台へ/春日部カレー/せんげん台の大盛況

 連日の200人超え、とうとう一昨日の新百合ケ丘では300人超えになって、夏のイマイは汗まみれになりつつ、スタッフの皆さんに「感謝&感謝、また感謝♡」の日々である。

 話す人間として、聴衆は多ければ多いほど嬉しいに決まっている、立ち見でもかまわないし、立ち見が出るほどの大盛況になれば、3倍にも5倍にも奮起する。

 200人を超えればサトイモは真っ赤に燃え上がり、300人なんてことになれば、その炎は溶鉱炉を融かしてしまうほどに白く熱く輝きはじめる。ホッホ&ホッホ、その強烈な熱さたるや、話を聞く人々がドロドロに融けてしまいそうなほどである。

「七月の 青嶺まぢかく 溶鉱炉」。昭和2年、山口誓子どんは7月の九州で製鉄所の見学。溶鉱炉を開けると、真っ赤な炎が外に飛びだした。赤い、余りにも赤い。熱い、余りにも熱い。地獄のような炎の熱を目の当たりにした直後、外に出ると7月の青い山々が余りにも青く涼やかであった。

 6月でもいかん、8月でもいかん。この赤と青の対象は、何が何でも7月でなきゃいかん。山口誓子どんは、何が何でも句の冒頭に「七月の」と書き込んだ。

 7月の青い嶺。梅雨明け間近の入道雲が、驚くほど白い。白・赤・青のトリコロール。思えば今日はフランス革命の日であって、250年前のバスティーユ襲撃の日、おそらくパリはこんな真っ赤な炎熱の一日であったのだ。
せんげん台1
(春日部「ラホール」の絶品カレーで真っ赤に燃え上がる)

 さて7月13日、夏の溶鉱炉の中で熱く焦げ焦げになった我がサトイモ君は、埼玉県越谷市の北の端、「せんげん台」という町を訪れることになった。

 漢字で書けば「千間台」。「これじゃ『ちまだい』と読まれちゃうんじゃないか」と心配した昔の人々が、平仮名を巧みに取り入れて「せんげん台」という駅名にしちゃった。

 首都圏には他にも「あざみ野」「つくし野」「すずかけ台」みたいな、平仮名&漢字マゼコゼの駅名が多い。昭和中期、人口の首都圏集中と、大慌てで進めた郊外大開発の名残りである。

 あの頃は、名前に平仮名&漢字の混じった人も多かった。今井君が同年代女子で記憶しているのが「はる香」「清か」という2人のお名前。「途中まで平仮名」「途中まで漢字」、たいへん個性的で素晴らしい命名であるが、「清か」ちゃんのほうは、これで「さやか」と読むのだった。

 せんげん台は、町の北側に広がる「武里団地」に住む人々の最寄り駅である。武里団地は、1963年竣工。昭和38年、東京オリンピックの一年前に完成して、最盛期には6600世帯がここに住んだ。一世帯 ☞ 4人家族を基準とすれば、約30000人がここで生活していたことになる。

 当時「東洋一の団地」とうたわれた武里団地は、まさに「団地ともお」の世界。小田急や京王の終着地である多摩の団地や、都営三田線の高島平団地とともに、昭和の若者たちの憧れの対象だった。

「いつかは団地で幸せな家庭を築きたい」。そういう夢の行き着く先が「団地ともお」だったのだ。うーん、今井君としては「団地ともお」、何だか哀しくて見ていられないが、そういう中年が多いのか、最近あのアニメ、NHKもあんまり放映しませんな。
ジャンボ
(春日部「ラホール」のジャンボハンバーグカレーで、イマイの炎はギュギュッと強烈に燃え上がる)

 というわけで諸君、7月13日のサトイモ里助は、かなり早い時間にオウチを出て、地下鉄千代田線で北千住を目指した。7月の東京の油照りは強烈、駅にたどり着く前にすっかり汗まみれであるが、まだ梅雨は明けないのか、セミの声は聞こえない。

 今ごろは、アブラゼミ君にミンミンゼミ君、生息域を首都圏にまで広げつつあるクマゼミちゃんや、もしかしたら最近すっかり大人しい代ゼミ君なんかも、「今か?今か?」と梅雨明け宣言を待ち受けているのかもしれない。

 北千住まで40分、北千住からは日光ゆき特急「けごん」だったか「きぬ」だったか、とにかくヤタラに地味な東武線特急に乗って、懐かしの春日部を目指した。

「あれれ、せんげん台でお仕事なのに、どうして春日部まで行くんですか?」であるが、そんな疑問を持った諸君は、きっとこのブログの読者歴がまだ短い人々に違いない。

 東進の新CM放映以来、ブログ読者の数が急増して、今や「一日平均6000」という状況、まるでブログ文化が全盛だった10年前のような大盛況、イマイのアメーバ順位も、この2週間余り900位から800位を行ったり来たり、一般人としてはマコトに面映い栄光の舞台に立たせてもらっている。
メロン
(せんげん台で、美味しいメロンをいただく)

 しかし諸君、ベテラン読者なら、今井がせんげん台を通過して春日部まで行っちゃった理由は明らかだろう。もちろん「春日部ラホール」のカレーを味わいに行ったのである。

 名店「ラホール」のカレーは、3ヶ月ぶり。前回は3ヶ月前、キューバとメキシコの旅に出る直前だった。春日部のイトーヨーカドーが、クレヨンしんちゃんにちなんで「サトーココノカドー」に衣替えし、「みさえ ザ・バーゲン」が大盛況だった日々のことである。

 夕暮れ午後5時、すっかりお馴染みの「ラホール」に闖入したワタクシは、早速「ジャンボハンバーグカレー インドの辛口」を注文。このところしばらくは「インドの極辛」にしていたが、何しろこの猛暑だ、「極辛」なんかを腹に詰め込んだら、汗のかき過ぎで脱水症状になる危険性を感じた。

 しかし諸君、初中級者向きの「普通の辛口」でも、噴き出す汗の量はフツーでは済まない。用意してきたハンカチも10分でビショビショ、ハンカチ王子ならぬハンカチ里芋君は、「こりゃ公開授業前にシャツもワイシャツも着替えなきゃな♨」というズブ濡れの状態に陥った。
駅ビル
(せんげん台駅ビル。竣工から30年、テナントもすっかり入れ替わった)

 春日部からせんげん台へは、東武線の急行電車で5分ほどである。高度成長期からバブル期にかけて、連日この電車は地獄のような大混雑。靴は脱げ、傘は折れ、カバンは空中を浮遊して、1つ向こうのドアから外に飛びだしたりした。

 それもみんな、今は昔の物語。今や東武線は地下鉄半蔵門線や東急田園都市線と相互乗り入れ、すっかりアカ抜けして都会人のカホリを漂わせている。おやおや、30年昔は「みね子」風のナマリ懐かしな電車だったのに、まさに見違えるようである。

 それと同時に、一気に高齢化したことも否めない。1980年代に40歳代だった人々は、30年が経過してすでに70歳代。10歳だった団地ともおな諸君も、すでに40歳代に入って、どこか別の場所に居所を移してしまったに違いない。電車の中はまさに高齢化の縮図である。

 だからせんげん台の駅前も、30年前とはすっかり様変わりしている。かつてはそこいら中にコドモと中学生と高校生の渦ができていたが、今や駅ビルにも高齢者ばかりが目立つ。「小児科医院」はとっくに看板を下ろしてしまった。
せんげん台2
(せんげん台、人口密度の限界を感じるほど、湯気の湧き上がる大盛況となった。スタッフ諸君に感謝&感謝である)

 そういう寂しく哀しい町であるが、せんげん台校のスタッフが日々強烈な努力を続けてくれていて、今夜も150名近い受講生が集結する。定員60名の教室から机を全て運び出して、超満員の状態で大爆笑の90分を繰り広げた。

 近くにあるのは埼玉県立の名門・越谷北高&越ケ谷高と、私立の地元校・独協埼玉高。「大学1年のアルバイト生が、部活の後輩をたくさん連れてきます」と予告を受けていた。

 そうか、それなら特別大サービスだ。普段の2倍にも3倍にも笑いをテンコ盛りにして、スタッフの熱い努力に報いることにした。いやはや、みんな激烈に笑いに笑った。

 余りに激しい笑いの連続に、校舎の壁がビリビリ反響するどころか、今や町の悩みになっているムクドリの大集団も、ビックリして飛び去ってしまうほどの大盛況になった。

 何しろ諸君、今井のデカいポンポンには、ラホールで貪ったばかりの「ジャンボハンバーグカレー」が真っ赤に燃えている。七月の青嶺は見えなくても、ホッホ&ホッホ熱いカレーと、手のひら2枚分の大っきなハンバーグが、強烈な炎を上げて燃え盛る。

 終了21時20分。今井は頭から足の爪先まで汗でグショグショだ。その汗も、カレーのニオイがする♡ いやはや、おぞましい世界であるが、こんなふうに熱く熱く燃焼を続ければ諸君、英語の学力ぐらいたちまちのうちに、飛躍的向上が実現するのである。

1E(Cd) Luther Vandross:I KNOW
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