Thu 170608 靴は親友である/靴が裏切ること/ハバナ着陸(キューバ&メキシコ探険記19) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 170608 靴は親友である/靴が裏切ること/ハバナ着陸(キューバ&メキシコ探険記19)

 靴は、親友である。最良の友と言って間違いない。彼は、決して裏切ることがない。常に我々とともにいて、どこであろうと危険から我々を守ってくれる。危険の前に身を呈し、自ら犠牲となって、悪意に満ちた金属片やガラス片の前に立ちふさがってくれる。

 だからワタクシは、靴というものに対して徹底的な敬意を払う。カカトが擦り減ってその傾きが45°の急斜面になっても、無慈悲にゴミ袋に投げ込んで捨ててしまうようなことはできない。何度でも修理に出して、5年でも10年でも履き続ける。

 高1の春、「万葉集」を習った。万葉集の巻十四・東歌の中に、
「信濃路は 今の墾道 刈りばねに 足ふましなむ 沓はけ わが背」
とある。「沓」とは「靴」のことである。

「信濃の道は、最近出来たばかりの道です。とがった切り株に足を踏みぬいて、ケガすることもあるでしょう。あなた、靴を履いていらっしゃいね」

 大切に思う男が、長く厳しい山道を旅する。ホントは一緒について行きたいけれども、それはどうしても不可能だ。女は靴に身代わりをさせる。「靴がきっとあなたを守ってくれるでしょう」。いやはや、女子にそこまで信用される靴君こそ、友というもの模範と言っていいじゃないか。
アンボスムンドス1
(キューバ・ハバナ、ヘミングウェイの定宿「アンボスムンドス」。詳細は明日の記事で)

 当時16歳の若き今井君は、「高久清」という名の先生にこの歌を習った。秋田県立秋田高校で、長年にわたって古文を教えてきたオジーチャンである。何しろ「国語だけは誰にも負けない」と豪語していた頃だ。定年間近の高久先生にはずいぶん目をかけてもらった。

 退職の前の日、高久先生が教室で読み上げた自作の短歌を今でも記憶している。確か前にもここで紹介したことがある。「明日よりは 立つこともなき 教壇に 生徒の顔を しかと見つむる」。「しかと見つむる」のクダリで諸君、高久先生はホントに「シカ!!」と今井君に視線を向けたのである。

 品格のある渋いオジーチャン先生だった。暖かそうな厚い毛織りのコートに片手を突っ込んで、校門へのキツい坂道を登っていく。その短歌が良いかダメかという話じゃなくて、オジーチャンとしての品格それ自体が、生徒たちの憧れの対象だった。

 今井君が靴というものを大事にし始めたのも、だから16歳の春からである。カカトが擦り減れば、何度でもカカトをかえてもらい、靴底全体が薄くなれば、靴底全体を取り替えてもらう。
アンボスムンドス2
(アンボスムンドスの看板。詳細は明日の記事で)

 今ではあまり見かけなくなったが、カカトに金属の鋲を打って、カチカチ金属音を響かせながら街をゆく人が、昭和の時代には残っていた。明治大正昭和の日本文学にはしょっちゅう登場する都会の風物詩であるが、贅沢なバブルの時代から、そんなスタイルは流行らなくなった。

 しかし今井君は、金属の鋲を打ってもらってでも、1足の靴を5年も10年も履きたいのである。昭和の終わり頃まで、早稲田大学大隈講堂の前には、靴磨きのオジサンが5人も6人も陣取って客待ちをしていた。そのうちの1人とすっかり親しくなって、何度でも鋲を打ってもらった。

 その金属の鋲が、何度でも擦り減った。若き今井君はタクシーになんか乗るオカネはないから、金属でさえ数ヶ月で擦り減るほど、昭和の東京を歩いて歩いて歩き回ったのである。

 しまいに、靴修理屋のオジサンも笑い出した。「こんなに修理するぐらいなら、新しいのを買ったほうがずっと安くつきますよ」とおっしゃるのである。

 しかし諸君、ワタクシにとって大事なのは、「安くつく」「安上がり」「手っ取り早い」の類いの話ではないのだ。靴屋さんで邂逅した一期一会の友と、可能なかぎり長く丁寧に付き合いたい。友が傷ついたら、その傷を丁寧に癒してあげて、また新しく半年でも1年でも付き合い直したい。

 だから、今ワタクシが履いているCHURCH社製のクツは、すでに10年目の付き合いである。カカトを取り替えること5回。靴底全体を取り替えたのも2回。この間の岩手県花巻での仕事の後、2回目の靴底に大きな穴が出来ているのを発見。現在、地元の靴屋に修理してもらっている最中だ。
オビスポ
(ハバナ1番の繁華街、オビスポ通りにて。詳細は明日の記事で)

 しかし諸君、「靴が人間を裏切ること」も時にはあるのである。靴というより「スニーカー」であるが、「履いていたら、いきなり靴底が剥がれて、大ケガをする事案が相次いでいる」とヤフーニュースが大きく報じていた。

 しばらく履いていなかったスニーカーを、久しぶりに履いて張り切って外出してみたら、いきなりベロンと靴底が剥がれた。それに蹴つまづいて大ケガをした。「マコトにけしからんクツじゃないか♨」と言うのである。

 今井君も、同じような事態を経験している。2014年、オランダのアムステルダムでの事件である。1999年に購入したスニーカーを、その後15年使用することなく放置。久しぶりに出してきて、張り切って履いて歩いたオランダで、ある日ベロンとまず片方の底が剥がれた。

 それでも気にせずアムステルダムを闊歩していたら、約2時間後にもう一方のクツ底も「ベロンチョ♡」と剥がれ落ちた。黒いクツ底が剥がれた後は、真っ白いウレタンが丸出しになったが、諸君、それで歩けないわけでもない。

 その後2日にわたって、ワタクシは真っ白なウレタン底のままオランダを闊歩しつづけたのである。詳しくは、3年も前のブログではあるが「Mon 140915 今井君ライデン危機 靴底の思い出 クツ君とお別れ(おらんだ先生訪問記46)」を参照していただきたい。
靴底
(アムステルダムで、クツの底が取れた記憶)

 ワタクシはそういう人間だから、メキシコからキューバに履いていった靴も、それなりの大ベテランである。もう4年も前の冬のこと、北海道釧路への出張があって、「真冬の釧路の雪道に、革靴じゃさすがに危ないじゃないか」と判断。新宿の高島屋で滑りにくいクツを購入した。

 あれから長く愛用した結果、カカトはホントに30°の角度に傾いているが、メキシコでもキューバでも中南米の人々は、旅行者のカカトなんかにうるさいことは言わないだろう。ワタクシはタカをくくってキューバ入りした。

 カンクンからホンの1時間。羽田から小松か富山空港を目指すぐらいの、マコトに短いフライトである。竜巻の形をした北米大陸の足許、突き出したクルブシの骨みたいなユカタン半島から、キューバは目と鼻の先なのであった。

 ハバナの空港に接近するにつれて怪しい雲が垂れ込め、あちこちで激しいスコールになっているのが見える。何しろ今井君は映画「JFK」やら何やらで、キューバ危機の映像を繰り返し繰り返し眺めているから、「さすがキューバ、滅多なことでは着陸できないんだな」と、思わず溜め息をついた。
スコール
(ハバナ空港の上空から、怪しい黒雲とスコールが見えた)

 そして諸君、ヒコーキは実際に1回目の着陸をあきらめたのである。「タッチ&ゴー」であって、滑走路に車輪がついた瞬間、再びグッと機種を上げて「着陸をやり直します」ということになった。

 こういうのは、3回目の経験である。1回目は、駿台講師時代の福岡空港で。もう20年以上むかしの話だが、台風接近に伴う風雨の影響で、1回目の着陸をあきらめた。濃霧の暗闇を旋回するヒコーキの機内に、乗客の不安そうな呟きが低く響いたものだった。 

 2回目は3年前、ヴェネツィアから乗ったマルセイユゆきのヒコーキで。地中海の横風にあおられて、着陸前から大きく揺れていたヒコーキが、やっぱりタッチ&ゴーを試みた。

 いくら慣れていても、コワいことはコワい。2017年4月16日、大きく右回りにハバナ上空を旋回して、2回目でついに着陸に成功した時には、機内から大きな安堵の拍手が湧き起こった。

 こうしてワタクシは、とうとうキューバに降り立った。キューバ危機から半世紀。まさかキューバを訪問する機会はあるまいと思っていたが、夢ではないか、今ホントに、間違いなく、キューバの土を踏みしめているのであった。

1E(Cd) Solti & Vienna:WAGNER/DIE WALKÜRE 1/4
2E(Cd) Solti & Vienna:WAGNER/DIE WALKÜRE 2/4
3E(Cd) Solti & Vienna:WAGNER/DIE WALKÜRE 3/4
4E(Cd) Solti & Vienna:WAGNER/DIE WALKÜRE 4/4
5E(Cd) Akiko Suwanai:SIBERIUS & WALTON/VIOLIN CONCERTOS
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