Tue 170606 海鮮大王めざして/塩釜の街を散策/蔵の街/すし哲での海鮮三昧 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 170606 海鮮大王めざして/塩釜の街を散策/蔵の街/すし哲での海鮮三昧

 考えてみれば、広島で2日にわたって牡蠣を貪りまくったのは、たった1週間前のことである。生牡蠣・焼き牡蠣・牡蠣フライ、いろいろ取り混ぜて2日で50個以上を咀嚼&嚥下した。

 上半身の全てとは言わないが、今やワタクシの右腕と左腕ぐらいは、牡蠣のタンパク質で出来ている。そう言えばヒジやワキのあたりがカキカキして、牡蠣の殻みたいに固くなったような気がする。今や今井君は、サトイモ変じて海鮮男となりつつある。

 その1週間後、ワタクシは岩手県教育委員会関連のお仕事で、三陸地方にやってきた。せっかく両腕がカキカキしてきたんだから、今度は両脚やら内臓やらも海鮮と化し、浦島太郎よろしく亀に連れられて竜宮城を目指したい。

 竜宮城への作戦計画は2段階である。さすがに竜宮城占領計画だ、2段階、マコトに周到な一流の準備をして、三陸に乗り込んだ。
① 仕事の前日の仙台駅ビル「すし哲」で、ウニとカキと赤貝と海老を貪る
② 仕事の翌日は塩釜「すし哲本店」で、再びウニとカキと赤貝と海老を貪る。

 どうだね、この常軌を逸した海鮮男は? 浦島大王として竜宮城に君臨する資格は、十分にあると思うのだ。ついでにタイやヒラメやエビどんたちを相手に、目いっぱい英語の授業をやってきてもいい。
本店
(本塩釜「すし哲」本店)

 すでに今井は「次のLINE LIVE」のオファーが来ることを見越して、テキスト作成を開始している。出来れば60分バージョンでやりたい。うぉ、張り切り過ぎだ。落ち着きたまえ & 落ち着きたまえと、脳味噌はちゃんと冷静に機能しているのだが、何しろ肉体が海鮮大王だ。エビみたいな立派なオヒゲが冷静な判断を妨害する。

 例えば週末の午後9時から10時まで、そんな好都合な時間帯を指定してもらえれば、ハートの数も今回の3倍、30万×3+αで、「100万」みたいな数字だって達成可能と意気込んでしまう。いやはや熱い海鮮大王は、マコトに困った存在である。

 そこで諸君、まずはタイとヒラメ軍団を相手に、半年後に向けた準備を開始したい。むかしむかし「ネコを相手に練習しよう」みたいなタイトルのイタリア語参考書を買ったことがあったが、確かにニャゴロワ相手でも、結構いい練習になるのである。

 そういう地味で地道な地点をスタートラインに、半年後の舞台を夢みて日々研鑽を積む。「一流の授業」というものは、せめて半年かけて地味な準備を積むからこそ可能になるので、「全く予習をしないで授業に臨む」なんてのは、少なくともワタクシとしては信じがたい気がする。
太田屋
(味噌の老舗「太田屋」。左隣は和菓子の老舗「丹六園」である)

 というわけで諸君、そのためにもまず海鮮大王になりきることが重要だ。お腹を出来るかぎり減らすために、陸奥国一宮・鹽竈神社に向かって、塩釜の街の散策を開始した。

 有形文化財に指定された古い木造建築が続く。味噌蔵、醤油蔵、酒蔵。麹蔵、造り酒屋。発酵食品を扱う老舗商店がズラリと並んでいるのは、やはり鹽竈神社との関連なんだろうか。

 茶道に欠かせない銘菓「しおがま」も、発祥はこの街である。店の名は「丹六園」。創業は1720年頃。伊達藩には大きな廻船問屋が7軒存在したが、「丹六園」はそのうちの1軒であったそうな。

 どういう経緯で和菓子作りを始めたものか、そのへんに興味のある人は、グーグル先生に質問してみてくれたまえ。塩竈桜の紋を打ち出した、落雁タイプの和菓子である。漢字をあてて「志ほがま」または「志ほが満」。落雁は苦手だからワタクシは食べないが、いかにも由緒正しい店構えであった。

 そのお隣には、「太田屋」という味噌&醤油の老舗が並んでいる。「味噌ジェラート」のノボリをたてて、こちらはいくらかくだけた雰囲気。外国人観光客や若い人々も呼び込もうというスタンスのようである。

 ただし、うーん、味噌とジェラートの組み合わせとなると、どういうもんですかね。二の足を踏み、三の足も踏み、「ご遠慮いたします」「老舗は老舗らしいガンコなスタイルのほうがいいような気がします」とか呟いて、まあ要するに逃げ出した。
阿部勘本店
(造り酒屋「阿部勘」。ここのお酒を寿司屋で楽しむ予定だ)

「阿部勘」は、造り酒屋である。秋田人今井君は幼い頃から造り酒屋に馴染みがあって、小学校3年生のときに社会科見学で訪れたのも、秋田市土崎港「銀鱗酒造」だった。我が親戚にも造り酒屋が1軒ござるよ。

「阿部勘」は知る人ぞ知る銘酒、というか、もうとっくに有名になりすぎた感がある。「四季の松島」吟醸4合瓶を、このあと「すし哲」で味わうことになるのだが、味わう前にこうしてその本店を眺めておくのもいいものだ。

 寿司屋を予約した午後4時半まで、本塩釜駅前をブラブラしながら過ごす。6年前の大津波で、ほとんどの建物は1階部分が浸水。壊滅的な被害があったが、今はずいぶん復興が進んだようである。

「CHAMP」という名の大学受験塾が駅前で頑張っていた。なかなかの実績を張り出して、たくさんの生徒を待ち受けているようだった。「はっぱマーケット」と古い看板を掲げた市場は、地元の葉物野菜を山盛りにして意気盛んである。

 その他にも、焼き肉屋、ラーメンの「来々軒」、塩竈料理のお店、みんな意気軒昂であって、名店「すし哲」に勝るとも劣らない勢い。ワタクシもふとフラフラ「来々軒」に闖入しそうになるほどである。

 いかんいかん、今夜の企画はあくまで「海鮮大王」として竜宮城に乗り込む準備だ。それを忘れてはいかん。16時半きっかり、この日最初の客として、今井君はカウンター席の真ん中を占領したのである。
雲丹
(早速「殻つきウニ」を注文する)

 カウンターにはすでに職人3人が出て、下ごしらえを続けていらっしゃる。大大将は夜8時頃から出てくるので、今カウンターを仕切っているのは中大将である。

 大大将も中大将も、客を叱りつけたりするタイプの人ではない。愛想よく軽妙に会話に応じてくれて、誰でも楽しく寿司を堪能できる。ワガママを言おうが、「いかにもシロート」という注文をしようが、イヤな顔なんか絶対にしない。寿司屋の模範と言っていい。

 まず注文したのが、殻つきウニ・夏牡蠣2個、ぶどう海老2尾。続いてイワシの刺身、アジの刺身。さらに続いて、殻つきウニをもう1個。この辺から「このお客、ナンボでもウニを貪るぞ」と中大将が察知、若い職人にどんどんウニを剥かせ始めた。

 まもなくやってきた常連風のオジサマも、今井君のウニ将軍ぶりを見てとった。「スゲーな」「スゲーな」と頷きつつ、ホンの15分ほどで「おあいそ♡」と告げて出て行った。さすがに常連、風のように現れ、風のように去った。

 ビールを飲み干したウニ将軍は、「阿部勘 四季の松島」吟醸酒を4合瓶でお願いした。これを1時間弱で痛飲しながら、さらに&さらに殻つきウニをカラッポにし、ぶどう海老をもう2尾、チュルリと殻から吸い取った。

 そこへ「鬼殻焼き、どうぞ」と言って、海老の頭を焼いたツマミも運ばれてくる。ウニ将軍が海鮮大王に脱皮する瞬間である。こりゃいいですな、最高ですな。
ぶどう海老
(ぶどう海老。あまりに美しい)

「このところウニがとれてなくて、今朝ホントに久しぶりに入ったところです」「お客さん、今日いらっしゃって幸運でしたよ」と中大将がニッコリしてくれたのを合図に、今井君はそろそろ〆の握り寿司に移行する。

 いつも寿司屋に入って、全然お寿司を食べない。邪道だとは思うのだが、海鮮を好き放題ワシワシ&チュルリとやるうちに、我がポンポンは一杯になってしまうのだ。こうしていつも「握りは〆として」という流れになるのだ。

 実はこの段階で、「〆は『来々軒』のラーメンでもいいな」と思いはじめていたのだ。海鮮三昧から一気に転じて、熱い醤油ラーメンか味噌ラーメンも悪くないじゃないか。

 しかし海鮮大王への脱皮に、あんまり非常識なのもよくないだろう。ここは大人しく「コハダを3貫」と言ってみた。いやいや、別に大人しくないじゃないか。

 1貫ずつお願いするのが「通」の皆さんのやり方。回転寿司だって2貫ずつだ。それをいきなり「3貫!!」だなんて、非常識きわまりない。しかしさすが中大将、3貫なら3貫で、不思議そうな表情1つせずに、すぐに応じてくれた。

 こうして諸君、1週間も前から楽しみにしていた「すし哲♡2連発」、難度FからGぐらいの荒ワザであるが、ミス1つなく演技を完了した。みごと海鮮大王として帰京するわけである。

 まず仙石線で、本塩釜から仙台までスーパー激寝。続いて新幹線で、仙台から上野までウルトラ激寝。途中どこに止まってどこに止まらなかったかさえ、ちっとも記憶にない。こりゃ脳味噌まで海鮮になっちゃった可能性が「なきにしもあらず」である。

1E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 5/6
2E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 6/6
3E(Cd) Avner Arad:THE PIANO WORKS OF LEOŠ JANÁĈEK
4E(Cd) Akiko Suwanai:INTERMEZZO
5E(Cd) Akiko Suwanai:BRUCH/CONCERTO No.1 SCOTTISH
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