Sun 170521 冷夏1993/渇水の記憶/危機を新幹線で脱出/大阪・河内松原の大盛況 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 170521 冷夏1993/渇水の記憶/危機を新幹線で脱出/大阪・河内松原の大盛況

 出張ラッシュが始まり、東京にいる時間よりも、全国各地を闊歩ないし巡業している時間のほうが長い季節になった。

 ワタクシにとっては一応ありがたいことに、今年の夏はマコトに涼しい。「冷夏」という不吉なコトバが頭の中で点滅しはじめ、「寒さの夏はオロオロ歩き」と呟いては、人からデクノボウと呼ばれそうになる。

 朝の寒さと夜の寒さを感じるたびに、「これはヤマセが吹いてるんじゃないか」と独り言を言う。そんな毎日である。暑がりの今井君は、ちょっとでも暑いと汗マミレになり、シャツもスーツもどんどんダメになるから、涼しいのは心からありがたいのだが、やっぱり冷夏は心配だ。

 最近の冷夏で記憶に新しいのは、1993年である。2年前にフィリピン・ピナトゥボ火山が大噴火し、その火山灰が成層圏にまで達したのが原因。何と20世紀終盤の日本で「米騒動」が起こった。

 お米の市場は大混乱。何しろ作況指数が70台に落ち込んだ。ヤマセの影響をモロに受けた青森や岩手は、作況指数が約30。要するに「モミ殻は出来るが、殻の中にコメが入っていない」という状況である。

 当時は、細川内閣。懐かしい日本新党や新党さきがけの時代であるが、この事態を「タイ米の輸入でしのぐ」と決定。中国とアメリカとタイから、例のたいへん細長いお米を大量に輸入し、外食産業もこれを日本のお米にブレンドして事態を凌ごうとした。

 あの夏の記憶は、さすがに強烈だ。お米大好きな今井君なんかは、それこそそこいら中をオロオロ歩き回った。奇しくも、バブル崩壊の真っただ中。「旨い!!」とギョロ目を剥いてばかりのグルメ番組も(スミマセン、昨日の続きです)、経済崩壊の暗いニュースとボソボソなお米が原因で、ちっとも盛り上がらなくなった。
阿部野橋
(近鉄・阿倍野橋駅。JRと地下鉄は「天王寺」だが、近鉄は「阿倍野橋」。互いに第1志望をゆずらない。意地の張り合いは楽しいものである)

 そういえば今年は、雨も降らない。いつもそうなのだが、「梅雨入り宣言」と言ふものがテレビや新聞を賑わせると、途端に雨が降らなくなる。

 ワタクシは1990年と1994年の大渇水を記憶している。夏の水道水の泥臭さ&カビ臭さは、あれはトラウマだ。1ヶ月も取水制限が続けば、そりゃあの泥臭さも理解できないことはないが、炊いたゴハンまで泥臭くなっては、今井君の大好きなお茶漬けだって、ちっとも旨く感じられない。

 今はただ、「雨雨降れ降れ」と祈るだけである。別に「かあさんとジャノメでおつかい」は嬉しくないけれども、やっぱり梅雨の真っ最中なんだ、どうでもいいから雨雨降れ降れである。

 時代は、すっかり変わってしまった。「ジャノメって、何ですか?」と真顔で尋ねる人もいるだろう。ググってもらった方が早いけれども、さすがにビニ傘全盛の時代だ。ちょこっと説明しておいたほうがいいだろう。

 傘のテッペン、ツンツンした危険な部分がありますね、あれが「石突き」。油紙を張った紙の傘で、石突きの回りに丸いガラをつけたものがジャノメ傘。丸い輪っかがヘビの目のように見えたので、「蛇の目傘」と呼ばれた。「雨雨降れ降れ」「かあさんとお使い」のお子様も、そんな優雅なデザインの傘を、ママとおそろいでもっていたのだ。

 我々のイメージとはちょっと違って、結構エエトコの坊っちゃんないしお嬢さまだったのかもしれない。さすが「ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン」の世界である。
河内松原
(河内松原。今日もまた大盛況だった)

 さて、冷夏と渇水と両方心配しながら、6月12日のワタクシは今日も今日とて出張に出かける。目指すは大阪、12日が大阪・河内松原、13日が奈良・大和八木、14日が東京・北千住。オウチに帰れるのは14日の深夜である。

 こういう忙しい日々の中で、一番ヤメてほしいのが電車の「運転見合わせ」である。綱渡り的な移動の中では、いつでも危機管理能力が問われる。普段はタップリ時間の余裕をもって移動するように心がけている。

 しかし諸君、まさにその真っ最中に人身事故、長時間の運転見合わせ、そういう事態になることは少なくない。6月12日11時半、東京駅の山手線ホームで、いきなり電車が動かなくなった。

 いったん閉じた山手線のドアが再び開き、発車したばかりの京浜東北線は、最後部の車両がまだホームに残っている状況で緊急停止。上野東京ラインの電車が、神田ー東京間で緊急停止しているのも見えた。

 こりゃ明らかに異常事態である。さすが今井君は、ほとんど反射的に行動を開始。こういう時は最初の1歩こそが事態を制する肝心カナメであって、早くも階段を駆け下りたワタクシの背後で、ようやく「京浜東北線で人身事故が発生しました」のアナウンスが入った。
花束
(河内松原で、こんなキレイな花をもらった)

 こういう場合の首都圏のJRは、何でもかんでも「運転見合わせ」になる。京浜東北線の事故で、山手線も東海道線も止まり、高崎線も宇都宮線も、常磐線も横須賀線も、どういうわけだかみんな巻き添えでストップ、平気で1時間も2時間も動かなくなる。

 しかし諸君、ワタクシは羽田空港発13時のヒコーキに乗らなきゃいけない。暢気に運転再開を待つなどという状況ではないのである。階段を駆け下りながら、さまざまな選択肢を瞬時に検討する。

 どうしても12時30分までに羽田に到着したい。浜松町か品川までたどり着けば、そこからは20分の道のりだから、まだタップリの余裕が残っている。

 ① 宝町か日本橋まで歩いて、品川まで都営地下鉄浅草線を利用するのも選択肢。② 浜松町までタクシー、それも選択肢。しかし①では、例え冷夏でも汗まみれになるだろうし、②はオカネもかかり、我が「脱タクシー宣言」にも傷がつく。
はも
(河内松原の懇親会はお馴染みの「和味」にて。ハモの湯引き、たいへんおいしゅーございました)

 そこで諸君、今井君が選んだのは、③ 東京から品川までの新幹線利用。のぞみでもひかりでもこだまでも、新幹線ならたった6分で品川に着く。汗まみれにもならないし、自由席なら1030円で済む。6分のためにグリーン車だの指定席だの、そんな贅沢をしてどうすんだい?

 窓口で「品川まで自由席」と告げると、さすがのJR東海のオネーサマもビックリして、口をパックリ開けたまま、「品川で、よろしいんですか?」とお尋ねになる。「いま人身事故で山手線が止まっちゃいまして」と説明すると、やっとニッコリしてくれた。

 いやはや諸君、間に合うも間に合わないも、ヒコーキには異様なほど間に合った。ただ、釈然としないものもある。別にヒコーキに乗らなくても、あのまま新幹線の自由席に座っていれば、2時間半で新大阪まで行けたのである。

 品川で京急線に乗り換えて羽田に向かいつつ、「オレって、何でこんな苦労してんの?」と自問自答する。まあ諸君、カンタンに言えば「ヒコーキのチケットを無駄にしたくなかった」、ただそれだけのことである。

 こうしてワタクシは無事に大阪に到着。何しろ脱タクシーであるから、キチンと空港バスに乗り込んで、大阪梅田には15時に着いた。いったんインターコンチネンタルホテルにチェックイン、少しゆっくりしてから今日の仕事場に向かった。
宇宙征服
(河内松原「和味」にて。自分のサインが飾られているのは、マコトに嬉しいものである)

 梅田から地下鉄御堂筋線で天王寺へ。天王寺駅に直結した近鉄阿倍野橋駅から、準急電車に乗って河内松原へ。ギュッと直結しているのに、JRと地下鉄は「天王寺」、近鉄だけ「阿倍野橋」。「何でこんなに意地の張り合いなの?」であるが、ま、意地の張り合いも大事、意地さえ張らないようになったら、進歩も止まる。

 考えてみれば、河内松原ではつい半年前にも公開授業をやったばかり。半年前にも参加した生徒諸君が、今日もたくさん出席している。話が若干かぶっちゃうけれども、それはそれでどうしようもない。

 19時開始、20時半終了。出席者約110名、使用したテキストは「B」。最初から最後まで大爆笑が止まらないバージョンであって、60分を経過したあたりからは、激しい笑いに疲れ、顎も腹も背中も痛みだす。我ながら「やり過ぎか?」と思うぐらいである。

 ちょうど同じ時間帯に、我が新宿校では古文のスペシャル大先生が、LINE LIVEの収録を兼ねて公開授業を実施中。ワタクシも6月16日、同じ新宿校で、今井としては2回目になるLINE LIVEを収録する。

 首都圏に在住の読者諸君、立ち見や補助席でもよろしければ、ぜひ新宿に集結してくれたまえ。前回のLINE LIVEはたいへんな大好評で、16万人が視聴、「いいね」的反響も11万件だったそうな。今回も、1回目以上の濃厚濃密な熱い授業を期待していただいてかまわない。

1E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.2 & No.6
2E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.3, No.5 & No.8
3E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.9
4E(Cd) Gunner Klum & Stockholm Guitar Trio:SCHUBERT LIEDER
5E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.4
total m109 y969 d20927