Wed 170517 スマホで出来ない仕事がしたい/平野屋、400年の歴史(京都 鮎のうた1) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 170517 スマホで出来ない仕事がしたい/平野屋、400年の歴史(京都 鮎のうた1)

 6月5日、勤勉にも朝7時にオウチを出て、羽田空港に向かった。前日の新宿講演会は、とても久しぶりとは思えないほどの大成功。会場が大波に揺すぶられるように大きく揺れて、ワタクシ独特の自己満足は、強風の日のヤッコダコみたいに、ブワッと空高く舞い上がったのである。

 しかし諸君、やっぱり中年のオジサマであって、肉体の方はカンタンには回復しない。講演会後は、地元のラーメン屋で大先生たちと祝賀会(昨日の記事参照)。それも早めに切り上げたから、別に2日酔いではないのだが、ノドの調子が今ひとつ。声がノドに引っかかってガラガラ、いつもの美声♡には程遠い。

「朝7時の電車」というものも、何だか懐かしい体験だ。乗り込んだのは小田急線。しかし、うーん、車内を見回してみると、どうも昔より遥かに雰囲気が険悪になったように感じる。

 他者をギュッとキツく非難するタイプの視線が多い。右隣の人がイヤ、左隣の人間はもっとイヤ、後ろの人も大キライ。オジサマもオネーサマも、とにかく周囲の人の存在すべてに嫌悪を感じている感じ。嫌悪のカタマリのようなアリサマで、小田急線は不承不承に新宿を目指した。

 それでも電車内の状況は、むかしむかしに比較すれば、ずいぶん改善されたのである。1980年代とか90年代、首都圏を走る電車の混雑率は「200%」とか「250%」とか、驚くべき数字を連発していた。

「新聞を読む」なんてのはもってのほか。傘は折れ、靴は脱げ、鞄は手から離れて空中を浮遊、吊り革にさえつかまれなくて、人々は窓ガラスに両手をついて肉体を支え、目的地まで呻き声を漏らしつつひたすら耐えに耐えた。

 いわゆる「昭和の通勤地獄」であるが、それでも車内には「同志」「同僚」「戦友」の熱い一体感が溢れていた。「お互いたいへんですね」「耐えるしかありませんよ」「目的地まで一緒に頑張りましょう」。もちろんケンカや言い合いが始まることはあったが、車内で交わす視線にはある種の温かみがあった。
平野屋
(京都あだし野の鮎料理「平野屋」。400年続く名店である。「志んこ団子」も有名。今の女将は14代目なんだそうな)

 2017年6月5日、小田急線車内は昔に比べれば遥かに楽なスキスキの状態。目分量だが、乗車率も7割から8割程度。鉄道会社の長年の努力が実りつつあるように思われた。

 ところが、である。新聞を大きく広げる余裕さえ感じる車内を支配しているのは。ひたすら敵意、ないし嫌悪感なのである。

 車内に横溢する敵意の総量を、もしも数量化できるとしたら、そりゃ諸君、まさに「膨大」という形容に値する。敵意のエネルギーを電力に変えられたら、それだけで電車の運行が可能なんじゃないか。ある意味エコ、そんな状況なのだった。

 そんなに嫌悪丸出しの顔で、いったい何をやりたいのかと言えば、結局は「スマホいじり」である。乗り込んだら、まずはコワーい視線を周囲にギュッと投げかけ、それから手にしたスマホをネロネロ/ヌルヌル/ポチポチ、各自の流儀でニンマリいじり始める。

 要するに世界の中心はスマホであって、スマホを入口にした世界なり「輪」なり「つながり」以外は、すべて異質で無意味で無関係な世界なのだ。

 物理的にどんなに近くても「そんなのカンケーネー」。むしろ近ければ近いほどキライ、ないしはムカつく。いやはや、みんなスゴくコワい顔で新宿までの5分を耐えぬくのであった。
中庭
(京都あだし野・平野屋、お庭もマコトに優雅である)

 ワタクシは、これから京都に行くのである。新宿で小田急線を降りて、バスタ新宿から羽田空港までバス。羽田 ☞ 伊丹は貯まったマイルを利用して0円飛行。0円飛行が可能だからこそ、今回の京都散策を企画したのである。

 しかしバスの中も、人々はひたすらスマホ。羽田のラウンジでもスマホ。最近は「仕事は全部スマホでできる」「スマホで出来ない仕事なんかない」と豪語する超有名人までいらっしゃって、もちろんその人物の本もスマホで読める。

 一方の今井君としては、別にアナログ人間であることに変なプライドを持つわけではないけれども、「スマホで出来る程度の仕事なら、他の人に任せた方がいい」「スマホでは出来ない仕事しかやりたくない」というタイプである。

 まあ諸君、例えばこのブログを見てくれたまえ。これはスマホでは書けませんよ。1回や2回なら書けても、これを9年、すでに合計3300回。スマホ画面をいくらヌルヌルやっても、A4版で1日3枚 × 3300回 = 10000枚。文庫本に換算して2万ページ ☞ 100冊分。ほら、スマホじゃできないでしょ。

 それを「アホか」「くだらねー」「時代遅れ」「誰にも読めねーよ」と、冷たく嘲笑するのはもちろん自由。しかしとにかくユニークであることは間違いない。誰にもマネの出来ないこと以外、少なくともワタクシはやりたくないのだ。
前菜
(まず前菜として、タップリの山菜が供される。詳細は明日)

 シューカツ中の諸君にも、来年・再来年・3年後にシューカツを控えている諸君にも、このスタンスは間違いなく大きなヒントになると思う。ぜひ面接でギュッと発言してみたまえ。

「スマホで出来る仕事はやりません」
「それは他の人に任せます」
「スマホでは出来ない仕事を選んでやりたいと思います」

 おお、なかなかユニークな人財じゃないか。その結果、20世紀的ショムニな職場に回されたとしても、周囲の99%とは完全に異質。ユニークな人生を歩めることは確実だ。

 というか、スマホで出来る仕事しかさせてくれない職場だとすれば、それは諸君、諸君をその程度の人材として扱いたいヒトビトだという証拠と言っていい。

 スマホの言いなり、スマホの使用人、スマホの奴隷。今や人間の奴隷化が急速に進行中なんじゃないかと、ワタクシは危惧している。「スマホは1日1時間」「手書きバンザイ」。そういう人生にしないかね。

 そこへいくと、「休日に日帰りで京都に出かけ、あだし野の奥の歴史ある店で鮎料理を満喫する」などというフザけた行動については、いくらスマホ君が頑張っても、余計な口出しなんか出来るものではない。

 京都までのタクシー予約には、まあスマホ君の仕事の余地を残しておいたが、それ以外は絶対に全て自分でアナログに計画。6月の京都で鮎を味わうとすれば、スマホの介入が小さければ小さいほど、鮎の新鮮さが増すというものだ。
せごし
(初夏限定「鮎の背ごし」。詳細は明日)

 化野念仏寺を左に見て、静かな坂道をもう200メートルほど上がっていく。昨年11月、紅葉の京都を訪ねた時に、MKタクシーの運転手さんに紹介してもらった店である。「冬はボタン鍋ですが、初夏からの鮎は絶品です」。そう教えられて半年、待ちに待った初夏がやってきた。

 お店は「平野屋」。この場所で400年、江戸時代に入るか入らないかの大昔から、静かに鮎料理を出しつづけている。鮎は、保津川から運んでくる。保津川下り、トロッコ列車、そういう楽しみだって、今日の旅に追加できるのである。

 愛宕神社は、「火の要慎」の神。平野屋は、その愛宕神社の一の鳥居のほとりにある。元は鮎問屋と茶店を兼ね、「志んこ団子」もこの店の名物。愛宕街道をゆく旅人に、甘さ控えめのお団子を供しつづけてきた。

「お伊勢七たび、熊野へ三たび、愛宕さんへは月まいり」と言う。さすが火の用心の神さま、愛宕神社は大昔から大人気なのである。もしホントに「月参り」なら、1年に12回。人生50年の時代でも、一生に600回もお参りした人がいたかもしれない。
塩焼き
(クライマックスは、もちろん「鮎の塩焼き」。詳細は明日)

 店のHPによると、現在の女将は14代目なんだそうである。足利幕府でも江戸幕府でも、脈々と続いて「14代」となると「そろそろ終わりかね」な感じ。しかし諸君、平野屋の店内に一歩踏み込んでみたまえ。こんな穏やかな店なら、まだまだ200年は大丈夫そうだ。

 今井君の肉体は言語道断に硬いから、「お座敷」は鬼門である。全国を公開授業で回る季節、祝勝会・懇親会・祝賀会が、「畳のお座敷」とか「板の間にザブトン」とか、そういうお店だと1時間で肉体がパンクする。

 鮎の店でも同じこと、万が一「お座敷しかありません」と冷たく言われたら、せっかくの日帰り旅が台無し、脚と背中が悲鳴をあげかねない。

 しかしさすが14代目女将、お団子で400年も旅人を和ませつづけた店の対応は別次元だ。まさに「神対応」であって、金棒なみにガチガチ硬い肉体の今井君は、「テーブル席もございます」のヒトコトで、おお、天国に導かれたような幸福に浸ったのだった(明日に続く)。

1E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO
2E(Cd) Indjic:SCHUMANN/FANTAISIESTÜCKE CARNAVAL
3E(Cd) Argerich:SCHUMANN/KINDERSZENEN
4E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.1
5E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.4
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