Mon 170501 旧も満喫/横の世界史/冷えたビール/ビョン(キューバ&メキシコ探険記11) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 170501 旧も満喫/横の世界史/冷えたビール/ビョン(キューバ&メキシコ探険記11)

 あんまり暑いものだから、せっかくチチェンイツァを訪れた観光客も、ピラミッドと「戦士の神殿」と「聖なる泉セノーテ」ぐらいをパパッと見て、それだけでもうどんどん帰ってしまう(スミマセン、昨日の続きです)。

 中でも団体ツアーの人々は、引き上げるのがたいへん早い。マコトに淡白である。というか、バスからここまで歩いてきた段階で、もうすでにウンザリしている。

 ピラミッドを仰ぎ見て、キャーキャー言いながら皆で拍手して、拍手の音が見事に反響するのにまたキャーキャー騒いだあたりで、「もう帰ろうよ」「暑い、暑すぎる」なモードがグイグイ高まっているようだ。

 しかし諸君、この今井君は何しろサトイモだ。シツコサが違う。しかも昨日の午後はカンクンのビーチを満喫して、焦げ茶色のこんがりホットなサトイモ君に変貌している。シツコサもまた格別なのである。

 チチェンイツァには、「新」と「旧」がある。この場所が栄えた時代が2回あって、ピラミッドや球戯場があるのは「新チチェンイツァ」。栄えたのは10世紀以降であって、日本で藤原君たちの摂関政治が隆盛を迎えていた頃のマヤ文明なのである。

 一方、あまり観光客が行かない静かなスポットがあって、こちらが6世紀の「旧チチェンイツァ」。6世紀って、西ローマ帝国がとっくの昔に消滅し、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝が「ローマ法大全」の編纂を命じ、中国で隋の大帝国が生まれ、日本はいよいよ推古天皇の即位に向かう時代である。
タコス
(チチェンイツァでメキシコ初タコスを貪る。鶏タコスである)

 世界史の先生たちがよくおっしゃる「ヨコ」をやってみたわけであるが、いやはや目が回る。ササン朝ペルシャはホスロー1世が即位して隆盛期を迎え、九州では磐井の乱、世界の西の果てではフランク王国が台頭、「ナスカの地上絵」なんてのもこの頃だ。おや、隋は科挙を始めたぞ。

 昔から今井君は「ヨコ」が大キライ。やっぱり歴史はスパッと整理した「タテ」がいいじゃないか。こんなに目が回ったんじゃ、「歴史は覚えることが多くてキライです」という人が続出する。

 先生は「覚えるんじゃない。理解が大切なんだ」とか「論理が大事です」とか、ニッコリ優しく笑って帰っていくが、そのくせ中間テストや期末テストでしっかり記憶を試してくるじゃないか。

 たいへんだ、6世紀、インドではグプタ朝が滅亡。日本には仏教伝来。ナニワに四天王寺、飛鳥に法隆寺、ありがたーいお寺がニョキニョキ造営され始める。

 アジアの北方には「突厥」「柔然」。メキシコとインドネシアで火山の大噴火、シリアで大地震、東ローマ帝国でペスト。うにゃにゃ、6世紀の人間たちも悪戦苦闘の日々を繰り返していた。「ヨコの世界史」をやって痛感するのは、「みんなたいへんだ」という不変&普遍の真理である。
天文台
(6世紀の旧チチェンイツァ、「天文台」。カタツムリの意味の「カラコル」と呼ばれる。精緻に計算し尽くされた設計について、興味のある人はグーグル先生にどうぞ)

 はてさて話がすっかりそれてしまったが。10世紀の「新チチェンイツァ」に対する6世紀の「旧チチェンイツァ」は、世界史をヨコに見れば以上のような時代にユカタン半島で栄えた、たいへん古い文明である。

 その後7世紀までこの地で隆盛を誇ったけれども、その後いきなり歴史から完全に姿を消したのである。昭和の日本人がよく使った副詞に「忽然と」というのがあったが、まさにコツゼンと1つの文明が消滅した。

 300年の時を経て、再び姿を表したチチェンイツァは、ググッと好戦的になって戻ってきたようだ。昨日も書いた通り、遠慮会釈もなしにヤタラに血なまぐさい。湯気をあげて流れる熱い血潮が川をなし、この土地全体が鉄のニオイに満ちていたはずだ。

「戦闘部族トルテカの影響」ということらしいのだが、生け贄・人身御供・ドクロの山・処刑、やっと球戯に勝利しても「栄光をになって斬首」。神殿でも、羽毛のヘビとジャガーが大活躍する余りに勇ましい軍事国家になってしまった。

 ワタクシは、もっと穏やかな文明がいい。「旧」のつくほうの6世紀チチェンイツァは、同時代の地球の異変や人類の激烈な戦いをよそに、優しく平穏な繁栄を続けていたようである。

 だから遺跡にも、軍事色はあまり感じられない。「天文台」「尼僧院」「高僧の墳墓」。間違っても「生け贄のまだ動いている心臓を捧げる」「人身御供を泉に投げ込む」などというオソロシー場面を想起させることはない。どこまでも優しく静穏であって、そのぶん観光客が殺到することもない。
高僧の墳墓
(旧チチェンイツァ、6世紀の高僧の墳墓)

 ほとんど人影のない「旧」チチェンイツァまで律儀に全て見て回って、さすがの今井君も疲労困憊である。「こまめな水分補給」☞ 略して「こまスイ」に努めてきたが、何しろ土産物屋の誘いが暑苦しくて、その暑苦しさで熱中症になりそうだ。

 14時半、遺跡の入口のレストランに突進。帰りのバスの出発まで1時間の間に、どれだけビールが飲めるかの勝負である。「勝負」も何も、別に誰かと勝った&負けたのせめぎあいをする必要はないのだが、「こまスイ」の一環として、泡立つ黄金色の水分をたっぷり補給してからバスに乗りたい。

 注文したのは、もちろんまず「コロナ生」。メキシコに到着してすでに2日、まだ「コロナ」を口にしていなかったのは、ほとんど奇跡と言っていい。ついでに、「鶏肉のタコス」を1皿。それが今日の写真の1枚目だが、まさかこんなにボリュームがあるとは予想もしなかった。

 そして諸君、コロナが来た。ギュッと冷えたコロナビールの旨いのなんの。メキシコ・ギリシャ・トルコ、暑いことを国民が自覚しているそういう国々は、とにかくビアをギュッと強烈に冷やしてくれるのが嬉しい。

「ビールには適温があります」「冷やしすぎちゃいけません」。そういうコムズカシイことをホザイて、結局要するに生温いビールなんか出すようじゃ、お客のニーズをちっとも分かってくれていないのだ。ビール通とか呼ばれなくていいから、とにかく氷水や冷凍庫でギュギュっと冷やしてほしいじゃないか。
コロナ生
(何が何でもコロナ生。うみゃーていかんわ)

 ウェイトレスのオバサマが異様なほどに熱心なのも、嬉しかった。視線が合うや否や、飛んでいらっしゃる。身長150cmあるかないかの小柄なオバサマなのだが、いつも今井君の視線を気にかけてくれていた。

 視線を向けるか向けないうちに、まるでアクセルをグイッと踏み込んだように飛びだしてきてくれる。「ビュン」というか「ビョン」というか、強力なバネの存在を感じさせる。そして笑顔を忘れない。

 遥かな東洋から訪ねてきてくれたお客に、少しでも失望を感じさせたくない。そういう気迫が全身に漲っているのである。それに応えて、もちろん今井君の側でもどんどん遠慮なく注文を続ける。

 まず「コロナ」をオカワリ。まだ「コロナ」をオカワリ。何しろ新旧のチチェンイツァで目いっぱい汗を流した直後だ。こまめな水分補給も大切だが、グイグイ楽しく補給するのもまた素晴らしいじゃないか。

 そうこうするうちに、タコスのほうは味も分からないでみんな飲み干してしまった。お腹もパンパン、「もうこれ以上なんにも入りません」という状況に陥ったが、それでもあの熱心なオバサマにもう一度「ビョン」と飛んできてほしい。
テキーラ
(メキシコで初、テキーラと塩とライム)

 一計を案じた今井君は、「せっかくのメキシコだ」「テキーラ!! という手があるじゃないか」と気がついた。テキーラ、ストレート。塩とレモン、あるいは塩とライム。メキシコに来たら、やっぱりテキーラをグイッとやらなきゃいかん。

 それが今日5枚目の写真である。グラスは目いっぱい上げ底。なみなみと入っているかに見えたが、ホンの1口でカラッポになっちゃった。それでもちっともかまわない。ワタクシは、優しいオバサマの「ビョン」にすっかり癒されていたのである。

 だから帰りのバス3時間は、たいへんグッスリ眠れたのである。ただし
① バスがどこから出発するのか分からずに、他の乗客とともに右往左往した
② バジャドリードの街まで1時間、ユカタン半島の田舎町の風景を堪能
③ 激しいスコールに襲われ、バスのドアにスキマがあって、雨が吹き込みそうになった
の3点、なかなか深く記憶に食い込む長いバス旅であった。

1E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.8
2E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.9
3E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.10
6F(Cp) New History of World Art 1:先史美術と中南米美術:小学館
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