Sat 170429 チチェンイツァ/バジャドリード/ジャガーの笛(キューバ&メキシコ探険記9) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 170429 チチェンイツァ/バジャドリード/ジャガーの笛(キューバ&メキシコ探険記9)

 カンクンからチチェンイツァまでは、バスでまるまる3時間の道のりだ。カンクン発・朝8時45分のバスに乗っても、チチェンイツァに着くのはお昼前。それも「全く遅れなしに時刻通りに運行」という、世界中で日本以外には考えられない離れワザを演じてくれた場合に限る。

 しかも諸君、カンクンからチチェンイツァへの直通バスは、8時45分発の1本のみ。帰りもチチェンイツァ発15時30分の1本のみで、それに乗り遅れたら「帰ってこられない」「ユカタン半島のど真ん中で置き去りにされる」。ほとんど「命からがら」の世界である。

 命からがらなら命からがら、「覚悟はいいか?」と自らに厳しく尋ねてみる。朝食は、たっぷり貪った。パパイヤとマンゴーと生ハムとチーズ、ついでにパイナップルとブラックベリーもタラフク詰め込んで、ちょっとやそっとの置き去りでも、何とか命はつなげそうだ。

「小銭はあるか?」。これもまた重要である。大っきなゼニばかりだと、ユカタン半島の真ん中で置き去りにされた場合に水もコーラもビアも買えない。今日もホテルの両替屋で、100ペソ札を20ペソ札×5枚に替えてもらって、これで用意万端、置き去りの危機にも落ち着いて対応できそうである。

 ホテル前から、路線バス「R1」に堂々と乗り込んだ。相変わらず降り方が難しいが、とにかく運転手さんにグイグイ肉体を押し付けるようにして、「降ります」「降りるんでござるよ」「降りるんでげす」と、暑苦しい湯気の迫力でその意志を伝達する。

 どんなにメキシコ音楽のボリュームが大きくても、決してひるんではならない。ムラムラ&モワモワ暑苦しく、
「どうしてもセントロのバスターミナルで降ろしてもらわなきゃいかんのです」
「8時45分のバスでチチェンイツァに行かなきゃならんのです」
熱い蒸気が噴き出すような勢いでドライバーに迫る。
チチェンイツア1
(4月13日、チチェンイツァの神殿を目指す)

 バスは、ADO社が運行している。バスターミナルのスピーカーは「アデオ」「アデオ」「アデオ」と連呼して、ADOのバスが間もなく出発することを告げている。

 同じ時間帯に同じADO社のバスが ① カンクン空港 ② プラジャ・デル・カルメン ③ チチェンイツァの3方向に向かって出発するから、ターミナルの乗客は大混乱に陥っている。アナウンスもよく聞こえない。

 諸君、スペイン語の「yo」は「私」の意味であるが、これを「ヨ」と発音するか「ジョ」と発音するか、スペイン語の先生の間でも意見が厳しく分かれている。「llo」も同様で、「ヨ」派と「ジョ」派の対立はマコトに激烈なものがある。

「ya」と「lla」の場合も同じであって、「ヤ」を支持する人と「ジャ」を支持する人とが、激しい反目を続けている。そりゃそうだ。何しろ基本中の基本 ☞「ワタクシ」が、「ヨ」の発音と「ジョ」の発音に2分されるのだ。混乱はマコトに大きくなる。

「お城」の場合にも全く同じ対立が起こる。スペイン語のスペルは「Castillo」。語尾の「llo」をめぐって、「カスティーヨ」派と「カスティージョ」派の激しいせめぎ合いが発生する。何しろ問題は「お城」の発音。攻める側も守る側もたいへんガンコであって、双方なかなか譲る気配がない。

 今井君が数百年前に学校でスペイン語を習った時には、センセが「ジョ」「ジャ」の支持者だった。センセは非常に厳しい口調で「ヨ」「ヤ」派を攻撃するのだった。

「世の中には『ヨやヤの発音のほうが美しい』とか主観的な判断基準で決めようとする人がいらっしゃいますが、そもそも『美しい』などという一方的な判断基準がまかり通るのはおかしいのでございます」。先生は相当カッカされていたようである。

 メキシコで聞いた「Playa」の発音は、ハッキリと「プラジャ」。ガイドブックには「プラヤ・デル・カルメン」と印刷されているが、バスターミナルの係員もバスの運転手さんも、異様にハッキリと「プラジャ・デル・カルメン」と発音していたのである。
チチェンイツア2
(チチェンイツァ、戦士の神殿。詳細は明日)

 そういうことに夢中になっているうちに、ワタクシはバスに乗り損ねそうになった。同じ8時45分発、向かって右がチチェンイツァ行き、向かって左がプラジャ・デル・カルメン行き。プラジャ・デル・カルメンは、ヨーロッパのヒトビトに一番人気のリゾートである。

 やっとバスに乗り込んでみると、全ての窓にカーテンがギュッと下ろされていて、せっかくのバス旅なのに「決してカーテンを開けてはいけません」という雰囲気。何しろ凶悪犯の多い国だから、「もしやカーテンなんか開けたら危険なのかも」「強盗に狙われやすくなっちゃうのかも」と、余計な気を回した。

 しかし何のことはない、車内で映画を上映するというだけの話である。メキシコみたいな太陽カンカンの国では、バスで映画を上映するにも、「カーテンで真っ暗にしないと画面が見えません」。要するにそれだけのことであった。
バス
(ギュッとカーテンを下ろしたバス。開けるのに、ちょっと勇気が必要だ)

 ここからのバスの車窓が、異様なほど退屈である。モロッコの時は、同じ3時間でもその荒れ果てた砂の荒野の風景に感激したものだった。バスが立ち寄った小さな街こそ、モロッコの旅のクライマックスだったと言ってもいい。

 ところが諸君、チチェンイツァに向かうユカタン半島の道は、約2時間にわたってどこまでも灌木と雑草に視界を遮られ、荒野さえも見えない。その灌木と雑草にも「いかにもメキシコらしい♡」みたいな特徴は全く見られないのである。例のサボテン君も姿を見せてくれない。

 そういう一直線の道を2時間、やがてバスはトイレ休憩を兼ねて「バジャドリード」に停車する。スペルは「Valladolid」、スペインにも同じ名前の街があるが、こちらはメキシコのValladolidだ。

「バジャドリード」、もちろん「バヤドリード」という発音に固執する人もいる。「lla」が「ヤ」か「ジャ」かの論争は、こんな田舎町まで来てもまだ終わらない。ここでバスは若干の乗客を降ろし、若干の乗客を新たに乗せて、一路チチェンイツァに向かうのである。
車窓
(バジャドリード風景)

 この街から、車窓への興味は俄然グイッと増してくる。「何だ?」「何だ?」「何じゃこりゃ?」であって、いやはや、まるで遥かなマヤ文明のど真ん中に投げ込まれたような衝撃でいっぱいだ。

 諸君、もしも近い将来チチェンイツァに旅することがあったら、バジャドリードから先の車窓を見逃してはならない。「バジャドリードを過ぎたな」と思ったら、居眠りなんてのはもってのほか。意地でも車窓にクギヅケになりたまえ。

 ワタクシとしては、チチェンイツァの遺跡以上に、バジャドリードからの車窓に熱く感動&感激したのである。ホンキの茅葺き屋根が延々と続き、小学校も中学校もホンキの茅葺き。食料品店も「カフェ」も普通の住宅も、窓ガラスなしの茅葺きがズラリと並んでいる。

 そういう風景に1時間弱見とれているうちに、いつの間にかバスはチチェンイツァに近づいていた。今日の写真5枚は、まあチチェンイツァ定番の5枚である。
手を叩く
(ピラミッドの前で手を叩くヒトビト。詳細は明日)

 しかしとにかくまずはチケットを購入しないと、遺跡も何もあったものではない。その長蛇の列たるや諸君、「いったいどこが最後尾?」であって、最後尾を探すだけで朝食の栄養を全て使い果たし、ふとその辺にしゃがみ込んでしまいそうになる。

 しかも長蛇の列に沿って延々と土産物屋が続く。正確には、土産物屋に沿ってどこまでも列が続いている。その土産物屋がヤタラにうるさい。ジャガーの吠える凶悪な声をマネたオモチャの笛があって、そこいら中の店で「ムンギャギャギャー」「ムンギャギャギャー」「ガオギャギャギャー」と奇声を発している。

 チケットの列に並んだ人々は、もちろんそんなオモチャには見向きもしない。ウンザリした顔を向けるだけである。購入するとして、日傘・ソンブレロ・「こまめな水分補給」のためのお水。しかし店のヒトビトは、全くめげる様子もなく「ムンギャギャギャー」「ガオギャギャギャー」をやりつづけている。

 チケットを買うまでに、まるまる30分。やっとのことで遺跡に入った時には、もう1時を回る頃であった、疲労困憊、目もくらむほどビールを飲みたくなった状態で、ようやくワタクシはチチェンイツァのピラミッドに突進したのである。

1E(Cd) Rilling:MOZART/REQUIEM
2E(Cd) Jochum & Bavarian Radio:MOZART/THE CORONATION MASS
3E(Cd) Kremer:MOZART/VIOLINKONZERTE Nos. 2 & 3
4E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.1
5E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.2
total m153 y695 d20653