Sun 170416 今日は写真8枚/ファティマの手/タジンで温まる(モロッコ探険記41) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 170416 今日は写真8枚/ファティマの手/タジンで温まる(モロッコ探険記41)

「写真は1日5枚」と決めたのは何年前だったろうか。ワタクシはマコトにガンコに出来ているので、いったん自分で決めたことは、滅多なことでは変更しない。5枚なら、絶対に5枚。「帰国報告」の日だけを例外にして、5枚と決めたんだから意地でも5枚。その他の例外は認めない。

 このガンコさは何なんだ? 自分でもよく分からない。「毎日A4版で3枚」と決めたのも同じ頃。海外にいようが、日付変更線を跨ごうが、ネット環境がどんなに劣悪な国に滞在していても、写真5枚、文章はA4版3枚。網膜剥離の手術をして入院していた時でも、そのへんの意地は貫いた。

 そもそもこのブログそのものが意地の産物と言っていい。今から約9年前、正確には8年11ヶ月前、「10年続ける」「1日も休まない」「3652回の更新を行う」と宣言して始めた。あと約1年しか残っていないが、どうやら意地は貫徹できそうである。
博物館
(最終日、見残していた「マラケシュ博物館」で雨宿りする)

 しかし諸君、今日だけはちょっとした例外を許してくれたまえ。「写真8枚」、普段より3枚多いが、今日だけの例外だ。認めてくだされ。

 だって、あんまり寂しいじゃないか。大型連休が終わって、メソメソやションボリを満喫しているうちに、世間の人々はどんどん力強く日常生活に戻って、たゆまぬ邁進を再開した。今井君一人、まだ超大型連休気分。次のお仕事は、6月4日までありませぬ♡

「世の中に置いていかれた」「みんなの背中が遠ざかる」。足許の砂が引き波にスーッとさらわれて、カラダが砂の中に沈んでいく感覚。こういう時には、ホンのちょっとの例外で、写真は多め・お酒は濃いめ・紅茶は甘め・音楽のボリュームも大きめ。そういうことをやってみる。

 しかも諸君、これはあくまで偶然だが、寂しさを助長するかのように、「モロッコの旅の記録も、まもなく終わり」「冷たい雨の最終日」ということになってしまった。

 旅の終わりの日の記録、しかもその日の冷たい雨の記憶、そういうものが重なれば、寂しさはどんどん募って当然だ。今のワタクシのションボリ感は、写真でも多く掲載しないととても解消できそうにない。
水盤
(博物館は、もともとは宮殿 ☞ その後は女学校として使われた。水盤もマコトに美しい)

 1月19日、モロッコの旅の14日目、とうとうマラケシュで雨が降り始めた。マラケシュの雨は珍しい。「すぐそこはサハラ砂漠」という町だ。まさか冷たい雨に遭遇するとは思わなかった。

 正午ごろまでは、「折りたたみの傘があると安心でしょう」という程度。しかし時間が経過するにつれて「しっかりした傘が必要です」から「傘があっても濡れてしまうほどの強い雨」と、どんどん降り方がヒドくなってきた。

 こうなると、もうスークも迷宮も何もあったものではない。道はあっという間に泥だらけになり、泥は溝からあふれ、そこいら中が水たまりになって、自転車やバイクが通るたびに泥水を大きくはね上げる。

 スークの店という店が、大慌てである。商品はみんな道路に張り出すように山と積み上げられている。革のバック類、革のスリッパ類、ジュータンに衣料品、どれもみんな雨に濡れたら一大事。大わらわで屋根の下に運び込む。

 と言っても、マトモな屋根なんか、存在しないのである。屋根の下に運び込んでもやっぱり濡れる。しかし濡れはしても、はね上げられた汚い泥水にやられることはない。たくさんの野良猫に野良犬が闊歩する街の泥をかぶったら、取り返しがつかないに決まっている。
ファティマの手1
(美しい「ファティマの手」に感激する 1)

 ワタクシとしても、まさかこんな大雨の中で暢気に町歩きなんか続けていられないから、とりあえずチャンとした屋根の下に隠れることにした。

 それが「マラケシュ博物館」。2週間も滞在すれば、もうさすがに「見るべきほどのものは見つ」であるが、それでも1つ残っていたのがこの博物館である。

 神学校ベン・ヨーセフ・マドラサのお隣、元は19世紀後半に建てられた宮殿である。1956年、モロッコが独立した後は、しばらく女学校としてつかわれていた。マラケシュ初の女学校である。

 やっぱり元は宮殿であるから、女学校とは言っても、ちっとも学校っぽい雰囲気はない。大広間の装飾はサトイモ入道も息をのむほど美しい。広間の中央の水盤を見ると、確かに授業前には必ずこんなキレイな泉で両手を清めたくなりそうだ。さぞかし冷たくて爽やかな水だろう。

 いちおう「博物館」だから、古地図やら豪華な衣装やら刀剣類も展示されている。その中でも、たくさん並んだ「ファティマの手」に感激する。今日の写真の3枚目と4枚目である。
ファティマの手2
(美しい「ファティマの手」に感激する 2)

 ファティマとは、マホメットの4女。慈悲深い女性で、生涯を通じて社会奉仕に尽力した。優しく我慢強かったファティマの手は、① 幸福を呼ぶオマモリとして、② 魔除けとして、イスラム社会で広く用いられているんだそうな。

 オマモリとしても魔除けとしても、身につけて歩いてもいいし、オウチのドアにぶら下げて、ドアノッカーとして使うこともできる。マラケシュでもフェズでもエッサウィラでも、いろんなデザインのファティマの手が、家々のドアに飾られているのを目撃した。

「ファティマが祈ると、砂漠に雨が降った」という言い伝えもある。ファティマさまは、災害も不幸も人間の悪意も、みんなはねのけてくれる。誠実で、信心深くて、何よりも優しい手をもっていらっしゃる。人々から長く愛されて当然の人である。

 今日マラケシュに雨が降ったのも、実はファティマのお恵みなのかもしれない。そりゃそうだ、砂漠の近くの街だって、1年に何度かはこういう雨に泥や埃を洗い流してもらわなきゃ、いろいろ悪いものがたまるかもしれないじゃないか。
雨模様
(雨に濡れるジャマ・エル・フナ広場)

 こうして1時間半ほど雨宿りをしたが、雨は一向に止む様子がない。風も強くなって、傘をさしてもあっという間にずぶ濡れになりそうだが、思い切ってジャマ・エル・フナ広場まで戻ることに決めた。

 気温が下がって、雨はそのうち雪になるかもしれない。北国出身の今井君の鼻が、雪の可能性を感知したのである。こういう時は、熱い飯をワシワシむさぼって、とにかく肉体を内側から温めるに限る。

 そんな冷たい雨だから、客引きもあんまり出ていない。客引きのいないモロッコなんて、ちっともモロッコっぽくないが、客引きもヘビ使いもいないし、ヘビ売りもサル回しも、みんなどこかに姿を消した。
タジン屋
(このお店で温まっていくことにする)

 フナ広場は、フナ広場とは思えないほど静まり返って、欧米からの観光客も、ワタクシに負けず劣らず途方にくれ、雨に濡れてブルブル震えている。欧米の人たちがこんなに寒がるなんて、真冬のベルリンやライプツィヒでも見たことがない。

 それでも何とか1人の客引きと目が合って、今日の写真6枚目のお店に逃げ込むことができた。店の名は「Taj’in Darna」。おお、助かった。

 店内は、逃げ込んだ欧米人でいっぱい。超満員だから、料理が出てくるのに時間がかかっているらしい。隣のテーブルのジーチャンとバーチャンも、そろそろ諦め顔でネコを撫でている。
雨宿り
(ネコも濡れていた)

 ネコも寒そうだ。雨がどんどん吹き込んで、店の床もびしょ濡れ、水たまりみたいに光っている。ネコの足が水に濡れて可哀そうだが、この大混雑じゃ、座り込んだネコどんを助けてあげることもできない。

 注文したのは、ラム肉と塩レモンのタジン。やっぱり寒いんだろう、もうもうと湯気が上がる。ラムは熱くて硬いが、今のワタクシはこれを思い切りワシワシ咀嚼できる。あんなに重症だった口内炎は、旅の終わりの日になって、ほぼ完治した。悔しくないこともないが、まずは一安心である。
タジン
(ラムと塩レモンのタジン。おいしゅーございました)

 ただし、やっぱりマラケシュでやり残したことがある。有名な夜の屋台のジャンク料理を、たっぷり味わうことができなかったのだ。もっとずっと硬いラム肉の串焼き。カタツムリの煮込み。どんな鳥だか分からないが、とにかく鳥の肉の串焼き。フェズの肉屋で、たくさんのハトが売られていたのを思い出す。

 降り続く雨を眺めながら、「マラケシュにはもう1回訪れるしかないな」と考える。フナ広場の屋台で、思う存分ワシワシやりまくりたい。それを次回の旅の楽しみに、それではそろそろホテルに戻って、帰りの荷造りに励もうじゃないか。

1E(Cd) Rampal:VIVALDI/THE FLUTE CONCERTOS 2/2
2E(Cd) Anne-Sophie Mutter:VIVALDI/DIE VIER JAHRESZEITEN
3E(Cd) Krause:BACH/DIE LAUTENWERKE・PRELUDES&FUGEN 1/2
6D(DMv) DRUIDS
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