Thu 170413 め組の喧嘩/干しぶどう再説/モロッコ少年団の喧嘩(モロッコ探険記38) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 170413 め組の喧嘩/干しぶどう再説/モロッコ少年団の喧嘩(モロッコ探険記38)

 諸君は、大人数のケンカというか大乱闘というか、そのたぐいのものを目撃したことがあるだろうか。「目撃どころか、参加したことが何度もあるでよ」という困った人も多いだろうし、「いつでも仲裁の側に回っています」という勇ましい女子なんかも存在するだろう。

 21世紀の日本はすっかり安定した平和国家になったらしいから、小学生でも集団の乱闘などという状況になることは滅多にないはずだ。やるとして、プロ野球選手たちぐらい。サッカーやラグビーでも、乱闘はたちまちのうちに鎮められる。

 しかしかつての日本では、大乱闘は日常茶飯事であった。歌舞伎なんかを見ていれば、大乱闘シーンがしゅっちゅう登場する。「お相撲さん集団 vs 火消し集団」という珍しい大乱闘シーンもある。「め組の喧嘩」である。

 1805年、お相撲の春場所中に、江戸で起こった実際の大ゲンカ。デッカイお相撲さんたちが火消し集団を投げ飛ばし、火消し集団も早鐘を鳴らして仲間を呼び集め、お相撲さん集団に対抗する。ド派手な大乱闘は「火事とケンカは江戸の華」というコピーをそのまま具現する事態になった。

 最終的に「御用」になった人間は40人近くにのぼる。ということは、「御用」にならずに逃げ切った者もたいへんな数に及ぶはず。寺社奉行と町奉行、勘定奉行まで登場して、日本ケンカ史にその名を深々と刻したのである。

 このケンカを歌舞伎が取り上げたのは、明治時代になってからのこと。1890年、実際の喧嘩から100年近くが経過していた。もちろん歌舞伎では、そのキッカケから顛末まで長時間にわたってごくゆっくり展開してみせるから、マコトに優雅かつ悠長である。

 タイトルは「神明恵和合取組」。タイトルもまた長ったらしくなる。これで「かみのめぐみわごうのとりくみ」と読む。「めぐみ」も「とりくみ」も入っていて、「ほほお、め組の喧嘩の話ね」と、みんなが一瞬で分かる仕掛けになっている。
ねこ1
(エッサウィラの猫。こんな穏やかな町でもケンカは起こる 1)

 さて、今井君はご覧の通り平和で穏やかなサトイモであって、個人的にも集団の中でも、大乱闘に参加したなどという経験はほぼ皆無である。あえて乱闘に近いものをあげれば、高校の体育祭の騎馬戦と棒倒しぐらいのものである。

 要するに体育祭であるから、疑似乱闘と言ってももちろんルールに基づいた紳士的なもの。先生がビーッとホイッスルを吹き鳴らせば、たちまちのうちに戦いは終わる。マコトにおとなしい。

 しかしよーく観察するに、見えないところで「殴る」「蹴る」も頻発し、中には「つねる」「くすぐる」「コチョコチョやりかえす」など、言語道断な手段も使われる。

 棒倒しの最中に「けさ固め」という柔道のワザを繰り出していた男がいた。ワタクシは応援席から目撃していたのであるが、みんなで一致&協力して倒さなくてはならない「棒」から約100メートル離れた地面の上で、1人が1人をけさ固めに固め、両者の息づかいは棒の周囲の数十人の喚声を圧するほどの迫力であった。
ねこ2
(エッサウィラの猫。こんな穏やかな町でもケンカは起こる 2)

 あえて今井君が参加した大乱闘があるとすれば、小学6年生の時の「干しぶどう事件」である。この事件については、すでにこのブログでも詳細を書いたことがあるから、万が一興味があれば「Fri 150911 干しぶどう事件 …(また夏マルセイユ18)」を参照していただきたい。

 もっともあの事件は、約600名が参加した大規模なものだったから、人数的には「め組の喧嘩」を凌駕する。しかも諸君、「三つどもえ」だ。200人ずつ3グループの小6生が、無数の干しぶどうを投げつけあったのである。

 もちろん食べ物を粗末にしてはいけないし、この投げあいの「首謀者が今井君なんじゃないか」と、誰かが先生に言いつけたか何かで、この温和でおとなしい今井君が、職員室や教室で延々ととっちめられる仕儀に至った。

 ボクは何にもしていません。ただ、オヤツとして配られた干しぶどうをポイと高く放り投げて口で受け止める、そういう遊びを始めただけです。干しぶどうでも、おかきでも、小学生なら誰でも経験のある遊びじゃないですか。
街歩き
(エッサウィラ風景。ま、それなりにオッカナイ)

 ただ、もしかするとその「ポイ!!」が、だんだん高くなっていったかもしれませんね。最初は1メートルぐらいの「ポイ♡」。もちろん今井君は上手だから、そんなの難なく「パクリ♡」ができる。

 するとどんどんエスカレートして、2メートルの「ポイ♨」、4メートルの「ポイ!!」、その時みんなが集まっていた体育館の天井に届くほど、「高々とポーイ!!」に発展。そんなのなかなか「パクリ!!」と受け止められないから、誰か他のグループの男子のアタマに命中しちゃったのかもしれません。

 何しろもう数百年が経過した事件だが、市内3校の小学6年生が3グループに分かれ、三つどもえの干しぶどう合戦。くだらねーといえば間違いなくくだらねーけれども、先生方のメンツにかけても、首謀者探しは何としてもしなければならなかったはずだ。

 最終的には「食べ物で遊んではいけません」という貼紙が出る程度で収まったが、あれを最後に今井君が乱闘に参加するようなことはなくなった。

 中学生から高校生にかけては、アレルギー性鼻炎が悪化。慢性鼻炎に発展して、いつも鼻をグスグス&ジュルジュルやっているようなアリサマでは、とてもケンカどころではない。「暴走族の切り込み隊長だった」などという輝かしい青少年時代とは、完全に無縁のサトイモになっちゃった。
香辛料店
(香辛料。徹底的に盛り上げる)

 おやおや、結局「干しぶどう事件」も詳述してしまったが、何でモロッコ旅行記の真っ最中にシミジミ昔の物語に耽ったかといえば、実は1月18日、エッサウィラに到着する直前のバスの窓から、ワタクシはモロッコの小学生の大乱闘を目撃したのである。

 かなりの高学年、「もうすぐ中学生」という大きなカラダの男子集団である。ハッキリ2つの集団に分かれ、それぞれ50人ほど。おそらくクラス vs クラスの対立で、それぞれ最も強そうな男子を先頭に立て、お互いに激しい言葉で罵りあっている。

 大将2名は、ものすごくケンカに慣れている様子。その強烈な目ヂカラといい、顔を近づけて相手を睨みつける表情といい、カラダ全体の構えといい、すでに「凶悪」「凶暴」の域に達している。

 周囲で囃し立てている副将や中堅や先鋒クラスの男子も、そのまた後方の一般男子も、もうヤメる気なんかカケラもない。早く乱闘になることだけを求めていて、むかしの日本映画なら「メンドーだ、やっちまえ!!」の声がかかるのを待ち受けているだけである。

 一方の大将が他方の大将に体当たりしたのをキッカケに、舞い上がる砂埃、湧き上がる喚声、「オネーサン、事件です」ないし「おどーさん、こりゃたいへんだっぺ」であって、乱闘のハードさにおいてプロ野球の乱闘を遥かに凌ぐものがある。
オリーブ屋
(オリーブ。まあそれなりに盛り上げる)

 止める人が、誰も存在しないのだ。日本の小学生集団であれば、「女子」という勇敢な仲裁役がいる。小6ぐらいなら、オネーサマ格のランドセル女子が「やめなさいよ」「バカじゃないの?」と一喝すれば、いったんつかみあった集団もあっという間にションボリして、むしろ仲良く家路についたりする。

 しかしいま目の前に展開しているモロッコ少年団の乱闘には、女子の姿が全く見えない。ここまで激しい乱闘では、けさ固めも干しぶどうもホイッスルも、何の役にも立たない。砂埃はますます高く舞い、ワタクシのバスから約100メートルの距離で始まったケンカは、ちっとも終わる様子がない。

 これを鎮めたのは、オバサマたちである。われわれ乗客はバスの中から固唾をのんで見守るばかりだったが、大きなカラダのオバサマ連が四方から駆けつけてケンカを制止。少年たちはオバサマ連の迫力に驚いて、クモの子を散らすように逃げ去った。

 この直後、バスはエッサウィラの停留所に到着した。しかしさっきのケンカのせいで、町の空気は一変したようだ。たとえ小学生のケンカでも、まずネコたちに緊張が走る。昼寝の最中だった野良犬たちも、何だか殺気立った表情でウロウロし始めた。

 こうなると町ゆく人々の心にも、微妙な変化が起こるものである。「だからケンカはいけません」という結論で終わるのもいかがなものかと思うが、とりあえず今日もまた長過ぎた。ここまで、続きは明日。そういうことにしておこう。

1E(Cd) Festival International de Sofia:PROKOFIEV/IVAN LE TERRIBLE
2E(Cd) Schüchter:ROSSINI/DER BARBIER VON SEVILLA
3E(Cd) Cohen:L’HOMME ARMÉ
4E(Cd) Vellard:DUFAY/MISSA ECCE ANCILLA DOMINI
5E(Cd) Oortmerssen:HISTORICAL ORGAN AT THE WAALSE KERK IN AMSTERDAM
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