Tue 170411 もっといたかった/列車の難行苦行/マラケシュ帰還(モロッコ探険記36) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 170411 もっといたかった/列車の難行苦行/マラケシュ帰還(モロッコ探険記36)

「ネコまみれ」という言葉を噛みしめつつフェズの街を2周して、まだお昼ちょっと過ぎではあるが、そろそろ帰りのことを考えなければならない(スミマセン、昨日の続きです)。

 帰りのマラケシュ行きは、14時40分発。その次の列車は2時間後の16時40分発だから、マラケシュ到着は日付を跨いで明日の早朝ということになってしまう。

 しかも、翌日は朝から2度目のエッサウィラ訪問に出かける。よせばいいのに、バスのキップももう買っちゃった。バス代を損するのはイヤだから、どうしても今日のうちにマラケシュに戻っておきたい。
魚屋
(フェズは、ネコだらけ。お魚屋さんの周囲には、ナンボでもネコが集まっていた)

 昨夜のピンチから救ってくれた「La Maison Bleue Batha」のダンナはマコトに優しい人で、「チェックアウトは何時でもいいですよ」と言ってくれた。

 そのおコトバに甘えて、13時まで部屋を使わせていただき、昨夜と同じ店でランチを楽しんでから部屋に戻ることに決めた。鶏肉の串焼きをワシワシ噛みながら眺めていると、ジーチャンのお店のお菓子は、相変わらずちっとも売れていない(3日前の記事の写真1枚目&3枚目参照)。

 ジーチャンとしても、別に無理して売るつもりはないようだ。ニコニコ立ったり座ったりするだけで、道ゆく人々に声をかけることもない。これだけ客引きがシツコイ街の真ん中で、黙って日向ぼっこをしているだけじゃ、そりゃ売れるわけがない。

 ま、馴染みのバーチャンか、そのバーチャンの孫たちか、買いにくるとしてそのぐらいか。そういう温かい間柄なら、もちろんお菓子1個や2個にオカネを要求したりしないだろうから、ジーチャンの店の売り上げは「ほぼ毎日0ディルハム」。略して「ほぼ0」、それでも全くかまわないんだろう。

 そういう微笑ましい光景を眺めつつ、足許に寄ってくるネコたちを撫でながら鶏肉を味わう。すると何だか悲しくなってきた。だって、せっかく馴染みになったのに、もう帰らなきゃいけない。

 宿のダンナとも、お菓子屋のジーチャンとも、このメシ屋の客引きのニーチャンとも、店の奥で談笑しているオバチャンたちとも、たった1日でこんなに馴染みになった。それなのに、あと2時間ちょいで街とお別れだ。
ネジャーリン広場
(フェズ、ネジャーリン広場。向かって右が泉、泉の隣が18世紀のフンドゥーク。アラビア語で「宿」を意味し、1階が厩、2階が客室。当時は高級ホテルだったのだという)

 ワタクシは、反省するのである。フェズにはどうしてももう3日は必要だった。フェズのお隣には、京都に対する奈良のような街 ☞ メクネスがあって、フェズとメクネスで合計5日は過ごしたかった。

 今回のモロッコの旅は、「初♡モロッコ」ということもあって、計画がまあそれなりに投げヤリ。「マラケシュだけでいいや」「マラケシュに2週間、マラケシュから日帰り可能な範囲だけでOK」、そういうスタンスでモロッコに飛んできてしまった。

 初めて日本にくる外国人が、「とりあえずトーキョー」「トーキョーに2週間」「トーキョーからの日帰り圏だけでOK」という計画を立てたとしたら、「おやまあズサンな計画ですね」と我々は目を丸くするに違いない。

 しかも諸君、日本ならそれでも何とかなる。新幹線とヒコーキを利用して毎日ビュンビュンないしビュワーン&ビュワーン飛び回れば、京都奈良ばかりか、北海道も九州&沖縄も何とかならないことはない。クロートぶって、金沢に倉敷、角館に高山、萩に津和野、柳川に長崎、無理すれば何とかなるじゃないか。

 ところが諸君、やっぱりモロッコとなると、そういう行動はキツすぎる。マラケシュからフェズまで列車で7時間半+α。「ヒコーキを使えば?」であるが、カサブランカ乗り換え以外の便がない。しかもカサブランカで待ち時間が5時間とか6時間とか、いやはやたいへんな難行苦行だ。
リヤド1
(宿泊したLa Maison Bleue Batha。こんな立派な控えの間もあった)

 宿に戻って一休みしながら、ワタクシの反省はまだ続いた。こんなによくしてくれる宿なんだから、せめてもう1泊したかった。絶品の蒸しパン、あれにまたジャムをたっぷりはさんで、明日の朝も食べたかった。目玉焼きも旨かった。早朝から広大なフェズを猛然と2周したのも、あの朝ゴハンの威力のおかげだったかもしれなかった。

「街とお別れ」の悲しみについては、このあとマラケシュに帰っても同じことなのである。長かったマラケシュの旅も、あと3日で終わりになる。明日がエッサウィラ、明後日はモロッコの見残し探訪、3日後にはもうチェックアウトしなければならない。

 午後1時半、思わず泣きだしそうになりながら、フェズの駅に向かった。24時間も経たないうちに、人はこんなに街が大好きになるのである。

 昨日の夕暮れ、どうしても予約した宿が見つからず「ピンチだ」「ピンチだ」「大ピンチだ」と呟きながら歩き回った細道という細道が、今はマコトに懐かしい。すでに何度も鉢合わせして、馴染みになったネコたちも少なくない。
リヤド2
(宿の思ひ出。この広間で温かい朝食を楽しんだ)

 14時40分、帰りの列車はとりあえず時刻通りにフェズを発車。帰りも6人用の一等コンパートメントである。フェズを発車して15分、メクネスの駅からオジサマが1人乗ってきて、彼とはマラケシュまで延々と道連れになった。

 約3時間で首都ラバトに到着。ラバトで「モロッコのキャリアウーマン」が1名加わり、パソコンはパチパチ強烈にたたくは、スマホでガンガン会話が始まるは、少なくとも「快適な旅」とは言えない状況になった。

 彼女の発音を聞いていると、ラバトは地元ではラバトではないらしい。「ト」の音はほぼ完全に消去されて、「ラバ」「ラバ」としか聞こえない。フランス語のスペルは「Rabat」。確かにそれなら「t」の発音は消えるはずだ。日本の地図の記載も、ラバトはやめてラバに変えた方がいいんじゃないか。

 その「ラバ」から、列車はぐんぐん遅れはじめた。往路と全く同じマコトに苛立たしい徐行が繰り返され、徐行につぐ徐行、不承不承に次ぐ不承不承、人をあえて苛立たせるようなムカつく走り方を続けて、カサブランカには1時間遅れで到着した。

 カサブランカで、コンパートメントはカンペキに満員になった。6人乗りのコンパートメントに7人。「は?」「7人?」であるが、オトナ6人にプラスして、ベビーカーのコドモ1人が加わったのである。

 コドモは、1歳半ぐらいの女の子。6人が膝をくっつけあうようにして座った真ん中のスキマに、大っきなベビーカーが1台ギュッと挿入されて、コンパートメントの人口密度はたちまち限界を超えた。
肉屋
(フェズ風景。こういう強烈な肉屋さんも少なくない)

 列車はカサブランカを過ぎても徐行をやめない。コドモはむずかり、むずかったと思えばハシャギだし、はしゃぎすぎてテーブルの角にしたたかアタマをぶつけ、ケガはしなかったがその打撃の痛みに驚愕して、激烈な泣き声をあげる。

 オトナたちみんなでお菓子やらアメ玉やらを彼女の口に放り込む。するとまたハシャギだす。ハシャゲば再びテーブルの打撃の危険性が増大するから、オトナたちはまた大わらわでベビーカーをテーブルから引き離す。不自然な位置にベビーカーが押し付けられ、人口密度の濃密感がさらに増していくことになる。

 そういう状況で、カサブランカからマラケシュまで4時間。みんなが耐えに耐え、疲労困憊し、もう列車の旅なんかコリゴリという深く重い疲労の中、列車は奇跡のようにマラケシュに到着。往路よりはマシだが、1時間強の遅れで、時計はすでに23時30分を回っている。

 ホテルに到着したのは、日付が変わった頃である。工事現場の脇、広大な公園の横、まさに「治安は大丈夫なんですか?」という暗闇の真っただ中を、30分も徒歩で突進したわけであるが、幸いなことに何事もナシ、無事にホテルの部屋にたどり着いた。

 よく考えてみれば、ごく客観的に言って、あの時はこの今井君こそが警察官の職務質問を受けても致し方ない存在。周囲の人々の目から見て、最も疑わしく、最も危険な存在に映ったのは、おそらく自分自身だったことに気がつくのである。

1E(Cd) Zagrosek & Berin:SCHREKER/DIE GEZEICHNETEN 1/3
2E(Cd) Zagrosek & Berin:SCHREKER/DIE GEZEICHNETEN 2/3
3E(Cd) Zagrosek & Berin:SCHREKER/DIE GEZEICHNETEN 3/3
4E(Cd) Sequentia:AQUITANIA
5E(Cd) Nevel & Huelgas Ensemble:Canções, Vilancicos e Motetes Portugueses
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