Wed 170405 帰国報告③/メキシコシティ/こんがり君の帰京(キューバ&メヒコ探険記3) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 170405 帰国報告③/メキシコシティ/こんがり君の帰京(キューバ&メヒコ探険記3)

 本日は「キューバからの帰国報告」第3弾。単なる帰国報告だけで第3弾だというのだから、サトイモのシツコサ&粘っこさにも恐れ入るが、その粘っこさこそ、サトイモのサトイモたるゆえん。簡潔を愛する淡白な諸君、許してくれたまえ。

⑪ 4月21日(金) さて諸君、あんまり楽しすぎると、その後がたまらない。別れがツラすぎる。むかしむかし「青江三奈」という人が
「逢えば別れがこんなにツラい」
「逢わなきゃ夜がやるせない」
「どうすりゃいいのさ 思案橋」
と、切々と女心を歌い上げた。作詞:吉川静夫. 作曲:渡久地政信、「長崎ブルース」である。

 21日のサトイモ入道は、長崎ではなくハバナの街で「来れば別れがこんなにツラい」、マコトにブルーな朝を迎えていた。最終日のハバナは雨に濡れていた。
キューバねこ
(ハバナ、オビスポ通りで馴染みになったネコ。3匹の子ネコのママである。白い手袋をした真っ黒な子ネコも印象的だった)

 おっとイケナイ、簡潔を旨とすべき帰国報告でこんな感慨にふけっていると、偉いセンセーたちに叱られる。簡潔&簡潔、ひたすら淡白に簡潔を目指さなきゃいけないが、このぐらいシツコクしないと、21日朝のサトイモ法師の心はどうしても分かっていただけそうにない。

 ホテルの屋上に出て、雨に濡れるハバナの街を俯瞰してみた。あまりに貧しく廃墟だらけの旧市街。その向こうに20世紀前半の栄光を伝える新市街。今や中国資本がグイグイ進出して、ハバナは21世紀の再開発が始まっている。

 再びここを訪れるのはいつになるだろう。次回はもう、ハバナはきっと大きく変わってしまっている。キューバ国民にとってはマコトにおめでたいことだろうが、今のハバナを愛するワタクシは、その急激な変化が悲しいのである。
ヘミングウェイ
(オビスポ通り「フロリディータ」で、イタズラっぽいヘミングウェイのオジサマに遭遇する)

 正午、5連泊した「イベロスター・パルケ・セントラル」をチェックアウト。タクシーで空港に向かう。重厚なクラシックカーの洪水を目撃するのも、おそらくこれで最後。20世紀的大混雑の公共バスを見るのもきっとこれで最後。ハバナの街には強風が吹き荒れていた。

 強風は、ハリケーンが原因。空港に着いてみると、大きなスクリーンにハリケーン情報が出ている。凶暴な雲の渦巻きが、まさにハバナを飲み込もうとしている様子。空港3階のベンチでビールを飲みつつ、15時40分のヒコーキをハラハラしながら待った。

 さすが中米であって、ヒコーキの行き先は「リマ」「サントドミンゴ」「カンクン」「ボゴタ」「カラカス」など。「うへ、これからの人生で、果たして訪れることがあるのかいな?」という街が並ぶ。
フロリディータ
(ヘミングウェイのお気に入り、バー・フロリディータ)

 でも、行ってみたい。今回のハバナみたいに、実は最高にサトイモ向きということだってあるはずじゃないか。サンパウロもリオもブエノスアイレスも、実際マコトにサトイモ君に向いていたじゃないか。

 欧米へのヒコーキもたくさん飛んでいる。冷戦時代とはハッキリ決別したのである。アムステルダム、パリ、アトランタ、ニューヨーク行き。間違いなく次回のキューバは、大きく変わってしまっているのである。

 フライトはマコトに快適、メキシコシティまで3時間の旅である。ハリケーンの影響は全く感じられない。キューバ出国、メキシコ入国ともにスムーズ。メキシコには1週間ぶりの入国だが、係官に小突き回されることも一切なかった。
オロ
(連日大盛況、オビスポ通り「ORO」の生演奏)

⑫ 4月22日(土) メキシコシティの宿泊はインターコンチネンタル・プレジデンテ。ここに3連泊する。

 高級ホテルがズラリと並ぶ地区であって、お隣はハイアットリージェンシー、反対側のお隣はマリオット。今井君は無料アップグレードでまたまた&またスイートルームにご滞在。いやはや、広大なお部屋、無料のビッグな朝食が旅のおしまいまで継続した。

 22日は、メキシコシティを徹底的に研究する。ホテル至近の国立劇場前からバスに乗り込んで、クモの巣のように張り巡らされた大量の電線を眺めつつソカロ地区へ。① メトロポリタン・カテドラルと、② テンプロ・マジョールを見て回った。
大聖堂
(メキシコシティ、メトロポリタン大聖堂)

 ランチは、メトロポリタン大聖堂を眺められる3階のレストランにて。タコス、コロナビール、マコトにおいしゅーございました。店の優しいオジサマ&オニーサマたちにもお世話になりました。詳細は後日。

 どこもかしこも人&人&人の大混雑で、「これでスリ被害に遭わない方が不思議」というアリサマだったが、混沌の真っただ中でもメキシコの人々はみんな笑顔。「治安」「治安」「ご用心」というトゲトゲした表情は、この街とは無縁のようである。
マヨール遺跡
(15世紀アステカの遺跡、テンプロ・マジョール。向こう側がメトロポリタン大聖堂)

⑬ 4月23日(日) ビッグな無料朝食で、お腹の中はまたまたパパイヤとマンゴーでいっぱいであるが、この日はメキシコ郊外の「メキシコ国立自治大学」を訪れる。タクシーで40分ほど、ホテル専属の高級タクシードライバーでも迷ってしまうほど広大な大学町であった。

 大学は、略してUNAM。図書館の4面を埋め尽くす大壁画で有名である。日曜の大学は、大型犬諸君の優雅なお散歩でウットリした雰囲気。こういう大学でゆったり勉強するのも楽しそうだ。
大学図書館
(メキシコ国立自治大学にて)

 大学のお隣のアステカ・スタジアムは、1968年メキシコオリンピックのメイン会場。マラソンの君原健二が、首を大きく左右に振る独特のフォームで銀メダルをつかんだ場所である。

 もちろん、日本サッカーの栄光の地としても有名。このスタジアムで地元メキシコと3位決定戦を行い、釜本邦茂の2ゴールで銅メダルを獲得した。当時の聖火台が今もなお健在であった。

 マラドーナの「神の手ゴール」や「5人ぬきドリブル」の舞台になったのもここ。さすがメキシコだ、日曜日のスタジアムは騎馬警官が警戒にあたり、ダフ屋のオジサンもウロウロして、スタジアムからはすでに大歓声がコダマしているのであった。

 大学から地下鉄3号線に乗ってメキシコ市内の戻り、メキシコ独立の舞台となった「国立宮殿」へ。ディエゴ・リベラによる大壁画「メキシコの歴史」を眺め、スペイン支配の暴虐に熱い涙が湧き上がった。
ガイコツ
(テンプロ・マジョール博物館は充実。ツォンパントリも展示されている。オアハカの出土品が充実している)

 夕暮れから、地下鉄を乗り継いで「国立人類学博物館」へ。博物館に至る道のりもまた大混雑、メキシコシティの混沌ぶりを再確認した。博物館の展示を眺めながら、オアハカの文明がますます好きになる。「こりゃどうしても近い将来オアハカを訪ねなきゃいかんね」と決意する。

 夕食は、宿泊中のインターコンチ内に発見した「ピエ・ド・コション」にて。パリですっかりお馴染みのレストランに、まさかメキシコシティで遭遇するとは思わなかった。

 生牡蠣18個、ステーキ200グラム、デザートにまたまた生牡蠣6個。赤ワインはホテル側のご好意で、無料。諸君、0円、0ドル、0ペソほど嬉しいものはない。ついでだから、メキシコビール「LEON」も2本飲み干した。
太陽のピラミッド
(テオティワカン、太陽のピラミッド)

⑭ 4月24日(月) 昼前にホテルをチェックアウト。サトイモ入道の旅はチェックアウトした後も勝負であって、帰国のヒコーキまでの時間にテオティワカンの遺跡を訪れることにする。荷物をフロントに預けて、バスで遺跡に向かった。

 バスターミナルは、言語道断に遠い。地下鉄を4本乗り継ぐことになる。7号線 ☞ 1号線 ☞ 3号線 ☞ 5号線。「治安が悪い」「大混雑」「犯罪発生率が非常に高い」と、マコトに評判の悪いメトロを乗り継いでバスターミナルまで1時間。この段階でもうヘトヘトだ。

 バスは「クーラーがきかない」「窓をあけて猛暑に対応」という前時代的なシロモノ。混沌のメキシコ郊外を一気に北上して1時間強、無事テオティワカンに到着したが、武装警官によるバス乗客の写真撮影まであって、なかなか物々しい。

 テオティワカンでは「ケツァルコアトル神殿」「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」など、見所をなめるように丁寧に見尽くした。大汗をかきつつ、標高65メートル「太陽のピラミッド」のテッペンまで登りつめ、まさにテオティワカンを満喫した。

 土産物屋の洪水に辟易しながら、17時まで。うーん、レストランは見当たらず、アグア・フレスコ(冷たいお水)も全く売っていない。ここを訪れる人は、必ず十分なお水を持参のこと。「ホトンド♨タダ」というつまらん土産物はナンボでも売っているが、ホントにお水は手に入らない。
月のピラミッド
(テオティワカン、月のピラミッド)

⑮ 4月25日(火)26日(水) テオティワカンからバスでメキシコシティに戻ったのが、24日午後6時。地下鉄4路線を乗り継いで、ホテルに帰ってきたのは午後7時だった。

 昨日に続いて「ピエ・ド・コション」で夕食。生牡蠣とフィレステーキとシャンパン、サンパウロとリオ以来4年ぶりの中南米の旅を締めくくった。

 ポーランドの大統領夫妻が国賓として訪れていて、ホテルのセキュリティは強烈だったが、大統領夫人の後ろ姿を目撃しただけで今井君は大感激。こういう締めくくりもいいものでござるね。

 タクシーで空港へ、21時着。空港のバーで2時間、ようやくラウンジに入ったのは23時。いやはや、こんなに遅い時間になったのは、ヒコーキが午前2時半出発の便だからである。空港スタッフの熱烈な応対に感激しつつ、ラウンジで3時間を過ごした。
コション
(ピエ・ド・コション、メキシコシティ店。16日間の旅をここで締めくくった)

 諸君、これを「概略」と呼ぶには余りに長大すぎたかもしれないが、こうしてキューバ&メヒコ16日間の旅は締めくくりを迎えた。今は東京で、キューバ&メヒコ恋しさに熱い涙を流しながらこれを書いている。

 メキシコシティを飛び立ったのは、25日午前3時。14時間のフライトで日付変更線をまたぎ、成田に着いたのは26日午前6時半。成田からのバスは渋滞にも遭遇せず、呆気ないほどカンタンに渋谷に到着した。渋谷から寂しくタクシーに乗り込んで、無事オウチに帰還したのは、午前9時のことであった。

 カリブ海のキツい太陽に肉体はコンガリ焼かれ、コンガリ♡サトイモと化したワタクシをつくづく眺めて、真っ白なニャゴロワは不思議そうに立ち尽くす。

 焼かれた皮膚は相変わらずモロモロ&ペリペリ剥がれ落ちつづけているが、諸君、4月末の東京は夜明けが早い。もう次の旅の計画を立てなきゃいけない時期にきていることを、今つくづく感じるサトイモ入道なのである。

1E(Cd) Stan Getz & Joao Gilberto:GETZ/GILBERTO
2E(Cd) Keith Jarrett & Charlie Haden:JASMINE
3E(Cd) Ann Burton:BLUE BURTON
4E(Cd) Harbie Hancock:MAIDEN VOYAGE
5E(Cd) Miles Davis:KIND OF BLUE
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