Wed 170322 当然のようにラホールのカレー/春日部のかつての栄光/老木も最高の夜桜 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 170322 当然のようにラホールのカレー/春日部のかつての栄光/老木も最高の夜桜

 冷静に反省してみると、4月9日のワタクシがたった4日のインターバルを置いて再び春日部を訪問したのは、
① サトーココノカドーを記憶に収めたい一心だったのか
② やっぱり例のカレーをまたもや貪りたかったからなのか
ここでハッキリとは断言できないのである。

 というか、読者の立場に立って客観的に物を考えてみるに、①だろうが②だろうが、それを断言できようができなかろうが、別にどうだっていいのである。「どうせカレー食いたかったんだろ?」であって、確かに言われれば言われた通り、カレーが食いたかったのだ。

 だから、確かに申し訳ばかりにサトーココノカドーの写真も撮りまくった。「意外にすいてるな」「大盛況とは言ってあげられないな」であるが、そりゃそうだろう、サトイモ入道が訪れたのは日曜日の夕暮れだ。

 この時間帯、いい子もいい母もいい父も、「笑点」かプロ野球でも見ながら、残り少ない週末の時間を静かに楽しんでいる頃である。もうすぐちびまる子ちゃんも始まる。サザエさんも始まる。そんな時間帯にサトーココノカドーなんかにいるのは、悪い子が多いに違いない。

 今井君は昔から、「悪い子」などと理由もなしに決めつけられるのはイヤなので、そそくさとサトーココノカドーを後にした。目指すは、カレーの名店ラホール。例え「食べログ」なんかの評価が低くても、そりゃワタクシの知ったこっちゃござんせん。
ラホール1
(春日部に行ったら、もちろん「ラホール」のカレー。ハンバーグのジャンボぶりを、ぜひ目撃してくれたまえ)

 薄暗い店内で、注文したのはもちろん大好物の「ジャンボハンバーグ インドカレーの辛口」。5日前には「極辛」にしたが、面目ない、極辛はサトイモ入道にはちょいと辛すぎた。

 目玉がチクチクするほど辛いのは、ワタクシには向かないのである。極辛の上には、さらに「極々辛」とか「超激辛」とか、そういう凶悪な辛さのも存在するのであるが、目玉どころか耳の穴までチクチク、小腸や大腸までチクチクするようだと、何か病気になりかねない気がする。

 そこで諸君、あくまで遠慮して「インドの辛口」。今井君にはこのぐらいのマイルドなのがちょうどいい。辛口よりもうワンランクマイルドな「悄々辛」というのもあるけれども、悄々とは「すごすご」「しおしお」「元気がないさま」「しょんぼり」であって、ありゃりゃ、何かの間違いじゃないか。

 そう言えば、メニューをチャンと見てみるに、「悄々」じゃなくて木偏の「梢々」である。梢とは「こずえ」であって、「ホンのコズエ程度の辛さ」みたいに遠慮したものと思われる。おお、マコトに奥ゆかしいが、サトイモ入道としては「梢々辛」ではさすがに物足りない。
ラホール2
(写真が下手でスンマセン。ハンバーグの分厚さを、キュウリやトマトと切り口を比較して感じてほしかった)

 店の端っこに座って大好物の巨大ハンバーグをつついていると、「さっき電話で予約したんですが」という若い家族がやってきた。コドモ2人は小学校高学年。パパが40代前半、ママはまだ40代に入ったばかりという感じ。うぉ、会話がマコトに若々しい。

 どうやら「サトーココノカドー」「みさえ ザ♡バーゲン」に訪れた家族のようである。コドモたちの発言はたいへん残酷で、「必死なのかもね」「他のスーパーもみんな潰れちゃったしな」と大胆に口にする。確かに埼玉県東部の小売業は、20年前や30年前の勢いを失ってしまった。

 若い諸君、千葉にしても埼玉にしても、21世紀の初頭までの消費者は、たいへんな勢力を誇っていたのだ。「このままでは埼玉や千葉の方が、都心よりずっと栄えちゃうかもしれないな」と、ホンキで考える日々だった。

 春日部・柏・松戸・上尾・久喜・川越。武蔵野線沿線や国道16号線沿線の街が、バブル後期の首都圏の主役だった。しかしバブルが終わってすでに30年近くが経過。コドモたちどころか、パパやママの世代も、バブル時代の花やかさを経験したことがないのだ。

 若い家族の会話を背中で聞きつつ、寂しくなったワタクシはビールを1本追加した。家族のパパはなかなか知性を感じさせるヒトで、サトーココノカドーについての新聞記事をコドモたちに読み聞かせている。その記事を書いている若い記者たちも、春日部の1990年代の栄光なんか、きっと知らないのだ。
みさえ
(みさえ ザ♡バーゲンは、これからが本番だ)

 いやはや、若い諸君は夢にも思うまい。当時の春日部や上尾や柏では、塾も予備校も新聞にチラシを入れる必要さえ感じなかった。チラシなんか入れなくても、生徒はナンボでも押し寄せた。

 下手に折り込みチラシなんか入れたら、教室に生徒が入りきれなくなる。黙っていても定員を遥かに超えてしまう状況に、どう対処するかの方が大きな問題。誤って「席がない」「完全に定員オーバー」なんてことを1度でもやってしまえば、「あそこはダメ」「サイテー」という定評がついて回った。

 だから、宣伝も広告もしない。黙っていても来る者は受け入れ、来ない者は知らない。それでも十分に合格実績が出て、埼玉の名門塾とか千葉の名門塾とか、努力なしにそういう評価を得ることもそんなに珍しくはなかった。

 塾&予備校業界に限ったことではない。電器量販店でも、居酒屋チェーンでも、コンビニでも銀行でもクスリの量販店でも一緒。「この地域なら苦労知らず」という時代が、おそらく2000年代中頃まで続いたのである。

 そういう時代を、今井君はカレー屋「ラホール」とともに見守ってきたのである。まさに時代の縮図であり、激しい隆盛と沈滞と静寂と下降線の歴史である。今や春日部にもあの頃の勢いは見られない。かつて大規模に地上げに励んだ地域だけれども、今は空しく暗い空き地が続く雰囲気だ。
りょうもう号
(群馬県太田ゆき、特急りょうもう号。浅草駅にて)

 カレーを平らげたのが午後6時。後は諸君、サッサと引き上げるだけである。ワタクシも忙しい。メキシコにも行かなきゃいけない。キューバにも行かなきゃいけない。いつまでも春日部でグズグズしているわけにもいかないのだ。

 そこでサトイモ法師は、春日部を引き上げる。東武野田線で大宮に出るのもヨシ、春日部から特急「きぬ」に乗るのもヨシ。もしも都合のいい時間帯に特急「きぬ」がなければ、東武動物公園までいったん北上してから、太田から来る特急「りょうもう」で浅草まで戻る手もある。

 今井君は東武鉄道にお願いしたいのである。「りょうもう」の全てを、ぜひ春日部に停車させてくれたまえ。東武線で数少ない乗り換え駅なのに、どうして春日部に停車しない特急がこんなにたくさんそのままになってるんだ?
夜桜
(渋谷区の老いた桜の大木も、今年の満開を迎えていた)

 もちろんその辺は、一般人のブログの悲しさ。ヒコーキの機内サービスがどれほど過剰だと訴えようが、乗り換え駅に特急を停車させるべきだと主張しようが、大っきな会社も小さな会社も一顧だにしない。すいすいスルーするだけである。

 しかしワタクシは諦めない。スルーされても。何度でも訴えつづける。過剰サービスはヤメて然るべきだし、乗り換え駅を通過する私鉄特急は、経営にも顧客満足にも明らかに矛盾している。それを我々が黙っていていいはずはないのである。

 乗り継ぎに乗り継ぎを重ねて渋谷区のオウチに帰ってくると、時計はすでに20時を過ぎている。点在する桜はことごとくマコトの満開を迎え、吹きつける強風に花びらはハラハラと散りはじめている。

 樹齢100年を超える「渋谷区保存樹木」も、キレイな夜桜として今年の盛りを迎えていた。おお、さすがの美しさである。あえてフラッシュをつかって、その勇姿をカメラに収めた。どうしてもその美しさを読者諸君に見てもらいたかったのである。

E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 10/18
E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 11/18
E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 12/18
6F(Ms) 河鍋暁斎展:BUNKAMURA MUSEUM
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