Sun 170312 ますます物騒/本物のモロッコ/ヤギの成る樹木/魚市場(モロッコ探険記20) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 170312 ますます物騒/本物のモロッコ/ヤギの成る樹木/魚市場(モロッコ探険記20)

 4月3日、サンクトペテルブルクの地下鉄で爆発事件が発生。死者11名。負傷者多数。またまた悲惨な事件が起こってしまった。モスクワとサンクトペテルブルクへの旅も、ここから2〜3年の計画の中に入っていた。決して他人事ではないのである。

 つい昨日の記事の冒頭にも、エッサウィラのテロ未遂事件について触れたばかり。昨年12月のシドニー滞在中にも、お隣のメルボルンでテロ未遂事件があった。

「ラップトップを機内に持ち込んではいけない」というヒコーキが、ますます多くなりそうだ。これではとても世界を飛び回って、暢気なブログなんか書きまくる気分にはなれない。いやはや、とかくこの世は生きにくい。

 しかしまあとりあえず、1月12日の今井君は大西洋岸の港町エッサウィラに到着した。マラケシュ郊外から始まった岩と砂利の砂漠は、やがて乾燥した砂の砂漠に変わったが、海が近づくに連れて苔やイネ科の雑草も見かけるようになり、やがて樹木も増えて、日本海の海岸風景を髣髴とさせるほどになった。
大西洋
(エッサウィラ風景。大西洋の荒波が打ち寄せる)

 途中、「20分だけ休憩します」というアナウンスがあって、カフェやレストランも併設した地元の売店前に停車した。小さな町も徒歩5〜6分のところに見えているのだが、バス会社としては、地元の町の人々と乗客の接点を余り作りたくない様子である。

 砂埃の立ち込める昼の空気を透かしてみると、民族衣装ジュラバを着こなしたオジサンがジュータンをかかえて商売に励んでいたり、粗末なテント掛けのお店が立ち並んでいたり、軽トラックの荷台にフルーツや野菜や日用品を積み上げた簡易な店舗が繁盛していたりする。

 確かにこの様子では、長距離バスの観光客なんかが安易に近寄れば、ホンの20分でもいろんなトラブルが持ち上がりそうだ。マラケシュの観光用スークや、エンタメ的なメディナの混沌とは、明らかに一線を画している。

 商売する方もホンキ。買い物に励む地元民もホンキ。飛び交っているアラビア語ももちろんホンキ。口角泡をとばして、「○○ディルハム安くしろ」「いやそんなわけにはいかない」、1000年前のアラビアンナイトの時代とあまり違わない商人の世界が、数百メートル先で繰り広げられている。
城塞
(エッサウィラの城塞風景)

 オジサンたちの着こなしたホンキのジュラバが、やっぱりカッコいいのである。これに比較すれば、マラケシュで見かけるジュラバ姿はやっぱりウソくさい。江戸時代のホンモノのオサムライと、京都太秦のスタジオから飛びだしてきた時代劇のオサムライぐらいの相違を感じるのである。

 わずか20分の停車中、ワタクシは砂埃を透かして数百メートル向こうの町の様子に我を忘れて眺め入っていた。もちろん「我を忘れて」という言葉にはウソがあって、キチンとトイレも済ませたし、低い天井に思い切り頭をぶつけ、トイレ代1ディルハムを払うのを忘れて、モロッコのオバサマにキツく叱られもした。

 しかし諸君、嬉しいじゃないか。マラケシュの迷宮はもしかすると観光用の作り物だが、砂の中のこの町の迷宮は明らかにホンモノだ。広いモロッコの国内に、どれほど多くのホンモノが残っているかを思えば、「なーんだ、作り物か」というマラケシュの失望は、スッと気持ちよく消えていったのである。

 この町からバスで15分あまり、途中の車窓右側に「ヤギの成る樹」が2本ほど存在する。有名な観光地になっているらしくて、運転手さんもちょっとスピードを緩めてくれる。何の説明もアナウンスもないが、今井君が「うぉ、ヤギだ!!」と日本語で叫んだのをキッカケに、、バスの中は大歓声に包まれた。
要塞
(エッサウィラの海の要塞、スカラ)

 これが「アルガンツリー」であるらしい。モロッコにしかない樹木で、種子から採取されるオイルは高価な土産物になっている。調味料にもなれば、化粧品としても使われる。たどり着いたエッサウィラの町でも、アルガンオイルがメインの店が軒を連ねていた。

 ある1軒のお店では、地元のバーサマ3人を店の前に座らせて、石臼でアルガンオイルを絞り出す様子を実演していた。実演販売というヤツである。

 バーサマが石臼をグリグリ回すと、茶色いドロドロ&ドーロドロが石臼の下からヌメヌメ流れ出す。これがオイルの素。あとはいろいろ精製に精製を加えて、地元の人には手が出ないほど高価なオイルに仕上げていく。

 そういう樹木だから、果実はきっとヤギさんたちにとっても格別に旨いのだ。だから、ヤギは樹に昇ってでも果実を味わおうとする。ヤギを巧みにおだてあげて、樹に昇らせようと考えるオジサンもいる。

 むかしむかしの日本で、「豚もおだてりゃ樹に昇る」というイヤらしい言い回しが流行したが、モロッコのヤギたちは、旨い果実でおだてれば、ナンボでも樹に昇っていくらしい。諸君、昨日の写真の4枚目、是非とも確認してくれたまえ。

 ただしワタクシは、この写真では満足できないのである。ヤギの樹の写真を撮るためだけにでも、何としてももう一度ここを通りたい。まだモロッコには1週間も滞在するのだ。ヤギのためだけに、もう一度エッサウィラ旅行をしてもいい。おお、ワタクシはマコトに執念深いのである。
港の風景
(エッサウィラ、漁港の雑踏)

 エッサウィラのバスターミナルは、中心街から徒歩5分ほどのところに止まる。ネコの大群が待ち受けていて、ネコ嫌いの人はきっと眉をひそめるだろうけれども、今井君はネコまみれの生活でも構わないぐらいネコ好きなサトイモだ。こりゃいい町にきたもんだ。

 イカダで漕ぎ出せば、大西洋の向こうはブラジル。大航海時代のポルトガル人に倣って南下すれば、モーリタニア・シエラレオネ・コートジボアール・ガーナを経て、ナイジェリア・アンゴラ・ナミビア・南アフリカの喜望峰に至る。諸君、サトイモは、スゲーところに来たもんだ。

 荒い波が打ち寄せる海岸には、「スカラ」と呼ばれる城塞が突き出ている。それが今日の写真の2枚目。16世紀初め、まだ全盛期のポルトガルが大西洋岸の港町を支配するのに、この種の要塞を利用した。そう言えばポルトガルの海岸でも、同じ形の要塞をいくつか見かけた記憶がある。

 スカラの周辺は、大っきなカモメがたくさん飛び回り、荒波の上を強風が吹き荒れてマコトに豪快。1949年、オーソン・ウェルズは映画「オセロ」の冒頭シーンにこの海岸を採用した。

 シェイクスピアの原作ではキプロスだが、うーん、やっぱりこのぐらい豪快でないと、せっかくのオセロも「イチゴのハンカチを見せてよ!!」と嫉妬に泣き叫ぶ中年男の喜劇に堕してしまう。
サメ
(エッサウィラの魚市場にて。サメさんも売っている)

 獰猛そうなカモメたちの飛び交うエッサウィラは、シェイクスピアが思っても見なかった最高のロケ地になっただろう。岬の向こう側は海水浴にさえ物足りないんじゃないかと思うほどの、穏やかで単調な砂浜。岬1つはさんだだけで、ずいぶんイメージが違う。

 そのカモメたちが最も獰猛そうに見えるのが、港近くの魚市場である。朽ちてもう動きそうにない漁船や、部品の争奪戦になっている状況の廃船の群れ。そういう船の残骸に隠れるように、10軒余りの魚の屋台が店を開いている。

 しかしすでに時計は昼12時を回り、死んだ魚たちはぐったり、腐臭を漂わせはじめている。魚を売る人たちも、今日の商売はほとんど諦めて、タバコを吸いながら仲間どうし雑談に耽っている。

 唯一やる気のありそうなのは、剥いた生牡蠣にレモンを添えて売っている屋台である。おお、ずいぶん剥きましたな。生牡蠣なら諸君、気が向きさえすれば今井君は3ダース(シドニー記録)でも、40個(広島記録)でも、向かうところ敵なしの勢いを見せることだって可能だ。

 しかしこの時エッサウィラの魚市場は、腐りかけた魚たちの放つニオイが充満。カモメたちが上空から目を光らせ、地面には長年の魚の死骸が堆積して、とても「生牡蠣を味わおう」という爽やかな雰囲気ではない。

 しかもこの日の今井君は、まだ強烈な口内炎に悩まされていたことも忘れてはならない。口内炎に生牡蠣はいかんだろう。ここは足許のネコたちとともにひとまず退散して、まずはエッサウィラ基本観光に励むことにしたのである。

1E(Cd) Jaco Pastorios:WORD OF MOUTH
2E(Cd) Anita Baker:RAPTURE
3E(Cd) Anita Baker:THE SONGSTRESS
6D(DMv) THE TAKING OF PELHAM 123
total m72 y443 d20401