Sat 170311 エッサウィラの危険情報/ヤラセ疑惑/かまくら祭と相似(モロッコ探険記19) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 170311 エッサウィラの危険情報/ヤラセ疑惑/かまくら祭と相似(モロッコ探険記19)

 1月12日のエッサウィラへの日帰り旅行の直前に、「エッサウィラでテロ未遂事件」というマコトに困った情報が入っていた。

 テロを計画していた複数の人々が、エッサウィラで一斉に検挙されたのだという。そんな小さな町で複数人が検挙というのだから、かなり大きな現実味のあるテロ計画だったに違いない。

 そういうことなら、ホントは小旅行などヤメるに越したことはない。万一のことがあれば、いろんな人にいろんな迷惑がかかるだろう。人に迷惑をかけてまで、無茶な冒険旅行を敢行する必要は皆無である。

 しかし諸君、クルマで3時間の町でそんな危険な計画があったにも関わらず、マラケシュ新市街はほとんど「知らんぷり」と言わんばかりの平穏さである。バスも時間通り、列車も時間通り。街路には薔薇が咲き乱れ、雪をかぶったアトラス山脈を望む市街地にはゴミ1つ落ちていない。

 朝8時45分、長距離バスターミナルに到着した今井君は、「この王国の治安はカンペキに維持されている」と判断。だって諸君、本来なら欧米でもあんなに騒然としている駅もバスターミナルも、水を打ったように静まり返り、「ここは世界で一番平和&平穏です」と、街全体がサトイモに囁きかけるのである。
休憩地点の街1
(マラケシュ ☞ エッサウィラの中間地点の町にて。人々の民族衣装は決してヤラセではない。中でもオジサマたちの「ジュラバ」は本気度が高い)

 9時、バスはエッサウィラに向けて出発。運転手さんは見るからに頼もしい禿げ頭の中年オジサマ。ここから3時間、彼に命の全てをかけることになるわけだが、あんなに頼もしいんじゃ、命の賭けがいもあるというものだ。

 バスが市街地を抜けるまでに、およそ30分かかる。郊外に来てもまだ巨大スーパー・カルフールの店舗があって、諸君、マラケシュの都会ぶりは日本の「地方中核都市」に迫るものがある。

 どうやら、日本のガイドブックや旅行雑誌で喧伝されている「メディナの迷宮」なんてのは、あくまで観光客向けの作り物であるらしい。言わばディズニーリゾート並みの壮大なエンタテインメントなんじゃあるまいか。

 だっておかしいじゃないか。暗い混沌の迷宮の周囲を取り囲むように、まず高級ホテル群が広がっている。ホテル群の外側を包み込むのは、高級住宅地。犬を連れたマダムたちや、高級ネコを抱っこした猫侍みたいなオジサマたちが、穏やかな表情で休日の散歩を楽しんでいる。

 その「休日の散歩」も、忙しい日本みたいに「土曜&日曜だけの忙しい休日」などというせせこましいものではない。おそらく「休日のほうが多いですね」「セミリタイアですかね」「仕事は1週間に2日か3日ですかね。あとはオウチでゆっくりくつろいでます」という余裕の表情だ。
休憩地点の街2
(マラケシュ ☞ エッサウィラの中間地点の町。この荒涼ぶりには、さすがにヤラセ疑惑は感じない)

「旧市街の迷宮」だなんてのは、あくまで外国人観光客の夢。アラビアンナイトの世界に憧れる暢気な欧米人の夢をかなえてあげるために、モロッコの王様たちが仕組んでくれたオトギの国なんじゃないのか。

 そう考えると、ちっとも商品の売れない店が「これでもか?」と乱立している迷宮の存在意義も理解できるのである。1時間に2〜3人しかお客の来ないオレンジジュース屋が、なぜ50軒以上も平気で店を開いているのか。こりゃ諸君、政府からタップリ補助金が出ているに違いない。

 何だか人々の夢をこわすようで申し訳ないが、「そうか、補助金が湯水のように出てるんだな」と考えると、全てに説明がつくのである。というか、そうでもないと説明がつかないのである。

 1ヶ月に数足しか売れないであろうバブーシュ屋。皮臭くて鼻が曲がりそうなモロッコのスリッパであるが、立ち止る客の姿も稀なバブーシュ屋が、旧市街全体でおそらく100軒近くも営業を続けているのは、要するにメディナという名の巨大リゾート施設を、懸命に維持しようとする政府の補助金のおかげじゃないのか。

 だって諸君、黙っていても石油が湧いてくるわけではないモロッコの収入源は、今や何と言っても観光業だ。オレンジは国中にいくらでも成っているが、まさかオレンジばかり食べて生きていくわけにもいかない。重要なのは、どこまでも観光業の繁栄。その目玉のメディナになら、オカネはジャブジャブ注ぎ込んで構わない。
草原
(エッサウィラは海辺の町だ。大西洋に接近すると、砂漠に草が増えてくる)

 となると、あの臭い肉屋も臭い魚屋も、ニワトリが檻にウジャウジャ詰め込まれてコッコ&コッコうめいていたニワトリ屋も、みんなヤラセに過ぎないんじゃないか。

 前近代的なエスカルゴ屋。確かに観光客は嬉しそうに緑色のカタツムリを口に運んでいたけれども、店を経営しているオジサマやらオバサマやらは、「そんなもの食べない方がいいですよ」と心の中でニタニタ笑っているのかもしれない。

 夕暮れ、旧市街のお店はみんな店じまいして、店主のオジサマもオバサマもヒッソリ家路につく。帰途、巨大なカルフールに立ち寄って、清潔なチキンやハムやチーズをカゴに放り込み、欧米製の冷凍食品をタンマリ買い込んで、彼ら彼女らの食卓には、そういう豊富な食品がズラリと並ぶのかもしれない。

 夕暮れを過ぎると、旧市街の真ん中の「ジャマ・エル・フナ広場」は大道芸人と屋台の独壇場になる。うーん、その辺もまた怪しいのである。マラケシュの市民はそんなものに見向きもせず、オウチでチキンをツマミながら、豪華なお部屋でテレビを眺めているんじゃないか。

 テレビでは、もちろんヨーロッパ各国のサッカーをやっている。映画もお笑いもバラエティもふんだんに放送されている。旧宗主国フランスのテレビも、イタリアのテレビもスペインのテレビも、ナンボでも見られるのである。
ヒツジの木
(ヒツジの成る樹を発見。余りのことに驚いて手が震え、チャンとした写真がとれなかった)

「アラビアンナイトの世界なんか、ただの作り物」「誰も相手にしてませんよ」と、市民は肩をすくめて微笑しているかもしれない。問題はあくまで観光の繁栄と外資。そう気づくと、昼間の狭い旧市街を爆走していたバイクや自転車やロバさんたちまで、何だかうさんくさく思えるのである。

 混沌の迷宮の雰囲気を盛り上げるには、走り回るバイクは必須。壊れかけた軽乗用車もなくてはならない存在だし、昭和の日本を走り回っていた「オート三輪」なんかも、できれば採用したい。ロバもポニーも大量のノラネコも欠かせないし、オジサンどうしの口論やらイザコザもなくてはならない存在だ。

 夜になって「屋台」「ヘビ使い」「大道芸人」として登場してくる人々だって、昼間は何をやってるの?と考え始めると、いやはや、やっぱり怪しいのである。「政府からの補助金をもらって、メディナの中をバイクで走り回ってるんじゃないの?」。今井君の疑念は留まるところを知らない。

 すると諸君、少年たちさえ怪しくなってくる。旧市街の外にはいくらでもキレイな広場があるのに、なぜ旧市街のドロドロの街路でサッカーなんかに興じているんすか?

 迷宮の塀の外に出れば、クルマにもバイクにも煩わされずに取っ組み合いができるのに、どうしてこんなせせこましいところで取っ組み合いなんかしてるんすか?

 新市街にはドイツやフランスの高級外車が列を作って走り回っているのに、どうしてメディナの中ばかり、壊れかけのバイクと壊れかけの荷車が占拠してるんすか?
エッサウィラ
(エッサウィラに到着。予想した以上に小さな港町だった。正面は町のシンボル・時計台)

 今井君は、秋田県横手市の「かまくら祭」を思い出さずにはいられない。ワラ靴・ワラ頭巾・ワラ帽子。そういうカッコをさせられた「雪国のコドモたち」が「ぬくーい甘酒、飲んでってたんしょ!!」と、かまくらの中から観光客に声をかける。

 雪のかまくらの中には、炭火のいろり、網の上で焼けるオモチ、「水神様」の前でチロチロ燃えるロウソク。うひゃ、100年も150年も前に終わった世界が、さも「日常です」と言わんばかりにあくどく繰り広げられる。

 もしかして、マラケシュの旧市街で我々がウットリしているのも、同じ性質のものなのかい? そう思うと、何だかモロッコの旅の前半がみんな空しく思えてくるのは致し方のないことである。

 しかし諸君、その辺の疑念を半分近く蹴散らしてくれたのが、この日のエッサウィラへのバス旅であった。中でもバス旅の中間地点、「20分だけ休憩します」とバスが停車した町の風景は、「やっぱりマラケシュもヤラセじゃなかったんだ」と、ワタクシを安堵させてくれる素晴らしい光景であった。詳しくは、明日の記事で。

1E(Cd) David Sanborn:TIME AGAIN
2E(Cd) David Sanborn:LOVE SONGS
3E(Cd) David Sanborn:HIDEAWAY
6D(DMv) 2012
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