Fri 170303 3月下旬の都会風景/町田&池袋の大盛況/教育現場の実情/肥やしになる | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 170303 3月下旬の都会風景/町田&池袋の大盛況/教育現場の実情/肥やしになる

 桜の咲き始めた3月下旬の土曜日。そろそろ地方各地から、進学先を決めた大学1年生が続々と上京してくる季節である。袴にブーツに超厚化粧、マコトに奇妙な風体の女子学生が街を闊歩し、まあ要するに卒業式シーズン。夕暮れの山手線は何だか暑苦しい。

 第1志望に合格して、得意満面の笑顔で上京してくるならいいのだ。しかし残念ながら、上京組には「第2志望です」「第3志望でした」ならまだしも、「ホントは、浪人してじっくり受験勉強に取り組みたいんですけど」などという人だって少なくない。

 しかし諸君、3月下旬ともなれば、そういう深く大きな後悔や悲しみとは全く無関係に、入学準備はどんどん進んでいってしまう。パパは相変わらず仏頂面で腕組みしたままビールでも飲んでいるだろうが、悲しいママはそうはいかない。息子や娘の下宿探しに奔走を始めなければならない。

 ホントはママだって、どうしても息子には第1志望を突破してほしかった。幼い頃から優秀で、まさか学部入試の段階で大失敗するだなんて思ってもいなかった。それなのに今、こうして失望の中で東京の下宿を探している。
特ヒレ定食1
(下北沢南口「かつ良」の「特ひれかつ定食」。ソースのカホリがたまらない)

「あんた、ここでいいの?」。親子でたどり着いたのは、練馬区か豊島区か世田谷区の奥の奥、寂しい私鉄の駅である。急行はおろか、準急だって止まらない。各駅停車が10分に1回、申し訳なさそうに停車する小さな駅である。

 古びたスーパーが一軒。お蕎麦屋が1軒、いつ廃業してもおかしくない定食屋が1軒。その揚げ物の匂いが立ち込める向こうに、息子なり娘なりが4年間お世話になりそうなクリーニング屋が1軒。そんな昭和の風景である。

「こんなはずじゃなかった」。ママは忙しそうに日用品を揃えながら、3年前を思い出す。3年前の春は、あんなに意気揚々と高校の入学式に向かったのだ。秋の文化祭からわずか半年の受験勉強だったのに、思いもよらなかった第1志望の高校に合格した。

 いったい今回の大学受験は、何がいけなかったのか。よく分からない。とりあえず洗剤と洗面器とタオルと歯ブラシとハミガキ、そのぐらい揃えてあげないと、息子は日常生活さえチャンと出来ないはずだ。40歳代半ば、まだ若いママが息子や娘にベッタリ奉仕できる最後の日々である。

 地下鉄千代田線にも、新宿で乗り換えた山手線にも、そういうママと子供の姿が目立つ。つい1週間か10日前までは、電車はみんなシューカツのユニフォームを来た大学生でいっぱいだったが、季節はマコトに順調に巡っていくようである。
特ヒレ定食2
(下北沢「かつ良」の特ひれかつ定食。下宿を始めた諸君、まず大切なのは定食屋さがしだ)

 ワタクシは、3月24日が町田、3月25日が池袋。ともに「新高1生限定」企画であって、出席OKなのは4月から高1生になる生徒諸君と、その保護者のみである。我々の所に中3生はいないから、出席する全員が新規生。厳しい公開授業である。

 中高一貫校に通っていてもいいし、高校入試を突破したばかりの諸君ももちろんOK。あとはそのパパ&ママであるが、パパ&ママと言っても、何しろコドモが15歳なのであるから、その年齢はまだ40歳代前半から中盤が主体である。

 今井君が初めて河合塾や駿台で教えたのは、1990年代初期である。当時18歳だった諸君は、あれから25年、すでに42歳から43歳ぐらい。いやはや、そろそろ「父母」の資格で目の前に並びはじめてもおかしくないのである。

 考えてみると、この25年で大学入試はあまりに大きく様変わりしてしまった。四半世紀前は、まだ「こなれた日本語にしろ」「バタくさい日本語訳じゃ、減点するぞ」という時代である。

 古色蒼然とした「英文解釈」がいまだに幅を聞かせ、和訳にこだわることこそが正しい道。ちょっとでも和訳にこだわらない新しめの発言をすると、そこいら中から「邪道!!」「インチキ!!」という罵声が飛んできた。
特ヒレ定食3
(下北沢「かつ良」の特ひれかつ。下宿生諸君、定食の写真を田舎の両親に送って、安心させてあげたまえ)

 それがこの25年、リスニングが本格化し、自由英作文が主流になり、難関大の読解問題は平均して80行を超えて100行に近づき、いまや和訳第一主義の授業なんかしていると「時代遅れ!!」の痛罵を浴びる。

 というか、そんなんじゃもう誰も相手にしてくれない。生徒もよ—く理解していて、そんな授業にオカネを払う者はだーれもいない。「こなれた日本語が大切なんだ」と、お得意のトリビアを持ち出した瞬間、生徒全員がソッポを向く時代である。

 4技能が大切。そんな話も誰もが熟知していて、我々がいくら熱くなって「4技能!!」「4技能!!」と連呼しても、見向きもされない。いまや問題は「で、どうやって4技能?」「4技能は分かった。それをどう身につけるのか、方法論を知りたい」という時代なのである。

 ましてや、「これから高1になります」という段階で、こういう場に足を運ぶ生徒諸君だ。極めて意識は高い。その保護者となると、もっと意識が高い。

 1990年代、自らが受験生だった時代と比較して、何がどう変わったのか、だからコドモはどうしたらいいのか、強烈な問題意識をもって町田や池袋に集合する。

 出席者はともに約100名。会場は立錐の余地もないほどであり、今井君が何を語るのか、「固唾をのんで見守る」という雰囲気になった。
漬物
(優れた定食屋は、漬け物なんかも無料で食べ放題だ)

 もちろん「何を語ったか」は企業秘密である。だって諸君、今や教育現場は大混乱だ。いきなり「4技能」、要するに「今までの4倍を教えなさい」「生徒たちが今までの4倍の技能を身につけるような教育を実践しなさい」と、先生方にいきなり4倍の仕事があてがわれたのである。

「4倍の仕事をしろ!!」というなら、命じられた方としては以下3つの要求をするのが当然だ。というか、どうして誰も素直に声をあげないのか、ワタクシは不思議でならない。

① 授業時間を4倍にしてください。今まで週5時間だったんですから、週20時間くれなければ無理です。
② 給料を4倍にしてください。仕事量が4倍なら、給与も4倍。当たり前でしょう。まさか同じ給与で4倍の仕事をしろとは言いませんよね。
③ 魔法を教えてください。同じ時間、同じ給与で4倍の成果を上げろというなら、魔法かインチキでも習うより仕方がないじゃありませんか。

 こうして諸君、英語教育の現場は大混乱に陥らざるを得ない。読むことさえままならない高校生に、「読むだけじゃダメなんだ」「聞けて、話せて、書けなきゃダメなんだ」と連呼するしかない。

 短距離の選手の背中に向かって、「走れるだけじゃダメなんだ。砲丸投げも、棒高跳びも、マラソンも、全部やってみせたまえ」と悪魔みたいに囁き続ける。いま我々がやっているのは、そういう類いのことである。

 しかし諸君、だからこそやりがいがあるというものじゃないか。
「その方法論は、東進にあるんです」
「一日も早く東進に来てください」
というわけである。

 それだけ書くと、余りに怪しくて、書いている本人の身がすくむほどであるが、しかし結論の一端は「だからこそ基礎基本徹底」であることは論を待たない。
メロン
(池袋でメロンのデザートをいただく。おいしゅーございました)

 この場合、先生ばかりが優秀でも何にもならない。ありがちなのは、先生があんまり優秀で、先生と生徒の距離がどんどん乖離し、憧ればかりが膨張して「でも、ボクにはついていけないや」「センセはスゴいけど、アタシには無理…」という悲しく大きな諦めが支配するシーンである。

 問題が大きければ大きいほど、大切なのは先生が汚く腐って、肥やしになってあげる姿勢なのである。先生は、みっともなくてかまわない。クサい肥やしで構わない。

 基礎基本、基礎基本、単語に文法に音読に、ひたすらカッコ悪く基礎と基本を噛み砕いて噛み砕いて吸収させる。「先生、ダセー」「もうそんなこと全部わかってっから」「うぜ」「めんどくせ」「先生、もういいよ」。そうやって肥やしの役割が消滅した頃、若い諸君は4技能の世界に羽ばたいている。

 高校のセンセも、予備校や塾の講師諸君も、ぜひそういう境地を目指そうじゃないか。「自分は英語の天才だ」「ワタシは英語の神である」。その種の自己満足が光り輝いていた時代は、はるか20世紀のかなたに消え去ったのである。

 もしそれが嫌なら、教師や講師として生きていくより、「ボクの英語はネイティブ以上」と豪語するそのアナタ自身のスンバラシー英語力を生かして、自ら世界を雄飛したらいいじゃないか。今井君はそう考えるのである。

1E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 1/3
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3E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 3/3
6D(DMv) APOCALYPSE POMPEII
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