Mon 170213 旭川の大盛況/田ぬき村での大懇親会/医師のタマゴ3人/陽気な若者たち | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 170213 旭川の大盛況/田ぬき村での大懇親会/医師のタマゴ3人/陽気な若者たち

 3月6日午後3時半、旭川に到着。千歳や札幌あたりではもうすっかり雪解けムードだったけれども、岩見沢 ☞ 美唄 ☞ 砂川と北上するに連れて積雪が増え、深川から北はすっかり真冬の光景になった。

 さすがに旭川は、晴れていても氷点下。はるかな大雪山が、快晴の青空に真っ白く浮かび上がっている。タクシーに乗って5分、旭川グランドホテルにチェックインした。

 旭川で一番のホテルだけれども、何しろこのタクシーが心苦しい。おそらく運転手さんは、駅前で2時間も3時間もじっとお客を待っていたのである。それなのに、乗り込んできたクマみたいなオヤジが「旭川グランドホテル」と告げる。

 その瞬間、「3時間も客待ちをしてたったの540円」という現実が運転手さんの心を打ち砕く。クマに聞こえないように静かに深く溜息をついて、「3で割ると、時給180円」という現実を受け止めるしかない。

 もちろん「そんなに心苦しいなら、ホテルまで歩けばいいじゃないか」というオカタもいるだろう。しかし諸君、このツルツル凍りついた雪道を革靴なんかで歩いてみたまえ、ホテルにたどり着くまでに、少なくとも10回はスッテンコロリ、公開授業なんかできる状況ではなくなってしまう。

 ホテルのエントランスで600円出して、せめてものツグナイに「お釣りはいりません」とカッコよく言ってみる。カッコよく辞退したその「お釣り」というのも、考えてみればたった60円だ。うーん、1000円札ぐらい出してから「お釣りはいりません」をやるべきだった。
ラーメン
(旭川での懇親会、〆の煮込みラーメン。今日の記事は、このクライマックスに向かって突き進む)

 ホテルのロビーは修学旅行の高校生でいっぱいだ。ホテルスタッフに尋ねてみると、九州の高校生なんだそうだ。毎年この時期に、旭川に雪の世界を体験にやってくる。ほほお、修学旅行でこんな立派なホテルに泊まるなんて、世の中はどんどん贅沢になっていく。

 あんまりエレベーターが混雑しているので、見かねたスタッフが「従業員用のエレベーターでよろしかったらご案内します」と言ってくれた。おお、素晴らしい対応だ、さすが老舗ホテル、こうでなくちゃいけませんな。

 16階の部屋の窓から眺める白い大雪山の姿に感激(昨日の写真1枚目と5枚目を参照)、ずっと山を見つめたまま1時間を過ごした。17時半、ホテルロビーでスタッフと待ち合わせ、クルマで今夜の会場に向かった。

 旭川での公開授業は、2年ぶり。前回も前々回も「午前10時から」という厳しいスケジュールであったが、今回はスタンダードに19時半開始、21時終了。やっぱり諸君、あんまり早い時間帯だと、中年男にはいろいろツラい事情もあるものなのだ。

 こんな厳寒の夜の道を、約150名もの受講生が集まってくれた。使用したテキストはC。何度も書くようだが、この時期は「C」タイプの公開授業が、最高の充実感を達成できるようである。信じがたいほど熱烈&強烈な拍手に送られて、意気揚々と会場を後にすることが出来た。
旭川
(旭川の大盛況)

 懇親会は、あまりに昭和な雰囲気の路地の奥、「田ぬき村」にて。6畳間ぐらいの広さのお座敷に、オジサマ4名と、東進でアルバイト中の若いオニーサマ5名&オネーサマ3名、狭い空間に12人がぎゅっと詰め込まれて、人口密度は近頃例を見ないほど濃密であった。

 広い部屋に4〜5人でホノボノするのももちろんいいが、6畳間に12人という濃厚さも悪くない。12人の1人1人がみんな大いに個性的であって、会は開始直後から一気にボーボー燃え上がった。

 旭川医科大・医学科の3年生が3人も参加している。1人は地元の名門・旭川東高校の卒業生で、旭川のエリートコースを着々と進んできた女子である。おお、マコトに優秀そうだ。

 もう1人の女子は、はるばる函館からこちらへいらっしゃった。地元優先枠外からの国公立医学部合格ということは、よほど優秀なオカタに違いない。お名前を聞いて「青森にルーツがあるんじゃありませんか?」と尋ねてみた。「ドンピシャ」でござったよ。

 医師のタマゴの残る1名は、暑寒別岳の麓から旭川にやってきた男子。陸上の長距離で心身ともに鍛え抜いた男である。留萌から内陸部にググッと入った村のご出身。幼少時の経験から、地域に根ざした総合診療医を目指そうと考えているとのこと。3人ともマコトに頼もしい。

「総合診療医」という話題になったとき、今井君は大事な話題を持ち出しそこねた。せっかく医師のタマゴ3人がいたのだ。是非とも判定してほしい症例が1つあるのだ。

 決して深刻な話ではなくて、あくまで軽い冗談の一環なのだが、将来のドクターGたちの判断力を試してみたかった。うーん、残念&無念。是非とも近い将来また旭川に呼んでいただいて、3 eggsの判断を尋ねてみたい。
昭和
(懇親会のお店「田ぬき村」は、こんな昭和な路地の奥にあった)

 3 eggsの向こうには、今井君の意見では「日ハム・大谷翔平選手とソックリ」な男子がいた。間もなく大学卒業を控えていて、卒業後は教師として北海道のどこかに赴任することが決まっていらっしゃる。どんな寂しい土地にでも赴く覚悟が、たいへん頼もしい。

 さらに別の男子は、彼もまた教師になるはずだったが、摩周湖に魅せられ、火山とカルデラの研究を続けることを決意。「大学院に進みます」と嬉しそうに笑っている。

 その話になれば、今井君も黙っていない。「そうですか、火山はどのタイプが好きですか? コニーデ型? トロイデ型? アスピーテ型?」と尋ねてみた。地理だったか地学だったか、高1の頃の今井君はその辺に夢中になったことがある。

 地下から湧きあがる溶岩の粘り気によって、富士山みたいな美しい円錐形になることもあれば、マグマの粘り気が強いと、釣り鐘の形になることもある。サラサラの溶岩だと、平たくベターッと地面に広がってしまう。

 もう1つ、「ベロニーテ」なんてのもある。溶岩がいったん地下で冷えて固まり、おおきな固まりになってからニューッと地上に顔を出す。吹き出物の芯みたいな感じである。

 昭和19年から20年にかけて、第2次世界大戦の終盤にその「ニューッ」をやっちゃったのが昭和新山クン。ただし、こんな火山の分類は、今はもう時代遅れ、死語に近いんだそうな。
もつ鍋
(最初からモツ鍋。すぐにカラッポになった)

「サトマチです」と名乗った里町君(仮名)は、いかにもサトマチな感じ。実はワタクシは、この里町君のソックリさんを四半世紀前に教えたことがある。「誰かにそっくりだ」と宴会中ずっと悩んでいた。

 1時間も悩んでやっと分かったのだが、予備校講師を始めた頃に出会った佐藤吉徳クンに瓜2つなのだ。佐藤吉徳クンと言ったって、あれから25年、当時18歳だった彼は、もう43歳という計算。「吉徳クン」というより、すっかり立派なオジサマに成長したはずである。

 関東ローカルかもしれないが、ひな祭りの頃になると「人形の吉徳」のCMが盛んに入る。「顔が命の、吉徳」というのであるが、そのCMのせいで佐藤吉徳クンは「顔が命」というニックネームで呼ばれていた。おお、顔が命クンを、旭川の北の大地で思い出したのである。

 北海道大に通う男子は、昔の羽生弓弦選手を髣髴とさせる好男子。〆のラーメンをすすっては、世紀の幸福を手中にした瞬間か、4回転ジャンプを3回も4回もカンペキに決めた羽生選手よろしく、200%の幸福にひたって満面に笑みを湛えていらっしゃった。
さしみ
(刺身の大皿。これもたちまち平らげた)

 刺身好きのオネーサマが1名。この日一番カッコよかったのは彼女である。参加メンバーが陽気な人ばかりで、ウジウジ遠慮なんかせず、食べたいものは貪り、飲みたいものはガブガブやる、マコトに気持ち集団だったが、彼女のキップのよさはまさに出色の観があった。

 最初は「ちょっと機嫌が悪いかな?」と心配していたのだ。ところが、どこかでプスッと何かが切れる気配があり、次の瞬間「刺身、食べる」と彼女がグッと身を乗り出したのである。「おさしみ」とか、そういうメンドクサイ言い方をしない。いきなりズバッと「刺身!!」。いいじゃん&いいじゃん。

 刺身の大皿から、マグロもイカもカニもぐいぐい自分の取り皿にとってしまう。サトイモ天狗(昨日の記事参照)がウニのために店の人からもらっておいたスプーンを手に、山盛りのウニの80%を、自分の取り皿に盛っちゃった。やっぱり諸君、若い人間はこのぐらい元気なのがいい。

 あとは、一気呵成。旭川のエリートコースを歩んできた医師のタマゴ女子も、「アタシにもマグロ!!」と身を乗り出し、店のマスターが覚えきれないほどのドリンクを、次から次へとみんな自分勝手に注文しまくる。串焼きも、もつ鍋も、大っきな鰊も、みんな瞬時にテーブルから消えた。

 これが旭川「田ぬき村」の一夜のあらましである。こんな楽しい夜なら、誰も文句はないはずだ。明日への英気を大いに養い、11時半、記念写真も数枚撮影して、マコトにめでたく散会となった。

1E(Cd) Hilary Hahn:BACH/PARTITAS No.2&3 SONATA No.3
2E(Cd) Kirk Whalum:COLORS
3E(Cd) George Benson:IRREPLACEABLE
6(DMv) YOUNG ADULT
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