Wed 170208 3月のヤマ場が始まった/松山到着/なぜか東急REIホテル/白札屋と魚民 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 170208 3月のヤマ場が始まった/松山到着/なぜか東急REIホテル/白札屋と魚民

 諸君、とうとう3月の公開授業ラッシュが始まってしまった。これから3月26日まで、ワタクシにはほとんど休息のイトマがない。来る日も来る日もヒコーキに乗って移動また移動。東奔西走&南船北馬、日本をスミズミまで駆け回る。

 スケジュールを見るに、21世紀版オデュッセイア、極東版オデュッセイアである。ワタクシは、カッコよく改名しようかと考えるのだ。名づけてFEO21。ファー・イースト・オデュッセウス21であって、そんな映画もあっていいじゃないか。

「大袈裟ですな」などと冷笑するなかれ。ここからの1週間だけだって諸君、「ワザとやってんのかい?」というぐらいの強烈な移動ラッシュだ。東京 ☞ 松山 ☞ 大阪 ☞ 福井 ☞ 東京 ☞ 旭川 ☞ 室蘭 ☞ 西宮 ☞ 東京。FEO21号は、スーパーマンかパーマン2号ぐらいの激しさで日本を飛び回る。

 3月2日、「明日は桃の節句でござるね」と暢気に呟きながら、羽田から松山に飛び立った。朝の東京は、雨。春4番であるが、1番2番3番はともかく、せっかく雷もゴロゴロやってみたのに、4番あたりからは世の中もちっとも注目してくれない。日本に迫る低気圧君が哀れである。
松山
(松山、280名の大盛況)

 松山に到着、13時半。松山も雨である。その雨がだんだん激しくなってくる。昨年から今井君は「脱タクシー宣言」「卒タクシー宣言」をしている身であるから、松山空港から市内まで、超満員のバスでの移動。そのバスの中でも、「スゴい雨!!」という叫びがそこいら中から上がるほどだった。

 宿泊は諸君、何と「東急REIホテル」である。もちろん自分で「エクスペディア」を通じて予約した。ヒトビトは「何でそんなホテル?」「もっと高級なホテルがあるでしょうに」と、揃って首を傾げるのである。

 しかしそんなこと言ったって、松山というところはホテルに恵まれていない。日航系は「JALシティ」。ANA系は「全日空ホテル」。日本中のANA系列ホテルが「ANAクラウンプラザホテル」に変身する中、米子と松山は古色蒼然とした「全日空ホテル」の看板のまま取り残されている。

 何となく物足りないので、この2〜3年の今井君は「松山出張時は道後温泉に宿泊」と決めていた。超古参の温泉地ではあるが、夕食なし&朝食なし、「素泊まりOK」というホテルも存在する。

 素泊まりして、朝は道後温泉本館に行く。早朝の道後温泉で、3階の個室をとってノンビリくつろぐのも悪くない。昨年も、一昨年も、そういう松山の早春を満喫した。
マッサージチェア
(松山・東急REIホテルにて。マッサージチェアが待っていた)

 しかし今週のスケジュールを眺めてみるに、さすがに旅の冒頭からそのたぐいののんびりムードには浸れない。全日空ホテルもイヤ、JALシティもイヤ。そのワガママの果てに「東急REIホテル」が待っていた。

 若い読者諸君は知らないかもしれないが、ここはかつて「東急イン」の名前で全国展開していたホテルチェーンである。渋谷にも「東急イン」があって、西武百貨店のA館とB館の間から見える大きな看板が印象的だった。

 ところがこの「東急イン」、20世紀の終わりというか、昭和の終わりというか、その頃から「東横イン」に押されはじめた。いやはや、この世の中は難しい。何が起こるか予測もつかない。

 東横インが生まれた当初は、バッタモノ扱い。あくまで本家本元は東急インであって、東横インのほうは「何だか怪しいビジネスホテルがあるらしいぜ」とニヤニヤ笑いの対象だった。「何でそんな怪しいネーミングにしちゃったかね」と、笑い話のタネになるぐらいであった。

 それがいつの間にか全国どこでも東横インの嵐。県庁所在地のど真ん中に、キレイなブルーの「東横イン」の看板がキラキラするようになると、事態は逆転する。逆に本家本元の「東急イン」が笑い話の対象になりはじめた。

 老舗・東急インにとっては、苦渋の決断だったに違いない。東横インにここまで攻め込まれては、類似の名称のまま頑張り続けるのは難しい。ここは改名の決断をせにゃならん。「東急REIホテル」。天下の東急グループも、グイグイ攻め込む同業他社には道を譲らざるを得ない。
橙
(松山の懇親会は、スーパーお馴染み「橙」で。松山の懇親会は常にこの店である。詳細は、明日の記事で)

 同じような事例を、さすがFEO21号・人生のベテラン☞サトイモ入道は数多く目撃してきた。「白札屋」もその1つである。「シロフダヤ」と発音する。白札とは、文字通り白い札であって、サントリーの誇る名品「サントリーホワイト」のことである。

 昭和末期、「白札屋」の看板で、それなりにオシャレなお店を全国展開しはじめた。30歳代の男女が「仕事帰りに軽く一杯」という話になれば、まさに格好の店であった。

 そこへ諸君、居酒屋「白木屋」が登場する。本家本元は「白札屋」のほうであっても、全国に「白木屋」が高速展開すれば、いつの間にか「どっちが先だったか」なんか分からなくなる。

 あるとき若き今井君は電車の中で、4〜5人のサラリーマンが談笑しているのを耳にした。「最近さあ、白木屋のバッタモンあるでしょ。『白札屋』とかいうの。笑えるよな。もう少しネーミング考えたほうがいいんじゃね?」というのである。

 いやはや、今井君のこういう記憶に誤りがあったら、ひたすら「申し訳ございません」と頭を下げるしかないが、知らないうちに立場が逆転して、本家本元が苦しめられる。どうだい諸君、大学生仲間で「東駿 ホイスクール」なんてのを立ち上げてみたら。

「とうすん」。30 年も頑張れば、いつの間にか「とうすん」が優勢になって、高校生の雑談に
「最近『とうすん』をパクった『とうしん』とか「すんだい」とかあるよな」
「笑えるよな」
「ははははは」
なんてことになっているかもしれない。
ワイン
(赤ワイン1本。1人でクイクイあけちゃった)

 ついでに、つい半月ほど前に電車で耳にした「小樽の魚民」の話も紹介しておこう。「たったいま小樽への出張から帰ってきた」というサラリーマンが、同僚数名を相手に、小樽の新鮮な魚介類に感激した話を開陳していたのだ。

「スゴい店だったよ。小樽の新鮮な魚介がどんどん出てくるんだ。ウニもイカもニシンもイクラも、信じらんないぐらい甘いんだ。エビも、プリップリでホントに甘い。さすが小樽だよな。東京の店なんかとはクオリティが違うんだ」

 それほど自慢されれば、同僚たちとしてももちろん店の名前を知りたくなる。「店の名前は?」「こんど北海道に出張したら、オレも言ってみる」。話は熱くびょんびょん弾んだ。そして彼の次のような発言が続いたのである。

「何て言ったかな。ああそうだ『ウオタミ』だ。魚の民って書くんだ。赤いキレイな看板だったよ。魚を食べてきた民族。そういうプライドなのかな。また行ってみたいよ。はははははは」
蕎麦
(懇親会の〆は「だったん蕎麦」。おいしゅーございました)

 諸君、これは決して作り話でも何でもない。地下鉄千代田線、代々木上原から表参道までの10分ほどで、スーツにリュックの30歳代サラリーマンが目を輝かせながら語っていたお話だ。仲間たちのリアクションを見ないうちに、今井君は銀座線に乗り換えなければならなくなった。

 おやおや、松山・東急REIにチェックインしたところまでで、もうずいぶん長く書いちゃった。これ以上書きまくっていると、お馴染み「長過ぎる」「長くて読めねえ」と暴れだすヒトビトも多いだろう。今日の記事は、そろそろ終わりにしたい。

 3月2日、松山は夕暮れになっても雨。だんだん雨の勢いは増してくるようである。こんな雨じゃ、今井君の公開授業には予定の8割ぐらいしか集まってくれないんじゃないか。

 マコトに心配であったが、結果は今日の写真の1枚目をご覧いただければ分かる。280名が集まって、パンパンパンの大盛況となった。懇親会も含め、詳細はまた明日の記事で。

1E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN⑤
2E(Cd) John Coltrane:IMPRESSION
3E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK VIOLIN CONCERTO & SARASATE
6(DMv) MANHATTAN
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