Fri 170203 クトゥピアの塔/スークの迷宮/積み上げる執念/ネコたち(モロッコ探険記8) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 170203 クトゥピアの塔/スークの迷宮/積み上げる執念/ネコたち(モロッコ探険記8)

「マラケシュのスークがどれほど迷宮のように入り組んでいても、迷ったり困ったりしたら、すぐにクトゥピアの塔を探せばいい」
「クトゥピアの塔だけは、迷宮のどこからでもすぐに見つかるはずだ」

 旅行雑誌にもガイドブックにもそう書いてあって、確かにクトゥピアの塔は高さ77メートル。旧市街の西端に美しく聳え立っている。建築が始まったのは1147年、ムワッヒド朝の創始者による。その名もアブド・アル・ムーメン。モスク部分が完成したのは1199年である。

 そりゃたいへんだ。日本では、「いい国(1192)つくろう、鎌倉幕府」がやっと政権を掌握した頃である。後白河法王に北条時政に北条政子が大活躍、古代から中世に移行する過渡期の真っただ中。イスラム圏の西の果てでは、こんな美しいミナレットが完成していたのである。

「これと似た塔をどこかで見たことがあるな」と思っていろいろ考えてみたら、スペイン・セビリアの「ヒラルダの塔」がそれだった。ヒラルダの方は高さ97メートル。ともに「ムーア様式の傑作」と呼ばれているんだそうな。
クトゥピア1
(クトゥピアの塔 1)

 何しろモスクであるから、むかしは周辺に本屋さんもたくさんあったはずである。本屋さんで本を買って、人は一生懸命に勉強に励む。日本のお寺だって、ヨーロッパの教会だって、全く同じことである。

 そうは言っても、12世紀とか13世紀には印刷術なんかないから、本屋さんで売っているのはみんな写本である。写本のことをアラビア語で「アル・クトゥビイーイン」と言い、そのクトゥビーインが、クトゥピアの塔という名のモトになっているんだそうな。

 ただし、いくら77メートルもあるノッポさんでも、「スークのどこからでも塔が見えます」というほどの高さではない。「迷ったら、塔を探す」も何も、スークに入った瞬間から、もうクトゥピアは影も形もない。

 縦横無尽に張り巡らされた道は、幅2メートルを少し超える程度。両側には所狭しと商店が立ち並び、路上にも商品が溢れ出している。そこいら中で石畳が剥がれて歩きにくい細道を、無数のバイクが走り回る。

 バイクに混じってたくさんの荷車も通り、人の引く荷車と、ロバが引く荷車が交錯して、罵声やら歓声やら笑い声が商店の壁に反響し、耳を聾するばかりである。

 いちおう「網目状」ないし「編目状」に道が枝分かれしているということになっているが、「あみめ」という響きから想像するような整然とした枝分かれではない。碁盤の目とは全く質の違う、気まぐれで無秩序で自分勝手な枝分かれである。
クトゥピア2
(クトゥピアの塔 2)

 立ち並ぶ商店は、これもいちおう商店と呼んでおくが、むしろ「壁と屋根と床のついた屋台」「直方体の中に固定された屋台」と言ったほうが正確かもしれない。

 最もスタンダードな商店は、間口3メートル、奥行き5メートル、高さ3メートルの直方体。掛け算すればその容積は45㎥ということになるが、50㎥足らずの入れ物の中に、商品を詰め込めるだけ、執念で意地でも詰め込んだ感がある。

 その執念たるや、にわかには信じがたいものがある。ナッツ類でもフルーツでも、スリッパでもカバンでも、「丸1年かかってもこんなに売れるはずがない」と確信できるほど大量に、ギューギュー音がするほど詰め込んである。

 店頭に積み上げられたナッツ類について、欧米系のガイドブックは「AVALANCHE」と表現している。「なだれ」であり「殺到」であり、「すし詰め」「ひしめき」「大混雑」である。

 クルミでもダッテルンでも、まず四角い木の箱の中に規則正しくギュー詰めにし、次にその箱を縦横にギュー詰めにし、最後に上へ上へと積めるだけ積み上げて、息苦しいほど濃密なナッツの直方体を作り上げる。店の人はナッツに閉じ込められ、ニッチもサッチもいかない状態だ。

 なお「ダッテルン」は、ヨーロッパでもスタンダードな甘い果実。今井君は15年前にドイツの屋台で初めて食べてみた。アズキの煮物の煮汁のような味。食べたのはあれが最後。見た目もある種の昆虫みたいで、あまりリピートしたくはならない。興味のあるヒトは、ググって写真を眺めてみてくれたまえ。
アグノウ
(アグノウ門)

 息が詰まりそうなほどの濃密さは、他の商品でも同じことである。肉でもフルーツでも、スリッパでも銀製品でも、とにかく数限りなく可能なかぎり詰め込もう&積み上げようという執念を感じる。

 スリッパは、正式名称 ☞ バブーシュ。たった一足でも革のニオイの強烈なスリッパが、直方体の店を満たし、店の中には革のニオイが濃厚に充満している。

 革加工はモロッコのお家芸であるから、当然マラケシュにもカバン屋さんが立ち並んでいるが、売り切れるまでに10年はかかりそうなほど、茶色いカバンまみれになっている。

 フランスに「モラビト」という老舗・最高級ブランドバッグ屋さんが存在する。公式サイトでバッグのお値段を眺めただけで、臆病な今井君なんかは縮み上がるが、マラケシュに立ち並ぶカバン屋さんを見ながら、「もしかしてこのブランドは、モロッコ中世のムラービト朝と関係があるのかな」と、ふと思い当たった。

 ググってみると、とりあえず関係はないみたいである。創業者であるJean Baptiste Morabitoは、もともとフランス・ニースの宝飾屋さんだ。しかし諸君、Morabitoなどという珍しい名前が、そんじょそこらに転がっているわけではない。ずっとずーっとルーツをたどれば、ルーツは地中海を超えてマラケシュにたどり着くのかもしれない。
コウトノリ
(デカい巣の中の、デカいコウノトリ)

 さてスークであるが、一番大きな通りで幅3メートル弱、ほとんどの路地は人がやっとすれ違える程度。各商店が商品を執念で積み上げているのと同じように、街に商店をぎゅっと詰め込んで店だらけにしたところにも、街全体の執念を感じる。イスラム建築や装飾の執念に通じるものが漂うのである。

 とにかく、同じものをひたすら並べ積み上げる。ナスの山。タマネギの山。しかも正確には「山」というダラしないものではなくて、ナスの直方体、トマトの直方体、タマネギの直方体が、八百屋さん全体の直方体の店を、まるでレンガのように埋め尽くす。

 これはどう見ても執念だ。日本人やドイツ人はその几帳面さで世界に名を轟かせているが、マラケシュのスークに並ぶ商店の執念には、とても勝てるものではない。洗剤、電器部品、文具、玩具、何でも同種のものを可能なかぎり積み上げる。

 積み上げないのは、それが不可能な場合だけである。その典型が、丈の長い伝統衣装とジュータン。しかしその場合だって、「もうこれ以上スキマはありません」という息苦しさは同じである。スキマを嫌悪することこそ、モロッコ文化の特質なのかもしれない。
猫
(旧市街は、ネコまみれである)

 こういうふうだから、街を闊歩するネコたちのネコ口密度もハンパなものではない。フェズと並ぶ世界最大スークは、フェズと同様「ネコまみれ」であり、ネコだらけであって、ニャゴロワや故ナデシコと14年も一緒に暮らしてきた今井君としては、こんな嬉しいことはない。

 ただしよく見ると、モロッコのネコたちはあんまり幸せではなさそうだ。狭い道を、恐るべき数のバイクと荷車と人が行き交うわけだから、ネコたちはみんなどこかしらケガをしている。ケガの跡のないネコを見つけるのは、至難のワザである。

 1月7日は、こうしてスークの迷宮を歩き回って暮れていった。ネコを発見するたびにカメラを向け、そのたびに背後から迫るバイクに衝突されそうになり、夕暮れにはすでにヘトヘト。ますます痛みのつのる口内炎を冷たいビール4本で冷やしながら、カマンベールチーズを2箱平らげて、それで夕食ということにした。

1E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
2E(Cd) Baumann:MOZART/THE 4 HORN CONCERTOS
3E(Cd) Solti & Wiener:MOZART/GROßE MESSE
6(DMv) THE BUCKET LIST
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