Thu 170126 教師の苦悩と自己実現の歓喜/投走攻守、全て出来なきゃ/市ヶ谷で祝杯 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 170126 教師の苦悩と自己実現の歓喜/投走攻守、全て出来なきゃ/市ヶ谷で祝杯

 2月17日、夕方から「センター試験講評会」で講演。昨年までは西新宿・京王プラザホテルでの開催だったが、今年は会場が市ヶ谷に変更になった。駅を出てお堀の向こう側、元のシャープ東京本社ビルである。今はTKPが運営する貸し会議場になっている。

 ビルの入口で、そのたいへんな盛況ぶりにビックリする。エレベーターは超満員。まさに「押すな&押すな」であって、ギューギュー押されてお腹からアンコがビュッと飛びだしそうなほどである。

 市ヶ谷に集まった皆さんは、高校の先生方である。センター試験はあと2〜3年で終了、新テストに移行する予定であるが、今もなおセンター試験への関心はこんなに高い。

 数学は志田先生、国語は板野先生。そして英語の担当がこのワタクシである。18時集合、軽いリハーサルのあと、控え室で3人、情報交換に励みつつ本番を待った。

「リハーサル」と言っても、パワーポイントの操作を確認する程度であるが、何しろ普段の公開授業とは勝手が違うから、少なからず緊張が高まる。いやはや、パワポで話すのは何だかおっかない。

 19時10分スタート。持ち時間は50分で、何が何でも20時で終了しなければならない。そのへんもおっかない。いつも90分とか100分で話している人間が、今日だけ50分と言われても、うまく時間内に収まるかどうか、甚だ心許ないのである。
市ヶ谷1
(市ヶ谷でも相変わらずの熱演を繰り広げる)

 冒頭、演壇に駆け上がってみたものの、拍手も何も一切ない。こわばった静寂の中、コワい顔でこちらを見上げているのは全員が高校の先生方である。今井君としては、大きな拍手に迎えられ、笑顔と爆笑の中で話し始めるのがスタンダードだから、この硬質の静寂がますますおっかない。

 そこでワタクシは一計を案じ、「ちっとも拍手がありませんね」「こういう始まり方はお互いにツラいですね」と、無理やりの大拍手を求めてみた。これが大成功、先生方も即座に応じてくれて、暖かい拍手が湧き上がった。こうなればシメたもの。50分、一気呵成に語り尽くした。

 英語の先生方は今、マコトにツラい立場にいらっしゃるのである。日本人の多くは英語が苦手。大学受験で英語から逃れることは出来ないのに、ハッキリ「英語が得意です!!」と言い切れる高校生は多くない。出席した先生方はみんな、重い責任感に悩んでいらっしゃる。

 世間からもマスコミからも「学校英語は役に立たない」と言って叱られ続ける。数学や古文や物理、世界史や体育や生物、他の科目は別に役に立たなくても全然叱られないのに、英語だけが「役に立たない」「役に立たない」と責められ続けるのである。
市ヶ谷2
(高校の先生方がたくさん集まってくれた)

 その中でも特にセンター試験英語は、まるで諸悪の根源のように批判されてきた。「読めるだけじゃダメなんだ」であり、「日本人はあんなに難しい文章が読めるのに、話すとなると全然ダメじゃないか」「悪いのは大学入試」。そういう論旨になっている。

 今井君なんかは「日本人は、英語が読める」という前提に甚だ大きな疑問を感じる。「読めるけど…」と誰かが言った途端、「ええっ?」「読めるって、ホントですか?」「誰が、どのぐらい読めるんですか?」「英語が読めるって自信をもって言える人、前に出てきてください」と言いたくなる。

 以前にも書いたことがあるが、「読める」とは、せめて1時間で30ページ、百歩ゆずっても1時間で20ページ、そのぐらい読めなきゃ、「読める」と言ってあげられない。日本人の場合、その「読める」というのは、せいぜい1時間で10ページ、いや、5ページか6ページなんじゃないか。

 それは実際には「訳せる」「辞書と首っ引きで何とか和訳できる」ということであって、お世辞にも「読める」とは言えない。「読めるけど、話せない」じゃなくて、「読めないし、話せない」が、正確な表現である。

 その証拠に、受験生は「長文読解が一番苦手」と口を揃えるじゃないか。若者たちは「長文が読めません」と悩んでいるのに、マスメディアは「読めるけど、話せない」と批判する。状況の把握が明らかに間違っている。
市ヶ谷風景
(市ヶ谷の駅前風景。「TKP」の看板が元シャープ東京本社ビル、そのお隣が我々の市ヶ谷校。同じビルに、「魚民」や別の予備校も入っている)

 野球に例えれば、キャッチボールすらおぼつかないのである。マトモにキャッチボールも出来ない彼ら彼女らに、あと2〜3年で「4技能すべてを身につけなきゃダメなんだ」という困難な要求が突きつけられる。

 投げるだけでヨレヨレのピッチャーに、「投げるだけじゃダメなんだ」「打率もあげなきゃ」「ホームランも打てなきゃ」「盗塁もたくさんしなきゃ」「キャッチャーも出来なきゃ」「オールラウンドなプレイヤーでなきゃ意味がない」、コーチはそう檄を飛ばすことになる。

 つまり、大谷選手の二刀流ですらダメなのであって、今や高校生は四刀流を要求される。中学から高校までの6年間、週にたった4回か5回の授業で、投打走守、4技能全てに優れた名選手にならなければならない。生徒全員をそんな理想的な姿に育てないと、英語教師失格ということになる。

 これがラグビーなら、「フォワードも出来て、フルバックも出来て、ウィングも出来るが、ハーフもこなせる、ラグビー部員全員をそんなプレーヤーに育てなさい」、そういう難問に直面したようなものだ。

 しかも諸君、「読む」という部分の負担が軽減されるわけではない。「読む」に要求されるレベルは今のまま、あるいはむしろ今より上昇し、それにプラスして他の3技能も「読む」に負けないほどの能力をつけなければならない。

 つまり英語という科目だけは、高校時代までに一流のコックさんになることを要求される。他の科目は「味わう程度」「お客さん程度」でいいが、英語は万能シェフにならなきゃいけない。生徒の苦労はたいへんなものだが、育てる先生方の苦悩は急激に高まり、しかしお給料は急上昇するわけではない。
YANKO
(一昨日の記事で書いたYANKO。2003年に購入。今も現役だ)

 以上のような事情で、今や日本中の英語教師がたいへんなプレッシャーの中にある。2020年からは、生徒を4技能そろった英語の使い手として世の中に送り出さなければならない。「フツーの人をみんなメダル候補にしろ」と命じられたようなものである。

 しかも、そうやって世間の批判にさらされ続けるセンター試験だが、目の前の高2生と高1生はやっぱり受験しなければならない。現場の先生方は、いきなり2020年以降のイバラの道ばかりを考えていればいいのではない。

 こうして諸君、現場で英語教育に携わる先生方の表情がカタいのは、致し方ないのである。ワタクシは冒頭、まずその辺のことを熱く語ってみた。

 20歳代から30歳代、おそらく受験生時代にワタクシの授業を受けた先生方も数多く混じっていらっしゃる。あっという間に会場は熱い空気に満たされ、熱心に頷く人、笑顔で小さく喝采してくれる人が続出して、冒頭の冷たくカタい雰囲気は、2分もかからずに解消した。

 あとは、一気呵成である。現場の英語教育がそういう難しい仕事だからこそ、我々は大きなやりがいを感じるんだし、もし教師としての自己実現を思うなら、他教科の教師を遥かに上回る充実感があるんじゃないか。

 キツい要求を突きつけられているからこそ、めげずにたゆまず前進しようじゃないか。キレイゴトのようだが、自己実現の夢が大きければ大きいほど、充実した日々がおくれるというものじゃないか。それではとりあえず、目の前の新高3生&高2生のために、センター試験の分析に入ろうじゃあーりませんか。
瓦蕎麦
(祝杯のオトモは、瓦そば。おいしゅーございました)

 以上が、昨日の講演の冒頭5分の内容である。そこから先の45分については、ネタバレになるからここには示さない。45分、ほぼ普段の公開授業に負けないほどの爆笑が続いて、最後は感動的に熱々の大拍手に包まれた。

 終了後、会場からすぐ近くの居酒屋で祝杯を上げた。金曜日の夜、居酒屋はたいへんな混雑だったが、店員さんが元生徒だった(帰り際にそう告白された)おかげで、何とか掘りごたつのお座敷に割りこめた。

 山口県の酒と料理を揃えた店で、まず生ビール、続いて山口県の地ビール。そこから日本酒に移行して、「東洋美人」に「獺祭」を次々に空っぽにした。2合徳利を4本飲み干したところで、〆に山口名物「瓦そば」をすすった。

 帰り道、さっきの先生方のマコトに嬉しそうな表情を思い出して、講演の感激を新たにしたのである。あんなに熱心な先生方に恵まれて、生徒諸君もきっと幸せだろう。

 熱い感激の中で、今夜もまた「脱タクシー」を継続。偉いなー、今年の今井君は、ホントに偉いなー。お昼の春一番は、一転して冷たい北風に交代していたが、酔った肉体には北風のほうが、むしろ心地いいほどだったのである。

1E(Cd) Martinon:IBERT/ESCALES
2E(Cd) Bruns & Ishay:FAURÉ/L’ŒUVRE POUR VIOLONCELLE
3E(Cd) Collard:FAURÉ/NOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc.①
6D(DMv) THE MANCHURIAN CANDIDATE
total m163 y163 d20124