Tue 170117 ホントに大雪かい?/移動&移動の一日/こだまサン/豊橋の大盛況 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 170117 ホントに大雪かい?/移動&移動の一日/こだまサン/豊橋の大盛況

 これを書いている段階で、2月9日午前8時半。京都のホテルに滞在中である。「関西は大雪」の予報が出ていて、ニュースはその話ばかり。あたかも「大混乱が迫っている」みたいな勢いだ。

 タクシー会社には昨夜から予約が相次ぎ、クルマはタイヤを付け替えて、この日の大雪に備えるのだと言う。「会社に泊まり込み」という人も少なくないらしい。

 ホテルの窓を開くと、目の前は東山である。南禅寺や永観堂も近い。もし雪が積もったら、雪の京都を満喫する大チャンスだ。金閣銀閣に龍安寺、清水寺に醍醐寺、白い雪が積もったら、さぞかしスンバラシー風情だろう。嵐山に出かけて、雪の小倉山、雪の天龍寺、雪の竹林なんてのもいい。

 ただし諸君、ワタクシはあくまでお仕事で京都に来ているのだ。夕暮れから滋賀県草津で公開授業。雪のせいで電車は大幅に遅れるだろうし、そもそも受講生はチャンと来てくれるのか。予定では150人だが、おやおや、何だかいろんなことが心配になってくる。

 今井君は雪国で18年も過ごした人間であるから、雪が降るかどうかは肉体でほぼ正確に感じることができる。昨夜23時半の段階では、大いに天気予報を疑っていた。雪が降り積もるような気温でもなければ、湿度だって雪を告げるほど高まってはいなかった。

 雪国の人間以外は信じてくれないかもしれないが、雪が降る前には雪のニオイがするのである。大雪の場合は特にそうで、人々はヒクヒク鼻を蠢かして「こりゃ大雪がくるべ」と囁きあうのである。

 そういう雪の前夜独特のニオイもなかった。今井君の予測は、降ってもせいぜい「小雪」、明け方にうっすら積もって、あとは雨に変わる。昼前には雪の痕跡もほとんど消滅、公開授業もきっとパンパンの超満員。だいたいそんなところである。ハズレたら、すみません。
ビーフジャーキー
(大好物の「北陸だより ビーフジャーキー」。金沢のメーカー「天狗ハム」製。味も食感もマコトに上品である)

 さて、「あれれ、昨日はまだ金沢にいましたよね」という諸君、確かにその通り。昨日は移動また移動の一日で、さすがのサトイモ入道も何だか疲れ果てた。

 移動の前に、金沢駅で大好きな「北陸だより ビーフジャーキー」を3袋も購入する。コイツは諸君、ワタクシの大好物だ。上品な味と食感が素晴らしい。コンビニで売っているベタベタ甘いジャーキーとは品格が違うのである。

 11時、北陸本線の特急「サンダーバード」で一気に京都まで南下、所要時間2時間。金沢 ⇔ 京都間は予想より遥かに近いのである。小松・福井・鯖江と止まって、あとはもう武生にも敦賀にも止まらない。「おやおや、敦賀も無視ですか?」であるが、まあそういう方針なら致し方ない。

 敦賀の手前の北陸トンネルは、かつて日本一長いトンネルとして日本中の小学生の憧れの的だった。さすがのサンダーバード君も、通過にはなかなか苦労するのであって、はかってみると6分40秒かかった。こんな真っ暗闇で立ち往生したら、さぞかし心細いだろう。
湖西線
(湖西線。琵琶湖の周辺にも、積雪はほとんど見られない)

 大阪発・青森行きの夜行急行「きたぐに」がこの北陸トンネル内で火災事故を起こしたのは、1972年11月。深夜1時過ぎのことである。

 食堂車の喫煙室から火が出て、列車はトンネル内で立ち往生。停電して、乗客は闇と猛煙の中に取り残された。死者30名、負傷者も700名超の大惨事になった。

 事故からまもなく半世紀が経過するが、今でも「近隣の駅を幽霊列車が通過する」という噂が立つほどの惨事。乗客の中に国鉄職員がいて、「姿勢を低く。レールに触りながら出口を目指せ。あきらめるな」と、冷静に他の乗客に呼びかけた。現代の特急でも7分近くかかる闇の中を、人々は黙々と進んだのである。

 夜行の急行に食堂車が連結されていたという、マコトに古色蒼然とした時代である。車内の喫煙は当然で、「タバコは吸いません」という人のほうが不思議がられた。

 そういうトンネルを抜けて、京都着13時半。東山・蹴上のホテルにチェックインして、2時間ほどゆっくりした後、再び京都駅へ。今度は東海道新幹線に乗り込んで、愛知県豊橋に向かった。
ドクターイエロー
(京都駅。ドクターイエローが停車中)

「こだま」と言ふものに乗車するのは、ホントにホントに久しぶりである。京都駅ホームには「ドクターイエロー」が停車中。コドモも若者も、中年もジーチャン&バーチャンも、みんな夢中でこの黄色いドクターの写真を撮っている。そのホームに、老兵「こだま」が寂しく滑り込んできた。

 カメラを構えていた人々は、こだまサンなんかには全く関心がないのだ。1964年の開業以来、50年以上もマジメに働き続けて、何となくもうヨレヨレ。人はもっとこだまサンに敬意を払うべきだ。

 ダイヤも、こだまサンに失礼すぎると思う。京都から豊橋まで1時間20分、途中の米原でも岐阜羽島でも、驚くべき数ののぞみチャンやひかり兄さんに追い抜かれる。いくら追い抜かれても、こだまサンはじっとガマンにガマンを重ね、ションボリした様子を決して見せまいとする。

 豊橋に到着、18時20分。この日の豊橋は、さっきまでいた金沢よりも寒いぐらいである。やっぱり気象の異常なんだろうか。富山でも金沢でも積雪は全くナシ。2月の富山、2月の金沢といえば、しんしんと積もる雪の世界のイメージだが、昔のイメージはもはや通じない。

 敦賀から先、琵琶湖の西側を走る湖西線でも、やっぱり雪はほとんどなかった。2月上旬にしてすでに、春の雪解けシーズンのような陽気。それなのに豊橋まで来て、こんなに冷たい風に吹かれるとは、ちっとも思っていなかった。
豊橋
(豊橋の大盛況)

 公開授業開始19時半。出席者160名、使用したテキストは「Dバージョン」。今年の早春シリーズは、Dバージョンの使用希望が多い。センター試験はあと3年でなくなるはずなのに、「センター試験の戦略と戦術」を熱く語りつづけるのも、何となく皮肉な巡り合わせを感じる。

 21時終了、懇親会場に駆けつける。今夜はスペイン料理屋。というかスペイン料理屋ふうの居酒屋であって、小エビのアヒージョとかトルティーヤとか、それなりにスペインっぽくアレンジしたツマミで、飲み放題の酒をグビグビやるのである。

 富山がお魚、金沢で焼き肉と、ずいぶん美食を続けたから、そろそろこういうのも悪くない。生ビール2杯、赤ワイン2杯、約45分で飲み干して、たいへん若々しいスタッフ諸君と歓談する。その楽しさは美食の連続に勝るとも劣ることはない。
豊橋駅
(豊橋から最終の新幹線で京都に戻る)

 しかし今夜の今井君は、京都に戻らなければならない。せっかく準備してくれた楽しい宴席であるが、京都への最終列車は驚くほど早い。豊橋発22時22分、2を4つ揃えたニャンニャンニャンなこだまサンに乗り込んだ。

 このこだまサンは、名古屋止まり。名古屋ですぐ後ろからのぞみチャンが追いついてくる。のぞみチャンなら、名古屋から京都までたった35分で駆け抜ける。こだまサンの苦労が信じがたいぐらいだ。

 諸君、ワタクシは昨年の今ごろから「脱タクシー」「卒タクシー」を掲げ、ひたすら電車を乗り継ぐエコ生活を続けている。23時半過ぎの京都駅に着いても、そこからホテルまでタクシーなどということはしない。地下鉄を乗り継いで、マジメにホテルを目指すのである。

 京都から烏丸御池まで、烏丸線。烏丸御池から蹴上まで、東西線。ホテル着、23時50分。移動&移動に明け暮れた長い一日は、こんなふうにあくまで穏やかに更けていったのである。

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2E(Cd) Reiner & Wien:VERDI/REQUIEM①
3E(Cd) Akiko Suwanai:SOUVENIR
6D(DMv) ASSAULT ON PRECINCT 13
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