Wed 170111 鬼は外&福は内/陽の光にぞ/大阪で夜更かし&寝坊/津田沼の大盛況 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 170111 鬼は外&福は内/陽の光にぞ/大阪で夜更かし&寝坊/津田沼の大盛況

 鬼はーそと & 福はーうち。鬼はーそと & 福はーうち。いやはや、豆まきはホントにおめでたい。豆まきはいいですな。オウチのそばの保育園では、さっそく先生が鬼になって、3歳4歳のコドモたちの豆を嬉しそうに浴びていた。

 ワタクシは徹底的に豆まき派であって、恵方巻は意地でも食べてあげない。西日本に根づいた奥ゆかしい習慣として尊敬はするが、今の恵方巻騒ぎはコンビニ業界に踊らされているだけのような気がする。コンビニ前にはためく「恵方巻」のノボリをみるたびに、大いにムシャクシャするのである。

 はるか昔の偉いオカタは「秋きぬと目にはさやかに見えねども」「風の音にぞおどろかれぬる」とおっしゃった。今井君としては「春きぬとさやかには感じないけれども」「陽の光にぞおどろかれぬる」であって、諸君、外に出てみたまえ。今日の陽光はすでに春を通り越して夏の熱気を感じるほどだ。
津田沼
(2月2日、津田沼の湯気の出るような大盛況。クーラーと扇風機が大活躍した)

 明日はもう立春であって、小6生諸君とママ&パパが3年も4年もかけて夢中になってきた首都圏の中学入試は、明日あたりでほぼ全ての決着がつく。マコトにあっけない。あの熱い夏期講習は何だったんだ? ジュッと焦げつくほど燃え上がった正月特訓は、何だったんだ?

 しかし諸君、「あっけない」と言ってしまえば、その後に続く中学生活も高校生活も、同じようにあっけないのであって、それぞれにたった3年、合計してもたった6年、気がつけば全てがあっという間に過ぎ去って、風の音、陽の光、そう言ふものに時の流れを感じているうちに、一生ははかなく過ぎていく。

 ならばどんなにあっけなくても、何でもかんでも夢中になる方がいい。かく言う今井君だって、予備校講師などというあっけないお仕事に夢中になっているうちに、あっけなく25年が経過した。

 思い起こせば、自らが大学受験生だった早春も、あっという間に過ぎ去ったのである。高校の授業は1月31日をもってオシマイ。「あとは勝手に自分で受験勉強に励みたまえよ」ということになった。

 2月10日ごろのこと、18歳の今井君は奥羽本線の特急「つばさ」という恐るべき列車で秋田から上京したのである。「つばさ」は今は山形新幹線の愛称になっているが、当時は秋田始発の上野行き。秋田から上野まで、約8時間もかかった。
荻窪
(2月3日、杉並区荻窪の大盛況。詳細は、明日の記事で)

 諸君、驚くなかれ、8時間である。21世紀のヒコーキなら、インドやミャンマーや、ウルトラ大先生の大好きなハワイまで行ける時間じゃないか。

 ガタピシ揺れるオンボロ特急は、山形や福島の大雪のせいで、これまた驚くなかれ「5時間おくれ」という離れワザを演じた。昭和の鉄道にとって、大雪で5時間の遅れは珍しくなかった。新潟発上野行き急行「越後」が106時間遅れ、満身創痍で5日後に上野に着いたという事件だってあった。

 当時はワタクシの父・三千雄どんが埼玉県大宮に単身赴任中。2月に上京した若き今井君はその国鉄官舎に1ヶ月滞在して、① 早稲田政経学部 ② 早稲田法学部 ③ 東京大学文科1類を受験。3月10日まで大宮の国鉄官舎にいた。

 今のJRは、当時は国鉄。正式名称・日本国有鉄道、戦前は鉄道省の運営だから、職員はすべて「民」ではなくて「官」だったのである。国鉄時代も職員宿舎は「官舎」と呼ばれ、単身赴任でも2階建て3DKの豪華な官舎を利用できた。

 今井君が18歳の早春を過ごした2階の部屋は、暖かい南向きの6畳間。高3の11月下旬から開始したマコトに短い受験勉強だったが、締めくくりに選んだのはもちろん赤本3冊である。

 まず、早稲田法学部。続いて早稲田政経学部。4年分やってみて、どれも正解率は8割を超えたから、「とりあえず早稲田は合格かね♡」と、胸を撫でおろした。浪人覚悟としても、1つも合格しないで浪人するんじゃ、その先の不安が余りにも大きいじゃないか。
フルーツケーキ
(荻窪でいただいたケーキ。詳細は明日の記事で)

 そこですっかり油断して、本屋さんに出かけた。大宮始発の京浜東北線に乗り込めば、御茶の水まで40分あまり。暖かい春の光を浴びる進行方向右側の席に座って、岩波新書を読みながら秋葉原まで行った。読んだのは千田是也「演劇入門」である。

 秋田の田舎で憧れていた「洋書店」というものに初めて入った。神田神保町の「北沢書店」である。頑張って購入したのが、何故かアガサ・クリスティの2冊だった。

① The Body in the Library
② Why didn’t They Ask Evans
今も本棚の隅に存在する。それぞれ邦訳では「書斎の死体」「謎のエヴァンズ」となっている。

 ほとんどウットリした状況で、2月中旬から下旬はその2冊を読んで過ごした。「あれれ、東大の赤本は?」であるが、2年分やったあたりで「こりゃきっと合格だわさ」とおかしな自信が湧き、「赤本なんかよりクリスティのほうが面白いや」と言い放っていた。

 ま、今井君18歳の早春の記憶は、そんなところである。そりゃダメだ。ダメに決まってる。こんなアリサマで東大なんかに合格したら、さぞかしイヤなヤツになっていたに違いない。今思えば、ダメなヤツがチャンと失敗して、むしろ「めでたし&めでたし」だったのかもしれない。
赤貝
(荻窪の単独祝勝会は下北沢「とぶさかな」で。「閖上の赤貝」。詳細は明日の記事で)

 さて、2月2日の朝は大阪で目が覚めた。就寝が朝7時。「は?」であるが、勉強やお仕事で徹夜するようなドエリャーことは、ワタクシにはありえない。「飲み会から帰って、ホテルで映画を2本見たら、いつの間にか朝でした」。おお、受験生の頃とちっとも変わらない怠惰なサトイモ入道である。

 その後もテレビをつけて、CNNでアメリカのスッタモンダを眺め、BBCで世界の反応を眺め、そんなウダウダを続けていて、時計はあっという間に7時を過ぎていた。慌てて就寝、起床が13時というテイタラクである。

 腕時計を見たとき、一瞬自分で自分が信じられなかった。「あれれ。ホントに13時だ」「こりゃテーヘンだ&テーヘンだ」であって、帰りのヒコーキの時間は、15時。おお、2時間しか残っていない。ホントにテーヘンだ。

 しかしそこはそれ、今井君の瞬発力はまさにマホーのようであって、ここまでの人生はそのマホーの瞬発力で乗り切ってきた。13時起床、伊丹空港到着13時50分。なかなか普通の人に出来るようなワザではないが、余裕のヨッチャンを死語の世界から呼び戻して、70分もの余裕で間に合った。
にしん
(下北沢「とぶさかな」、ニシンの塩焼き。詳細は明日の記事で)

 この日の公開授業は、千葉県津田沼。羽田からバスに乗れば、津田沼まで1時間ほどだ。夕闇の津田沼駅前は、プリティ塾にどうすんだい?の巨大ビルに明かりが煌煌と灯り、マコトに激しい予備校どうしのツバ競り合いが続いている。

 その津田沼で、雑居ビルの2フロアだけで健闘しているのが、我々。中でも今井君の大健闘は、きっと神様も認めてくれているはずだが、この夜も、160名超の参加者があった。

 160名+αのうち、完全外部生も70名。おお、やりがいタップリじゃないか。ウルトラ超満員の教室は、おしくらまんじゅうみたいな大盛況であって、空調は冷房に設定。それでも足りなくて、時代物の扇風機まで登場、熱く燃える空気を3枚の羽根でブルブル懸命にかき混ぜてくれた。

 終了後、大急ぎで帰宅して、23時近くにようやくブログをアップ。おお、危なかった。2012年6月25日から4年半継続している連続更新記録が、危うく途絶えるところだった。諸君、これを他山の石と心得、深夜の映画、早朝のCNN、そういうものには是非とも注意したまえよ。

1E(Cd) Lazarev & Bolshoi:KHACHATURIAN/ORCHESTRAL WORKS
2E(Cd) Sinopoli・Jarvi・Pletnev:RUSSIAN FAMOUS ORCHESTRAL WORKS
3E(Cd) Minin & The State Moscow Chamber Choir:RUSSIAN FOLK SONGS
6D(DMv) JANE EYRE
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