Sun 161211 今井劇場を夢見る/ギリシャ悲劇がいい/黒猫ネロ再び(シチリア物語36) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 161211 今井劇場を夢見る/ギリシャ悲劇がいい/黒猫ネロ再び(シチリア物語36)

 こうやって古代の劇場跡も見て回ると、「オレも劇場を経営してみたいな」とつくづく考えるのである。東京の片隅でごく小さな劇場を経営し、来る日も来る日もシェイクスピアを上演する。悪くないじゃないか。

 それは何も、今回のシチリアの旅でだけ感じたことではない。昨年や一昨年の夏、南フランス・プロヴァンスを旅した時も、オランジュやニームで巨大劇場を見るたびに、
「2000年昔の人だって、連日連夜こんなところで芝居を観て過ごしたんだ」
「いわんや、21世紀市民においておや?」
と、悔しくて悔しくてたまらなかった。

 アテネでもヴェローナそうだったし、タオルミーナでも同じだった。石造りの巨大劇場と、アフリカと遜色のない白熱した陽光。シェイクスピアを演ずるには少し光が多すぎるとしたら、そこはそれ、ギリシャ悲劇とギリシャ喜劇の出番である。

 いや、別にモリエールでもラシーヌでもいいのだ。いつか遠い将来、予備校講師を卒業した今井君が、下北沢でも高田馬場でも、東中野でも神保町でもいい、ギリシャ悲劇を連日上演する劇場を開いて、若い諸君の劇団に活躍の場を提供したい。
ネロ1
(シラクーサ、黒猫ネロ君。後ろ姿も凛々しい)

 ギリシャ悲劇の世界は、シェイクスピアに勝るとも劣らぬ豊穣の世界なのである。アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス。今井君の本棚には、京都・人文書院のギリシャ悲劇全集が全巻揃って、今や遅しと劇場の誕生を待ち受けている。

 ついでに同じ人文書院版で、「ギリシャ喜劇全集」も並んでいる。アリストパネス。いやはや、喜劇については「完成していない悲劇」という悪口だってあるけれども、まあせっかくだ、小劇場構想には、アリストパネスどんも入れてあげようじゃないか。

 劇場の理想は、神田神保町の古書店街である。今や、カレー屋と楽器屋とスポーツ用品店が全盛の神保町。30年前には行けども行けども古書店また古書店、今井君の散歩道としてベストのシチュエーションだったが、古書店のほうは撤退に次ぐ撤退。居酒屋も増えて、神保町のイメージはどんどん変わりつつある。

 裏通りで構わないのだ。シラクーサの鋭い陽光に照らされた白熱の感覚は、とりあえず省略していい。白熱感は演劇の中身から横溢すればいいのであって、若者諸君の熱演に期待するばかりである。
再訪
(9月9日、再び「GIOVE」を訪れる。有名レストランより、ワタクシはこのタイプの店が好きだ)

 ワタクシは、1980年代の渋谷JeanJeanの熱気を忘れることが出来ない。ある1週間はシェイクスピア。ある晩はダンス、ある夜は津軽三味線、またある夜はジャズのライブ。渋谷・山手教会の地下、160人余りの小劇場は、連日連夜の超満員、電話予約を忘れた客は、3時間の立ち見も辞さなかった。

 場所は渋谷パルコの脇である。予約しても、いい席を確保するには、1時間も前からジャンジャンの前に並んだ。何しろ160名だ。翻訳家の小田島雄志教授だって、同じように長い列に並んで、自ら翻訳したシェイクスピア劇を待ち受けたのである。

 あの白熱感を、神保町か下北沢か東中野の裏通りに持ち込めないか。ジャンジャンの閉館から30年、長い空白をギュッと埋める熱い劇場を作れないか。

 金曜の深夜には、イヨネスコの「授業」が毎週上演されていたのである。「23時から」という常識外の時間帯にも関わらず、昭和の名優・中村伸郎が毎週の熱演で観客を唸らせた。諸君、誰か手を挙げないかね?
耳たぶのパスタ
(シラクーサ「GIOVE」、ゴタゴタ海鮮な世界)

 シラクーサの古代闘技場と古代劇場を回りながら、諸君、劇場構想はどんどん熱く燃え上がっていくのであった。「ギリシャ悲劇専門劇場」。来る日も来る日もアイスキュロスとソポクレスが東京の闇の中で上演されるとしたら、そんな素晴しいことはないじゃないか。

 エウリピデスとなると、何となく世知辛くて好きになれないが、そのへんは今井君の好き嫌いとは無関係。近松でもモリエールでもラシーヌでも、平家物語の群読でもラーマーヤナでもチェーホフでも、人を感激させるものなら何でも構わない。

 もちろん、「劇場」というスタイルにこだわらなくてもいいのかもしれない。街の石段、波打ち際、教会前の広場、地下鉄の駅構内。そういう場所でゲリラ的に演劇が始まり、観客の中からもゲリラ的に演劇に参加する者があり、脚本さえゲリラ的に変更を余儀なくされる。それもいいだろう。

 しかし諸君、やっぱりワタクシは古くさい人間なのだ。細胞には細胞膜がほしい。教室の四辺にも壁が欲しいし、劇空間にはやっぱりステージと客席があったほうがいい。レストランには厨房とテーブル。その程度の秩序感がないと空間を満喫できない20世紀人間なのだ。

 だから、ま、夢はその程度。今から5年後、あるいは10年後、すっかり年老いたワタクシの10年後は、ギリシャ演劇専門劇場のヌシ。能も狂言も歌舞伎もOK、小規模オペラだってOK。みんなで白熱する劇空間を満喫しようじゃないか。
ムールのフライ
(ムール貝のフライ。満腹で、これ以上はもう食べられない)

 シラクーサの街を歩きながら、こんなふうに今井君の夢は広がっていくのであった。9月9日、気がつくとワタクシのシラクーサ滞在はこの日が最終日。明日はもうこの街を去って、パレルモに戻らなければならない。

 連日の雷雨に見舞われ、ホテルにこもる時間ばかり多くて、シラクーサを思い切り楽しめたとは言えない。たった6日の短い滞在に、タオルミーナでの1泊も入って、シラクーサはホンの表面だけツルッと撫でて立ち去ることになりそうだ。

 しかし何と言っても、ネロ君との出会いがあった。「たかがネコ1匹」とせせら笑う人は多いだろう。「野良猫1匹と親しくなって、それで終わりかい?」「アホか?」「くだらん!!」。そういう反応も、決して間違ってはいない。

 でもワタクシは、それで構わないのである。裏町の名もないレストランで、親しく挨拶してくれた痩せた黒ネコ君の記憶以上に、いったい何を大事にすればいいんだ?
ネロ2
(もう1度、ネロ君に挨拶してからシラクーサを去る)

 しかし9月9日の夕暮れ、遅い昼食に満腹してはいたが、もう1度ネロ君の頭を撫でたくなって、今井君は「GIOVE」の暗い石段に出かけたのである。

 店の人も記憶していて、前回と同じテーブルに導いてくれた。そりゃそうだ、そんなにたくさんのお客が訪れる店ではない。2晩前におかしな日本人がネコとジャレあって料理どころじゃなかったことぐらい、忘れるはずはないのだ。

 そして諸君、ネロ君はこの夜もまたキチンと挨拶に現れた。ネロ君ばかりではない。ネロ君のパパと思われる若干年老いた黒ネコも姿を現した。ネロ君とソックリである。

 ママも来た。ママはキジトラであって、すこぶる臆病なタイプ。石段の上のほうから現れて、すぐにまた石段を駆け上って姿を消した。ネロ君もママの後を追い、いつまでも店の周囲をうろついていたのはパパだけだった。

 しかしこれもまた、ワタクシが夢に描くネコ劇場。店のお客は残らずネコにクギヅケで、料理がどんどん冷めていくのも構わないアリサマ。夢にみるイマイ劇場の主役は、当分ネコでも構わない気がする。

1E(Cd) Four Play:FOUR PLAY
2E(Cd) George Benson:TWICE THE LOVE
3E(Cd) George Benson:THAT’S RIGHT
4E(Cd) George Benson:LIVIN’ INSIDE YOUR LOVE
5E(Cd) George Benson:LOVE REMEMBERS
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