Thu 161208 シラクーサ帰還/野犬の群れ/ネロと出会う/さあ新年へ(シチリア物語33) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 161208 シラクーサ帰還/野犬の群れ/ネロと出会う/さあ新年へ(シチリア物語33)

 鳴り響く除夜の鐘とともに、今年1年で最も印象に残ったネコのことを書いて、2016年の締めくくりとしたい。シチリア・シラクーサで2晩続けて出会った黒ネコ、「ネロ」のことである。

 ワタクシだけが「ネロ」と呼んだのではない。あの晩あの店に集まった全てのイタリア人が、例外なく彼をネロと呼んだ。要するに誰が見てもアイツは一瞬で「ネロ」、そういうネロな黒ネコだったのである。

 別に1人1人「イタリア人ですか?」と確認したわけではない。だからあの晩の客の中には、オランダ人もドイツ人もフランス人も混じっていたはずだ。しかし諸君、夏休み最終盤の悲しい欧米人が、みんなこぞって彼を「ネロ」と呼んだ。

 そのネロが、こともあろうに一番気に入ってくれたのが、遥か東洋の果てから旅してきたこの今井クマ蔵である。ネロは、最初から最後まで今井君のテーブルの下をうろつき、他の客がどんなに甘やかして呼んでみても、ワタクシのテーブルから離れるそぶりも見せなかった。
ネロ1
(2016年の締めくくりは、シラクーサのネコ・ネロ君である)

 その気持ちは、分からないじゃないのだ。何しろ今井君のズンボには、真っ白いニャゴロワのニオイが染みついている。ニャゴと暮らしてすでに14年、ズンボにもシャツにも、ニャゴのニオイが染みつき、靴下なんかニャゴの白い毛が無数にくっついて、黒や紺の靴下が白く見えるほどである。

 ならばワタクシは、白ネコのニオイでマコトにネコくさい人間なのだ。何だいMac君、その「寝国際」ってのは? そりゃ睡眠は国際的な欲望だろうけれども、ネコのニオイにまみれてネコくさい今井君を「寝国際」だなんて、冗談がすぎると言うものでござるよ。

 しかし今井君の寝国際のは、決してニャゴロワだけじゃなくて、今は亡きナデシコのネコくささも混じっているのである。ネコがあんまり好きだから、ナデシコのネコくささだってワタクシは前面に押し出すのだ。2匹分。ネロがくっついて離れないのも、ある意味では当たり前である。
夕景
(大晦日らしく、シラクーサの夕景でシミジミ締めくくる)

 諸君、9月8日のワタクシは、ランチ以来パンパンの満腹、とてもシラクーサで晩飯を貪ろうとは思わないほどの満腹でタオルミーナから帰ってきた。

 タオルミーナで昼食にありついたのは、「La Grotta Azzurra」。グロッタ・アズーラ(青の洞窟)の本家本元はカプリ島であるが、今やイタリア中に青の洞窟があり、世界中にグロッタ・アズーラが存在して、タオルミーナの「青の洞窟」だって、ちっとも不思議はない。

 店の端っこのテーブルで、「メロンのブランデー漬け」などというウルトラ贅沢な前菜(スミマセン、昨日の続きです。昨日の写真2枚目を参照してください)をつつきはじめた直後、その贅沢に対する天の怒りなのか、いきなり激しい雨が降り出した。

 そういえばついさっき、快晴のエトナ山に不気味な雲が広がり、重苦しい雷鳴が轟いていた。まもなく昨日と同じような豪雨がタオルミーナを襲うだろう。そういう予測のもと、ワタクシはテントばりのテーブルから移動して、店の奥の奥、しっかりした屋根の下のテーブルに移動して、落ち着いてランチを堪能したのである。

 その後もタオルミーナを満喫、午後4時前の列車でシラクーサに帰ってきた。夏の観光客がこぞって都会に帰った後の駅は閑散。ビールで時間を潰している今井君の横で、単純なビデオゲームに1時間以上も熱中するオジサマを眺めつつ、ふと「うーん、やっぱり寂しいんだな」と頷かざるを得ない。
お店
(黒ネコのネロと出会ったのは、石段にテーブルを並べたトラットリア「GIOVE」だった)

 夕暮れのシチリアは、さすがに少し物騒な雰囲気であって、カターニャを出てすぐ、見捨てられた工場の空き地に、大型の野良犬が十数匹タムロしているのを目撃した。

 昭和の日本でも大型の野犬のタムロは珍しくなかったが、あれじゃ少し数が多すぎないか。シチリアは今もなお病んでいるのかもしれない。そう思いながら、夕暮れのシラクーサに帰ってきた。

 本日の写真2枚目は、シラクーサの夕暮れである。野良犬の群れに夕暮れの写真だなんて、何とも言えず大晦日に相応しいじゃないか。イオニア海の果てに2016年の夕陽が沈んで、諸君、新しい年の朝日を待ち受けるばかりである。

 9月8日、今井君は2週間にわたるシチリアの旅で最高の出会いを味わった。リストランテだったかトラットーリアだったか、シラクーサの暗い石段にテーブルを並べた「GIOVE」という店。やってきたのが野良猫のネロである。

 全身が真っ黒、ただし前足の先と胸だけが白。いちおう「前足」と書いておくが、正確に言えば「両手」であって、イタズラそうな両目がグルグル動き、「今井サン、ちょっとお話でもしませんか?」と会話に誘う。少しオトナな雰囲気の黒ネコであった。
豆スープ
(GIOVEの豆スープ。ネロを撫でながらスープで温まった)

 この店で今井君が注文したのは、「豆のスープ」と安い赤ワイン。豆のスープには、その名の通り豆がウンザリするほどたくさん入って、スープだけでお腹がいっぱいになるぐらいであった。

 今回のシチリアの旅で、ワタクシは律儀に「プリモ・ピアット」「セコンド・ピアット」を注文し続けた。つまり「日本人なんで、少食です」「ヒトサラしか食べられません」というイイワケを一切せず、イタリア人とともに正式な2皿を毎回食べ続けようを決めていったのである。

 この夜のプリモ、つまり一皿目は「豆のスープ」。「セコンド」はイカやアサリやタコが満載の魚介料理。豆スープの段階でほぼ「降参!!」と絶叫する状況だったが、足許にまつわりつくネロを相手に盛り上がっているうちに、何とか全て味わい尽くしたのだった。

 あんまり「治安がいい」と言ってもいられない界隈だったらしい。馴れ馴れしい男女2人連れが通りかかっては、初めての家を探るように、慣れない様子で鍵を回して、やっとのことでドアを開けて中に入っていく。「ああ、つまりここは…」と納得がいくまでに、ちょっと時間がかかった。

 しかしそんなことはどうでもいい。メシは旨いし、店員の対応も穏やか、ネロは決してテーブルに上がることをせず、料理の分け前もねだらないで、ずっと人の顔をツブラな瞳で見上げている。腕もアンヨも長く伸びて、いかにもイタリア猫なのである。
ネロ2
(シラクーサ、ネロの勇姿で2016年を締めくくる。今年もありがとう。来年もよろしくお願いいたします)

 ネロ、どうだい、一緒に東京に行かないか? 東京にはニャゴロワという真っ白なネコがいて、ちょうど君とはネガとポジみたいなヤツなんだ。去年の今ごろまでは「ナデシコ」という相棒がいたんだけれども、腎臓を悪くして死んじゃった。ニャゴが寂しそうでたまらないんだ。

 そう思ったら、ニャゴがあんまり可哀そうで、豆のスープが喉に詰まった。もちろん可哀そうということならナデシコだって同じことであるが、1人残されたニャゴが、月に向かってソプラノでナデシコを呼ぶ声を聞いていると、ニャゴの相棒を連れ帰ってあげたくて仕方なくなるのである。

 しかしこれほど愛嬌タップリにまつわりつくネロも、いざシチリアから東京に連れ帰るとなると、滅多なことでは道は開けない。ニャゴと一緒にそこいら中を闊歩する姿も、あくまで想像上だから可能なのであって、イタリア猫と日本のニャゴじゃ、そもそもコトバだって通じない。

 というわけで、シチリア旅のクライマックスの1日は、こんなふうに暮れていったのである。タオルミーナからカステルモーラ、マッツェーオ海岸からマッツァーロ海岸、夕暮れの汽車旅を経てシラクーサのネロの店。マコトに長い1日だったが、こうして無事にホテルに帰ってきた。

 こうして諸君、まもなく「ゆく年&くる年」が始まる。受験生諸君は、素晴らしい新年を迎えてくれたまえ。いま今井君の頭の中は、こんなシミジミとしたネロの思い出とともに、この上なくスンバラシー2017年に突入しようとしているのである。

1E(Cd) Luther Vandross:ANY LOVE
2E(Cd) Luther Vandross:LUTHER VANDROSS
3E(Cd) Incognito:NO TIME LIKE THE FUTURE
4E(Cd) Incognito:POSITIVITY
5E(Cd) Larry Carlton:FINGERPRINTS
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