Wed 161207 まもなくゆく年&来る年/熟成と発酵を待つ/火山のワイン(シチリア物語32) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 161207 まもなくゆく年&来る年/熟成と発酵を待つ/火山のワイン(シチリア物語32)

 さて、まもなく除夜の鐘が響き始める。2016年の夜の闇に、ゆく年の鐘が重々しく鳴り渡って、2017年を迎えにいくのである。ワタクシは2017年が待ち遠しくてならない。残ったサル年の数時間を、むしろ煩わしくさえ感じるのである。

 だって諸君、煩わしくないかね? 世の中は「発言しろ」「発言しろ」「発言しろ」の一点張り。言うことがあろうがなかろうが、とにかく何でもいいから発言しなくちゃダメ。「発言しない人間はダメ人間」、そういうレッテルが大量に準備されて、無口な人は土俵の外にポイ!! と捨てられる。

 かく言う今井君は、一応オシャベリな人間であるから、ピーチク&パーチク喋りまくって、今年もブログは言論の山。1日平均A4版3枚を書き続けて、合計1000枚を超えた。これを文庫本に換算すれば、約2000ページ、ブログだけで10冊分を書きまくったのである。

 しかし諸君、どうやら「ブログ」というものは、21世紀の序盤でどうやらその役割を終えたらしい。ツイッター3億人、インスタグラム5億人。それに対してブログは古色蒼然、1日のアクセスわずか3500だけで、アメーバでの順位は1000位。昔は5000アクセスでも2000位だったが、今や同じ5000で3桁の順位を確保できる。

 今や人々は、未熟な見解でも何でも、見境なく公表する。「熟する」「時間をかける」「完熟を待つ」。そういう余裕は一切なくて、思いついたら直ちに公表&公開する。熟成とか、発酵とか、完熟とか、その類いの余裕は、21世紀にはほぼ皆無なのである。
ワイン
(2016年の締めくくりは、シチリアワイン。VULKA、「火山」である)

 意見の公開が許される分量も、140字ないし3行か4行。一般の人がそれ以上の長さで意見を表明すれば、「ウダウダ」「ダラダラ」「ウジウジ」などの副詞で修飾され、暴力的な副詞で全面的に否定されたりする。

 一方でテクノロジーだけが急速に進化する。意見なり見解なりを披露する場が、テクノロジーによって次々と開発され、「言ってみろ」「遠慮はいらないんだ」「それ歌え」「やれ歌え」、そう言って性急に我々の発言ばかりを促すのである。

 それはほとんど飲み会の手拍子を思わせる。「歌え!!」「歌え!!」「歌え!!」。ないし「踊れ♡」「踊れ♡」「踊れ♡」。カンタンに言ってしまえば、「イッキ♨」「イッキ♨」「イッキ♨」。羞恥とか、熟慮とか、発酵とか、その類いの時間を人に与えないのが、21世紀の精神風土である。

 しかし諸君、性急さは決して幸福や豊穣につながらない。幸福は豊穣から生まれるものであり、豊穣は余裕と成熟と発酵とから生まれるものであって、時を経ないワインには、未熟で耐えがたい酸味と、不快きわまりないエグ味と苦味しか感じられないものである。
メロン
(タオルミーナの名店、「青の洞窟」の前菜。メロンをブランデーに漬けこんだヒトシナである)

 21世紀の中盤を生きる我々に必要なのは、もっと深い甘味のある成熟なんじゃないか。暖かい土の中で長時間にわたって成熟した味噌のような、腐敗寸前の深い味わいなんじゃないか。「言ってみろ」と言われても固く口を閉ざし、20年も30年も無言を続けた思想家の熟しきった脳味噌なんじゃないか。

 テクノロジーばかりが進化して、いまや発言の場が多すぎる。人々の困惑は、言わば「飽テク」であって、話すべき中身をはるかに凌駕するステージの面積に対するものである。話すステージばかり溢れんばかりに準備されても、必要な発酵や熟成の時間や空間が全く準備されていないのである。

 諸君、熟成と発酵の時間が欲しくないかね。
「思ってることを言ってみろ」
「黙っているのは愚か者だ」
「何を黙ってるんだ、このノロマ!!」
そんなふうに性急に急き立てられるんじゃなくて、自分の思いを奥深い鍾乳洞の中で、長い時間をかけて発酵させてみたくないか。
スカンピ
(タオルミーナの名店でも、スカンピの調理は難しい。諸君、スカンピをもっと楽に満喫できるレシピを考えてみてくれたまえ)

 そうやって丁寧に育てれば、ワインは豊穣に熟成するのである。味噌も酒もチーズも、時という栄養によって濃厚に成熟するのである。未成熟なまま甕から引っ張りだされて、若すぎる酸味と苦味を酷評されるワインとは訳が違うのだ。

 諸君、2017年こそは、ツイッターやインスタグラムを卒業して、今井君みたいな長大なブログにチャレンジしてみないかね。3行か4行の酸っぱい感情を吐露するんじゃなくて、ホンの少しヌカ味噌をコネ回し、数年後の熟成と発酵を待ってみないかね。

 コネ回したヌカ味噌が、3年後 ☞ 5年後 ☞ 10年後に、いったいどんな魔術を見せてくれるかは、見てのお楽しみ。かく言う今井君は、8年前に長大なブログを書きはじめて、そりゃそこいら中の人々の批判を浴びまくった。

「そんなの書いて、誰が読むんだ?」
「オマエもしつこいな。誰も読んでないぜ」
「もっと役に立つ受験情報を書いたらどうなんだ?」
人々はそう言って、勝ち誇ったようにせせら笑った。

 しかし諸君、発酵にも熟成にも、必ず時間がかかるものである。今井君の脳味噌はそろそろ熟成して、別次元の発酵の奇跡的なアブクが、プクリ&プクリ、脳味噌の奥底の奥底で始まりかけている気がする。
タオルミーナ駅
(初秋、タオルミーナ駅の寂寥。さてシラクーサに帰りますかね)

 2016年12月まで、ワタクシをマコトに丁寧に支えてくれた読者諸君に心から感謝する。これほど粗野なサトイモを支えるのは、さぞかし困難を極めたに違いない。サトイモはしばしば耐えられないほど熱するのである。それでも諸君は、サトイモを投げ出さないで読み続けてくれた。

 2016年12月31日の諸君に、シチリア・タオルミーナの赤ワインを1本ささげたいと思う。その名はVULKA、本日の写真の1枚目である。要するに英語のVolcanoであって、噴火を続けるエトナ火山の熱い斜面で育ったブドウが材料だ。

 しかしその真っ赤なブドウたちは、暗い暗い甕の中で数年間、フツフツ&フツフツ、さらなる成熟とさらなる発酵に耐えたのである。未熟な感情を未熟なままに吐露したのではない。発酵の熱がブドウの甕を破裂させるほどに高まって始めて、他者を感激させる力を持つのである。

 20世紀の後半から半世紀、我々が思想の面で深い失望を味わい続けたのは、次から次へと開けてみる思想の甕が、どれもこれもみんな未成熟だったということに尽きるんじゃあるまいか。

「これは熟しているかな」
「コイツはもう大丈夫だろう」
「こりゃきっと旨いぞ」
開ける甕、開ける甕、我々は舌なめずりして、甕の中の熟成と発酵を夢みたのである。
夜行列車
(タオルミーナにローマ行き夜行列車が到着。ローマ・テルミニ駅到着は、明日の朝6時である)

 しかしその全てが甚だしい未熟。青い酸味ばかりが支配し、不快に苦く、エグ味ばかりが全身を悪寒のように駆け巡った。しかし諸君、21世紀もそろそろ中盤だ。「おや、仄かな甘味も感じますね」というワインの樽が、努力次第でそろそろ見つかるはずである。

 だから諸君、2017年に期待するとともに、決して慌ててはならない。どんなことにも、心の余裕は必要なのだ。9月8日、「もう都会に帰らなきゃ」という初秋の焦慮が溢れるタオルミーナで、ローマ行き夜行列車はマコトに落ち着いて入線したのである。

「早く何とかしなくちゃ」。焦慮でいっぱいの大晦日の我々にも、あの夜行列車のゆったりとした余裕が必要なんじゃないか。

 焦らないこと。「何とか言えよ」と、自分にも他者にも発言を強要しないこと。じっくり落ち着いて発酵を待てば、必ず成熟の果実は得られるのだ。それを信じて、まもなくやってくる新年を迎えようじゃあーりませんか。

1E(Cd) David Sanborn:INSIDE
2E(Cd) David Sanborn:LOVE SONGS
3E(Cd) David Sanborn:HIDEAWAY
4E(Cd) Jaco Pastorios:WORD OF MOUTH
5E(Cd) THE BEST OF ERIC CLAPTON
total m35 y2056 d19761