Tue 161206 根津甚八死去/加藤初死去/カステルモーラ/海岸ヘ(シチリア物語31) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 161206 根津甚八死去/加藤初死去/カステルモーラ/海岸ヘ(シチリア物語31)

 旅行記の途中ではあるが、根津甚八と加藤初(ともに敬称を略させていただきます)の死去について、どうしても一言ずつ書き記しておきたい。

 根津甚八は、ワタクシにとってあくまで唐十郎「紅テント」の人。李麗仙・佐野史郎・小林薫・四谷シモン。赤瀬川原平に横尾忠則。昭和のアングラ演劇を盛りあげたそういう人々の仲間である。

 ワタクシは当時もっとずっと大人しい渋谷ジャンジャン派であって、「シェイクスピアシアター」の方が好み。「紅テント」や「黒テント」みたいな激しい世界にはあまり足を運ばなかった。

 そういう濃厚&激烈な世界から、根津甚八はNHKの大河ドラマに進出した。1989年、「黄金の日々」の中の石川五右衛門は余りに印象的。目指す秀吉の首まであとフスマ1枚まで迫りながら、煮えたぎる油に背中から身を投ずるシーンは、大河ドラマ史上最高の迫力だったと信じる。
17260 海岸
(シチリア・タオルミーナ、Masseo海岸に夏の波が打ち寄せる)

 その翌々年、1980年の「獅子の時代」では、伊藤博文を演じた。主人公は、あくまで菅原文太と加藤剛の2人であったが、1989年、大日本国憲法発布の日、「伊藤博文、生涯の晴れ姿である」のナレーションに乗せ、胸を張り闊歩する根津甚八は、それこそ彼の生涯の晴れ姿と言ってよかった。

 今日の記事を最後まで読み終わったら、ぜひ諸君、「獅子の時代」を動画検索してみてくれたまえ。菅原文太・加藤剛・根津甚八、昭和の名優の迫力溢れる演技を、しばらく堪能することができるはずだ。

 ワタクシはついこの間も、根津の熱演を眺めたばかりである。留萌本線・増毛の旅を終えた12月上旬、増毛駅前が舞台の映画「駅 Station」を、ボンヤリ口を開けて眺めていた。

 ここでも主人公は、あくまで高倉健と倍賞千恵子。しかしこれもぜひ映画で目撃してくれたまえ。駅前で「風待食堂」を切り盛りする烏丸せつこの兄、凶悪犯として指名手配中の「吉松五郎」を、やっぱり根津甚八が演じている。1981年作品。まさに彼の絶頂期であった。
17261 浜辺
(9月も間もなく中旬だ。人々は都会へ引き上げはじめた)

 元西鉄 ☞ ジャイアンツの投手・加藤初の訃報に接したのは、秋冬シリーズの最終盤、シドニーに出発する直前のことである。西鉄に4年、ジャイアンツに約15年。通算勝利が141、勝率5割5分5厘。奪三振1500。昭和の日本を代表するピッチャーであった。

 別に「超イケメン」でもなければ、スーパー剛速球でもアッと驚く二刀流でもない。普通に投げて、普通に勝ち、気がつくと大量の勝ち星を挙げている。「チームの顔」という栄誉は、他のスター選手に譲る。誰もが最初に思い浮かべるスター選手ではないが、優勝請負人として信頼は最も大きい。

 しかし何よりも大切なのはその安定感であって、年間の勝率が7割どころか8割に達し、9割に近づいたこともある。ノーヒットノーランも達成し、オールスターにも6回出場した。

 江夏や江川や堀内みたいに、プロ野球の歴史に残るほどの輝かしさはない。しかし諸君、おそらく彼が一番プライドを持っていたのは、「負けない投手」であることだ。

「加藤が投げれば負けない」。世の中の人はそれを「ジンクス」と呼んだが、「加藤が投げれば負けない」だなんて、オトナに対してそれ以上の絶讃のコトバが存在するだろうか。予備校講師として、今井君が目標とする所はまさにそれなのである。

「今井先生を呼べば、絶対に失敗はない」
「今井先生に話してもらえば、必ず全員が熱く納得する」
「今井の授業なら、必ず力がつく」
「加藤が投げれば、負けることはない」とは、小さな予備校の世界になぞらえれば、要するにそういうことである。

 イケメンでキャーキャー言われることも、キラキラ輝くスター扱いされることも、巨人のカレンダーの表紙のセンターでニコヤカにガッツポーズを求められることも、加藤は別に望まない。ただ1つ、「アイツに任せれば大丈夫」「オオブネに乗った安心感がある」と、その信頼が欲しいのである。

 加藤初は、そういうホンモノのクロートであった。低めに厳しく決まり続ける彼の速球を、これも動画で目撃してくれたまえ。ベテラン今井が常に目標としているのは、こういう確実な安定感なのである。お2人の冥福をお祈りする。
17262 エトナ
(快晴のエトナ山。山頂は再び雲に覆われはじめた)

 さて、お2人とは全く無関係であるが、9月8日の今井君はタオルミーナの海岸から赤いバスに乗り込んだ。標高530メートルの岩山を目指し、サラセン海賊の接近を見張った中世の砦にたどり着いたのである。海岸付近より気温にして5℃、風も強いから、体感温度にして10℃近くが一気に下がった。

 カステルモーラの砦からの絶景は、諸君、もしシチリアを旅するなら必ず体験していただきたい。羽田空港第2ターミナルビルにも「カステルモーラ」というイタリア料理店があって、食べログの評価も3.7、窓からは空港の絶景が望めるとのことだが、せっかくならシチリアの絶景を直接経験してみてくれたまえ。

 経験するなら、夏がいい。夏とは、7月8月から9月上旬のことであって、9月も中旬を過ぎれば、山頂は靄に包まれ、寒風吹きすさび、地中海の稲妻と雷鳴に脅かされて、とても「絶景を満喫」などという余裕はなくなる。その意味で、今井君のカステルモーラ訪問は、まさにギリギリのタイミングであった。
17263 タオルミーナ
(標高530mのカステルモーラからタオルミーナの絶景を望む)

 もともとサラセン海賊から身を隠す「鷲の巣村」だったのだから、町の規模はこじんまりとしている。公式には「人口1000人」ということになっているが、実感的には500人、いや300人、そのぐらい静まり返った村である。

 村人には迷惑だろうが、細く入り組んだ村の道を、他の欧米人観光客に混じってゆっくり散策して回る。思いがけない所に古い教会がたたずみ、そこいら中でネコが日向ぼっこをしている。

 今は亡きナデシコにそっくりのキジトラも、乳牛柄のブチネコも、マコトに気持ち良さそうに居眠り中。ネコ好きとしては、いちいち声をかけて挨拶して歩きたいところだが、ま、ここはネコの迷惑も考えて、ソッとしておいたほうがいい。

 カステルモーラからの帰りも、「Hop On Hop Off」タイプの赤いバスを利用する。というか、このタイプのバスは、最初の乗車時に数ユーロ払えば、1日乗り放題なのだ。利用しない手はないじゃないか。山から降りて、そのまま海岸へに向かった。
17264 おむすび
(何ともオムスビなキャラクター。実はライスコロッケである)

 目指したのは、再びマッツァーロ海岸。イタリア語での表記は、Mazzaro。ところが諸君、バスはMazzaroへの途中で「マッツェーオ海岸」にも停車する。イタリア語表記はMazzeo。大慌てな日本人が、ふとMazzaroとMazzeoを取り違えても、そんなの仕方がないじゃないか。

 9月8日正午すぎ、今井君はすっかりMazzaroにいるつもりで、実はMazzeo海岸のカフェに入った。何しろまだシチリアは真夏の炎天下だ。こまめな水分補給、略して「コマスイ」なら、海岸のカフェのビールがベストである。

 こうして、MazzaroとMazzeoの取り違えに気づいたのはその1時間後。おやおや、ちょっと困ったことになったが、旅というものの醍醐味は、この種の取り違えでますます深まっていくのである。クリックにクリックを重ねて直線的に目的に直行するネットの世界とは、ま、一線を画するのであるよ。

1E(Cd) Luther Vandross:DANCE WITH MY FATHER
2E(Cd) Luther Vandross:NEVER LET ME GO
3E(Cd) Luther Vandross:YOUR SECRET LOVE
4E(Cd) Luther Vandross:SONGS
5E(Cd) Luther Vandross:I KNOW
total m30 y2051 d19756