Sun 161127 愛想の悪い店/切手のパスタ/ワイングラスの中の舟(シチリア物語23) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 161127 愛想の悪い店/切手のパスタ/ワイングラスの中の舟(シチリア物語23)

 日本では、ベルリンのテロ事件の続報はあまりないようであって、猛スピードのトラックがどういうルートでどこに突っ込んでいったのか、詳しいことはほとんど報道されない。

 しかし何しろ昨年の同時期、まさにトラックの突入地点あたりに入り浸っていたワタクシとしては、とても無関心ではいられない。1年ズレていれば、ちょうど突入地点のあたりを、酔っぱらってウロウロしていたはずなのである。

 あのクリスマス市で最も記憶に残るホットワイン屋のガンコなオジチャンが、果たして無事だったかどうか。カイザー・ウィルヘルム教会の間近、巨大クリスマスツリーの足許。無口なオジチャンが地味に仕事に励んでいたあたり、トラックはあの地点から突入したらしいのである。

 イスタンブールの事件の時も、ニースの事件の時も、ニュースを見るたびに「ついこの間あそこにいたのに」と、心からゾッとしたのである。ニースで1週間も宿泊していたホテル前の状況が、来る日も来る日もテレビで報道された。

 そうかと思えばトルコでは、ロシア大使がトルコ人警官に射殺されたんだと言う。こんなに恐ろしい事件が連続すると、とてもノンキに「ボク、もうすぐモロッコです」「マラケシュあたりをウロウロします」とか言っていられないが、諸君、年が明けたらマラケシュだ。一切の油断なしで出かけなければならない。
ワイン
(チェファルーの海岸で。たくさんのお船が通っていった)

 さて、9月3日、今井君はチェファルーの駅前に着いた。気に入った街や、気に入った店を、立て続けに訪問するのが、ワタクシの旅の流儀である。

 1週間前にブラリと入った店で、何の気なしに注文した「ズッパ・ディ・コッツェ」が余りに美味だったから、「明日はパレルモを離れます」という午後、もう一度あのズッパ・ディ・コッツェを味わいにやってきた。

 何のことはない、ありふれたムール貝のスープである。しかしこの店のムール貝は、トマトでじっくり煮込んだもの。どのぐらい「じっくり」かといえば、もうトマトのトマト感がちっとも残らないところまでじっくり煮込んである。トマト感の大嫌いなワタクシでも、歓声を上げて食べられる。
お店1
(ズッパ・ディ・コッツェのお店を再訪)

 ただし、トマト感が全くないのと同時に、親子3代でやっているジーチャン・トーチャン・ムスコの3名とも、愛想の悪さもまた天下一品である。3人とも、常にムカついてイライラしている。ニコリともしない。

 テレビの旅行番組では、「底抜けに明るい南欧のヒトビト」というコトバが定番。この30年なり40年なり、「底抜けに明るい」はイタリア人の枕詞みたいになっていて、明るくないイタリア人なんか存在しないみたいな勢いである。

 イタリアでもスペインでもギリシャでも、「すこぶる愛想の悪い地中海人」は決して少なくない。店に入ってくるお客をイヤそうに睨みつけ、メニューをテーブルに放り投げ、ニコリともせずに注文を聞き、グズグズしていれば舌打ちをする。そういう人も多いのである。

 そういう応対を受けて怒り心頭に発するのは、「底抜けに明るいイタリア人」という枕詞を信じたせいである。しかし、「驚くほど旨い」を体験するのはその類いの店であって、「感動も感激も愛想の悪さを耐えた向こう側にある」と考え、ちょっと我慢した方がいいのかもしれない。

 そのへんが、日本のラーメン屋やお寿司屋さんと違うところである。ラーメン屋でも寿司屋でも、店の人の態度が悪ければ、その張本人が常に目の前のカウンターでムッとしていらっしゃる。

 睨みつけられながらヌルい麺をすすり、ギュッと叱られたみたいな状況で、小さな寿司をつままなければならない。そんなのが旨いはずはないのである。

 しかしイタリア料理の場合、機嫌の悪い張本人は、すぐにテーブルを去るのである。パスタでもスープでも、ムッとした顔でテーブルたたきつけて去った後は、お客は黙って料理を賞味する。お口の中に広がる味の豊かさに、ウェイターの仏頂面なんかあっという間に忘れてしまう。

 ズッパ・ディ・コッツェ、ホントにおいしゅーございました。わざわざパレルモから、往復2時間もかけて通ってくるだけのことはあったのである。
切手のパスタ
(切手のパスタ)

 もう1つ、この日の収穫は「切手のパスタ」。郵便切手の形のパスタで、外側には切手独特のギザギザのミシン目も入っている。四角く切ったパスタの1つ1つに詰め物がしてあって、噛みしめると肉や玉子やお魚の味が染み込んでいる。

 あんなに愛想が悪いのに、切手のパスタの1つ1つにこれほど丁寧に細工を施しただなんて、大したものじゃないか。人間とゆーものは、たえずニヤニヤ&ネロネロしていればいいというもんじゃないんだなと、実感する一皿であった。

 せっかくのロゼワインがとっととカラッポになってしまったので、今井君は「もう1軒」を探して海岸の街をうろつくことにした。目の前にはティレニア海。イスラムの海賊とキリスト教勢力が、1000年にもわたって死闘を繰り広げた海である。そんなにカンタンに宿には帰れない。

 ただし、時計は午後3時半。海を眺めながらワインを楽しめる店は、なかなか見つからない。ランチタイムが済んで、ディナータイムまで休憩。明かりを落としたお店ばかりが海岸線に続いていた。
お店2
(やっと見つけたワインのお店)

 「休憩中ですが、海辺のテラスだけ営業中」というお店が見つかったのは、右往左往して途方に暮れかけた頃である。「こりゃ早めにパレルモに帰るしかないかな」と諦めかけたところに、お店のオネーサマが声をかけてくれた。

 早速、安い赤ワインを1本注文。ナッツ山盛り&オリーブ山盛りの「お通し」もいただいて、こりゃ天国だ。テラスを占領してティレニア海の光景を満喫するだなんてのは、とても普段のサトイモっぽい今井君にできるようなことではない。

 そんなふうに悦に入っていたら、テラスのねろねろサトイモに対して、強烈な直射日光どんが攻撃を開始した。さすがにティレニア海の直射日光どん、ねろねろサトイモなんかちっとも容赦してくれないのである。日光だけでサトイモの煮っ転がしが出来そうな勢いだ。

 こりゃ困ったでござるよ。注文したばかりの赤ワインは、まだ目の前にほとんどまるまる残ったまま。これ1本飲み干すには、少なくとも40分は必要だ。しかも諸君、日光どんはワイン君も直撃し始めて、こんなふうじゃ、ワインも沸騰しかねない。
チェファルーの海
(チェファルーの海岸)

 そんなふうに心配になってきたところに、マコトに優しいオネーサンがやってきて、白い大っきな日よけを下ろしてくれた。テラスは一気に涼しくなって、吹き渡るティレニア海の涼風に、サトイモ君の肉体は煮っ転がしになる寸前で救われたのである。

 あとは、夢のような時間が過ぎ去った。赤ワインのグラスの中を、たくさんの舟が通っていく。20人ほどを乗せた遊覧船も通り、遊覧船の波にひっくり返りそうになる小舟もあり、舟はマコトに多種多様である。

 荒井由実どんが書いた歌詞の中で、ソーダ水の中を貨物船が通っていったのは、すでに今から40年ほど昔のこと。歌は古典になり、半世紀近くの時間が経過した。今やサトイモ君のワイングラスの中を、こうして次々と地中海のお船が通過していったのである。
 
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