Sat 161126 ベルリンの事件/パレルモ見残し/ジーチャンの身の上話(シチリア物語22) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 161126 ベルリンの事件/パレルモ見残し/ジーチャンの身の上話(シチリア物語22)

 昨日12月19日夜、ドイツのベルリンで悲惨な事件があった。クリスマス市の真っただ中をトラックが暴走、手許のニュースは「少なくとも12人が死亡、ケガ人も50人以上」と伝えている。

 事件のあったクリスマス市は「カイザー・ウィルヘルム教会そばの広場」とあって、さすがに絶句する。昨年の今ごろ、まさにこのワタクシが連日入り浸っていたクリスマス市であって、ライプツィヒやドレスデンの1泊旅行から帰った夜に、ホットワインでポカポカ温まった記憶はまだ新しい。

 ニュースによれば、「テロの可能性が濃厚」とのこと。あんなに人間がたくさん集まってクリスマス直前の夜を満喫しているところへ、猛スピードのトラックが突っ込んでくるなんて、余りの悲惨さに心が凍りつく。犠牲者のご冥福をお祈りするばかりである。
回廊
(パレルモ、エレミティ教会の回廊)

 さて、そうは言ってもワタクシは、今日も今日とて旅行記を書き続けなければならない。確かに世界の危険と恐怖は日に日に増しているけれども、カンタンに負けたり屈したりしているわけにはいかないじゃないか。

 9月3日、午前11時までにカタコンベ見学を終えた今井君は、ジュージュー熱い9月の日差しを浴びながら、パレルモ中心街に戻ってきた。まだ見ていない教会を2つ訪ねてから、列車でチェファルーまで往復しようという計画なのである。

 1つ目の教会は、「サン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会」。あんまり名前が長いので、ガイドブックの中にはズルをして「S・G・d・エレミティ」と記しているものもあるぐらいだ。ワタクシとしてもやっぱりメンドーだから、「エレミティ教会」と略しておく。

 イスラムとキリスト教がうまく融合した「アラブ・ノルマン様式」の教会であって、赤い丸屋根、マコトにシンプルに装飾を排し、岩をキレイに並べただけの長方形の内部に、イスラムの強い影響を感じる。その壁面に、12世紀の壁画がかすかに残っているのも面白い。

 外には、回廊というか中庭というか、13世紀から続く僧たちの瞑想の場がある。オレンジとヤシが茂った中庭に涼しい風が吹き渡ると、回廊の完成以来700年に及ぶ僧たちの果てしない瞑想を思って、ふと気が遠くなりそうになるのであった。
エミリア
(パレルモ、エレミティ教会)

 さて、これでパレルモでの主な見残しは「ジェズ教会」のみとなったのだが、諸君、ワタクシはここで見事に道に迷ってしまった。「バッラロの市場」に踏み込んだ途端に、右も左も南も北も、もうサッパリ分からない。

 バッラロ市場は、パレルモでは「ヴッチリアに続く規模の市場」ということになっているが、面積においても賑わいにおいても、ヴッチリアに勝るとも劣らない。

 色とりどりの野菜に魅せられ、夢のように大きなナスの山、夢のように長いキュウリの山、メカジキの頭、奇妙な形のイカやエビやタコ、豚のアンヨ、ケモノの内臓、その他とにかくどこまで進んでも夢の饗宴のようで、もうジェズ教会はどうでもよくなってしまった。

 こうして道に迷った段階で、可能性は2つに分かれるのである。
① 意地でもジェズ教会を探し回る
② ジェズ教会は諦めて「次回のための見残し」とし、予定通りチェファルーゆきの列車に乗る
今井君の性格として、ここは最初から選択肢②と決まっている。

「見残し」を作って、その見残しを見るために、1年後や2年後に再びここに戻ってくる。「再訪」の欲求を高めるには、見残しの1つや2つ、ぜひ作っておいた方がいい。

 むかしむかし弘法大師が四国の足摺岬を訪ねたとき、この「見残し」方式をとった。太平洋に突き出した険しい岬をどこまでも進んでいったが、最後の最後、「あと少しで先端です」というところまできて、引き返した。その場所は今もなお「見残し」と呼ばれている。
市場
(パレルモ、バッラロ市場で)

 1週間前に訪ねたばかりのチェファルーであるが、急行列車でたった1時間の小旅行だ。大いに気に入ったレストランの、大いに気に入ってしまった「ズッパ・ディ・コッツェ」、パレルモに滞在しているうちに、どうしてももう1回味わいたいのである。

 その列車の中で出会ったオジーチャンも、今回のシチリア旅行の楽しい思い出になった。冷房がギュッと効いた車両に入ってきたオジーチャンは、盛んに「寒いですね」「寒いですね」と周囲のお客に「寒い」を連発し始めた。

 英語国民であるらしい。本人は「アメリカ人だ」と言っている。「It’s cold」「It’s freezing」「It’s freezing cold」と、同じようなフレーズを連発して、ヒトビトの同意を求めるのである。

「I like it warm」ともおっしゃり、「freezing cold」を繰り返しながら、二の腕を手のひらで摩擦するポーズは、日本の予備校の女子生徒たちとおんなじだ。

 今井君は優しい講師であるから、予備校の教室内に寒そうな表情やポーズの生徒がいると、直ちに室温設定を1.5℃から2℃上げて差し上げる。「寒い」「寒い」と震えていては、勉強になんかちっとも集中できない。
チェファルーへ
(チェファルー行き。寒い寒いを連発するジーチャンと出会った)

 しかし諸君、今は状況が違う。シチリアの列車内である。外はジュージュー音が出るほどの油照り。列車内のクーラーがマコトにありがたく、みんなホッと一息ついたところである。

 オジーチャンは、まず荷物の中からマフラーを取り出した。薄汚れた毛糸のマフラーをTシャツの上に巻きつけるのである。それでまだ震えている。呆れたオバサマが「ジャケットもってないの?」と尋ねたが、ジーチャンは何と「ジャケット、着たくないんです」とおっしゃる。

 Tシャツに毛糸のマフラーという珍妙な姿で、彼はまず通路をはさんでお隣の中年カップルに話しかけた。ドイツ人である。続いて、20歳代のカップルに「寒くないか?」と話しかけた。「ポーランドから来ました」「寒くありません」と、軽くつっぱねられた。

 このあたりから、彼の独演会が始まった。列車がチェファルーに向かって海岸を走り出すと、オジーチャンは列車の窓を大きく開けて、熱い外気を車内に入れるのである。ホッとしたようにマフラーを撫でて「I like it warm」と繰り返すと、ドイツ人中年カップルに、彼の長い身の上話を開始した。
チェファルー
(チェファルーの街が見えてきた)

 その身の上話がウソかホントか分からない。まず彼のママは有名な女優であり、ママの妹も有名な女優であって、彼はオバサン(ママの妹)の方が好きだったのだが、やがて姉妹は化粧品店を始めた。化粧品店は大繁盛して、有名なブランドショップに成長した。要約すればそんな話であった。

 約30分、20世紀のラジオドラマを髣髴とさせる見事なナレーションは、思わず車内全員が聞き入ってしまうほどの名調子。聞き手に設定されてしまったドイツ人カップルのうち、特に女子のほうは目をまん丸くして聞き惚れていらっしゃった。

 そのうち列車はチェファルーに接近した。ドイツ人カップルの行き先がチェファルーであることをすでに聞き出していたオジーチャンは、チェファルー接近を知るやいなや、「Chefalu. You get off here ...」と、まるで台本でも読み上げるかのように感動的な声を上げた。彼自身はこの先のメッシーナまで行くらしい。

 ただし、ワタクシの隣りの席のオバーチャンは、「窓なんか開けて、せっかくのクーラーが無駄よ」と車掌に訴えかけ、「私は汗ビッショリなのに、困った人ね」と、オジーチャンを睨みつける様子。世界中どこへ行っても、夏のクーラーはヒトビトの敵愾心のキッカケになるようである。

1E(Cd) Cluytens & Société des Concerts du Conservatoire:BERLIOZ/SYMPHONIE FANTASTIQUE
2E(Cd) Lenius:DIE WALCKER - ORGEL IN DER WIENER VOTIVKIRCHE
3E(Cd) Bernstein & New York:BIZET/SYMPHONY No.1 & OFFENBACH/GAÎTÉ PARISIENNE
4E(Cd) Prunyi & Falvai:SCRIABIN/SYMPHONY No.3 “LE DIVIN POÈME”
5E(Cd) Knall:BRUNNER/MARKUS PASSION 1/2
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