Mon 161107 増毛にて/秋田・土崎曳山祭がユネスコ無形文化遺産に/甘海老の味噌汁 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 161107 増毛にて/秋田・土崎曳山祭がユネスコ無形文化遺産に/甘海老の味噌汁

 本日(12月1日)の天気予報によると、このあと日本海側は「大荒れ」の天気になるんだそうだ。冬の初めや春先にしばしば襲ってくる「爆弾低気圧」というヤツである。

 まず、まだ弱々しいヘナチョコな低気圧が通過する。通過の最中も、一応コイツだって低気圧だから、それなりの風が吹き荒れ、強い雨が降る。生ぬるい雨が地面の雪を融かして、そこいら中が泥色の氷水でジャブジャブになる。

 まもなく、雨はピタリと止んで、一瞬あたりが静まり返る。人々はみんなよく知っているから、「さあ、来るぞ」と身構える。「明日の朝は冷えるから、布団を1枚多くかぶれよ」。バーチャンやジーチャンが孫たちに声をかけて回ったりする。

 深夜の静寂の中、海の轟きがいっそう重たくなる。どーん、どーん。どどーん、どどーん。信じられないだろうが、ホントに海鳴りというものがあって、地底で巨大な太鼓でも連打しているような打撃音が暗い夜を満たすのである。
国稀
(北海道増毛「国稀酒造」の勇姿)

 太宰治の初期の短編「葉桜と魔笛」の中で、山陰の小さな町に日本海大海戦の大砲の響きが聞こえてくるシーンがあるけれども、冬の日本海の海鳴りは、フィクションでも何でもなくて、遥かな砲撃の重苦しい不安を含んでいる。

 すると諸君、その海鳴りを合図に、障子やフスマがガタガタ揺れ始めるのである。松の風が突然強まって、笛のような悲鳴のような風の音に、子供たちは震え上がる。

 風に雪が混じってガラス窓にたたきつけ、「こりゃ、明日の学校は休みかな」と、それなりにワクワクして起き上がると、時計は午前2時か3時を示している。外は猛吹雪。街灯の灯りに、激しく雪が吹きつけている。

 オホーツク海に出た低気圧は、いきなり台風なみに急発達する。爆弾低気圧という名に相応しく、日本海から吹き付ける季節風は、いきなり風速25メートル。最大瞬間風速35メートルに雪が混じると、顔にぶつかる雪は恐ろしく痛い。

 高校生時代の今井君は、そんな猛吹雪の中でも自転車で登校した。真っ正面から吹き付ける風速20メートルの猛吹雪の中、ゴーグルもなしに突き進む。「そうまでして学校に行かなきゃいけないのか」、そんなことは一度も考えなかった。むしろ、意地でも登校するのが楽しくてたまらなかった。

 明日の北海道、留萌や増毛は、おそらくそんな1日である。すでに秋田では温かい激しい雨が降って、日本海の波はどんどん高くなっている。秋田よりぐっと緯度の高い北海道だ。海鳴りも吹雪も、きっと秋田の数倍の迫力だろう。
国稀ちゃん
(増毛の飲み屋さんの壁に怪しい「国稀ちゃん」が登場していた)

 ワタクシが増毛を旅したのは、11月28日のことである。あれから4日。留萌本線の留萌 ⇔ 増毛間が廃止になるのは12月5日、最終運行は12月4日だ。列車が走るのは、12月2日・3日・4日。残すところあと3日に迫って、まさかこんな大荒れが襲ってくるとは思わなかった。

 もっとも、それは他人事ではない。実は明後日、ワタクシは青森に向かうのである。12月上旬、例年のことであるが、必ず青森は豪雪に見舞われる。今夜の天気図を眺めつつ、ふと不安に襲われるのであるが、何のことはない、高校時代以上にパワフルな今井君は、意地でも青森の仕事場にたどり着くはずだ。

 11月28日12時47分、列車は定刻で増毛に到着した。低気圧の南風が吹いて駅前の雪は融け、しかし西の空に黒雲がわだかまって、「まもなく急激に冷え込むな」という暗い予感があった。そのへんは諸君、同じ北の雪国育ちだ。予感はマコトに正確である。

 駅前の「旅館 富田屋」「風待食堂」を通り過ぎ、融けた氷水の道を難儀して進んで、とにかく目的の「国稀酒造」を訪ねた。昭和のままの家並が黒雲の下に蹲って、おお、これじゃ我が故郷・秋田市土崎港と全く同じ風景じゃないか。
風待食堂
(北海道増毛「風待食堂」の勇姿)

 その秋田市土崎の夏祭りが、ユネスコ「無形文化遺産」に登録された。日本中の山・鉾・山車のお祭り33件と一緒の登録である。京都や高山や秩父や博多と一緒だから、さすがに土崎の曳山祭りはあんまり目立たないが、地元民としてこんなに嬉しいことはない。

 冬は増毛と同じ黒雲と波濤と吹雪に閉ざされる町であるけれども、真夏の到来を告げる7月20日21日の曳山祭りの激烈さは、決して他の祭りにヒケをとるものではない。

 明治初期に書かれたイザベラ・バードの「日本奥地紀行」にも、秋田・土崎神明社の曳山祭りについて言及がある。「今まで日本で見た中で最も陽気でお祭りらしい光景」とおっしゃるのである。平凡社ライブラリー・東洋文庫・講談社学術文庫などで読んでくれたまえ。

 手許に、東洋文庫版がある。高梨健吉訳である。明治初期のイギリス女性が目撃した土崎のお祭りに、集まっていた人が3万2千、ヨソの港町からも2万2千の人が来ているらしいと書かれている。

「山車は全体で山や川をかたどり、神々が悪魔を撃ち殺すさまを表していた。私はこれほど野蛮で粗末なものを見たことがない。どの山車の前部にも、30人の演技者が悪魔のもつような楽器を手にして、地獄的な騒音であたりの空気をふるわせていた(一部改)」

 いやはや、昭和の今井君もほとんど同じ祭りのアリサマを目撃している。まさに文化遺産、中世から延々と続いてきたお祭りだ。観光ブームに便乗して即席で作ったお祭りとは訳が違う。イザベラ・バードどんの「野蛮」というコトバがどのぐらい的を射ているか、来年の夏にはぜひ諸君にも目撃していただきたい。

 もちろん21世紀、曳山祭りもお上品になって、昭和まで残っていたいろんな強烈な風習は消滅したらしい。1945年8月14日から15日にかけて、埼玉県熊谷とともにアメリカ軍最後の空襲を受けた町である。空襲の猛火にさらされて、野蛮だった人々もションボリしてしまったのかもしれない。
臨時列車
(留萌本線の大盛況に、臨時列車も登場した)

 江戸末期、江戸幕府は北海道増毛あたりの警備を秋田藩に申し付けた。凶作や飢饉にさらされ、秋田藩自体が危機の真っただ中だったが、それでも増毛に陣屋を作って、幕府の命を実行した。

 戊辰戦争では、東北諸藩の中で何故か秋田藩だけが薩長新政府側についた。北海道日本海側の警備など、幕府から重い負担を負わされていたことも、新政府側に味方した理由と思われる。

 そういう歴史や自然条件があるから、秋田出身の今井君が増毛の町を歩くと、まさに「故郷に帰ってきた」という不思議な感覚があるのである。家々のタタズマイも、雪や風の表情も、海の色も空の色も、みんな秋田とそっくりだ。

「国稀酒造」についても、造り酒屋の雰囲気は秋田の酒屋と同じである。秋田市土崎では、小学校3年の社会科の授業で地元の造り酒屋を見学した。「銀鱗」という酒屋であるが、「銀のウロコ」という酒の名前だって、かつてニシンの大漁に沸いた増毛の町を連想させる。

 増毛の町には、お寿司屋さんも軒を連ねている。もし時間の余裕があったら、そのうちの一軒に入ってもよかった。というか、ほとんど入りかけたのである。かじかんだ両手を熱燗で温め、お寿司を10貫ぐらいつまんで帰るのは最高じゃないか。
記念入場券
(臨時列車の車内にて、入場券とともに)

 しかし、駅前まで戻ってきた段階で、帰りの電車まで30分しか残っていない。たった30分では、熱燗を2本飲めるかどうか。寿司を握ってもらう時間の余裕なんか、全くないのである。

 仕方がないから、駅の待合室に入って、小さな売店の「タコ唐揚げ」をかじり、熱い「甘海老の味噌汁」をすすって我慢することにした。もっとも、甘海老の味噌汁、異様なほど旨かった。小さなお椀の味噌汁に甘海老の出汁がギュッと出て、湯気でメガネを曇らせつつ、甘海老を頭からワシワシ噛み砕いた。

 待合室は、中高年のオジサマのタマリバである。昭和の昔、増毛に集まってきたニシンやホタテの商人たちでいっぱいの駅は、きっとこんな雰囲気だったに違いない。

 ただし、21世紀のオジサマたちは上品であって、甘海老汁の海老を頭から尻尾まで一口で噛み砕くようなオジサマは、今井君ただ一人である。みんな、頭と尻尾を食べ残し、あの小さな海老の身だけをクチュクチュ吸うだけで、「甘いね」とか、そんな弱々しい嘆息を漏らしている。

 諸君、もっと豪胆&豪快であっていいのだ。今夜から明日にかけて、北海道と東北の日本海側は大荒れだ。高倉健「駅 STATION」でも眺めて、昭和の男の豪胆を思い出すべし。「留萌 ⇔ 増毛間廃止」まで、あと3日。高倉健を眺めつつ、遥かな昭和をしのぼうじゃないか。

1E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN③
2E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN④
3E(Cd) Sheila E.:SEX CYMBAL
4E(Cd) Sheila E.:SHEILA E.
5E(Cd) Incognito:BENEATH THE SURFACE
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