Thu 161020 3大について/股のぞき&カワラケ投げ/松風が大好きだ/三大文殊 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 161020 3大について/股のぞき&カワラケ投げ/松風が大好きだ/三大文殊

 日本三景の一角を占めると言っても、松島や宮島に比較してこの天橋立は、ぐっと鄙びた雰囲気である。松島は仙台観光の定番、宮島は広島観光の定番、ともにプロ野球球団をかかえる100万都市を背景にしている。対する天橋立は、日本海岸の寂しい山々の中にポツンと孤立しているのである。

 観光客の数も、圧倒的に少ない。ツアーの集団はあまり見かけないから、松林を吹き抜ける風の音も、マコトに情緒が深いのである。「3大」が好きな日本人のために、無理やり日本三景の一つに祀り上げられてしまったのが、かえって可哀そうである。

 この状況は「日本の文豪」に近いんじゃないか。何と言っても森鴎外どんと夏目漱石どん、その2人が抜きん出てしまっていて、もしも「3大文豪」ということになると、比肩できるもう1人が見当たらない。

 島崎藤村を推す人がいても、どうも決め手にかけるのである。志賀直哉という手もあるが、うーん、やっぱり何かが足りない。芥川龍之介でもいいが、果たして「文豪」というところまで行ってるんだろうか。

 谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫あたりまで考えてみても、「文豪」というコトバにはどうしても明治という時代の重みがぶら下がっているのであって、昭和まで時代が降りてくると、時の重みや味わいが不足する。
天橋立1
(天橋立 1)

 こうして、「3大」を無理やり作っちゃうために、鴎外・漱石・島崎藤村を並べてみることになる。そんなことしなくていいんだし、無理に付け足された島崎藤村が、例の長い顔を傾げて困り果てることになる。いま目の前に天橋立を眺めて、ふと島崎藤村の立場が分かったような気がする。

 同じような状況は、昭和中期のお相撲の世界にもあった。大鵬と柏戸の2大横綱が君臨し、「柏鵬時代」と呼ばれたわけであるが、やっぱり日本人は「3大」が好き。「もう1人横綱はいないか」というわけで、栃の海と佐田の山、まだそんなに強くないのに横綱にされてしまった。

 ホントは、あの頃は柏戸だって可哀そうだったのである。大鵬の強さは圧倒的であって、「柏鵬時代」というより明らかに「大鵬時代」だったのだ。ま、日本人の3大好みのせいで、いろいろ可哀そうな存在が出現するものである。

 しかしだからと言って、別に柏戸や島崎藤村の魅力が薄れるというのではない。かく言う今井君はむしろ柏戸のファンだったし、V9時代のジャイアンツでも、王&長嶋より、柴田と黒江と土井が好き。そういう人は決して少なくないはずである。

 島崎藤村もいいですな。そこでもまた「島崎藤村の3大傑作」みたいなことになっちゃうのであるが、ワタクシなんかは3大傑作に入らない「新生」が好きですな。2強や2大に入れてもらえず、3番手4番手あたりでションボリ遠慮している渋さのほうが、よくないですかね。
天橋立2
(天橋立 2)

 というわけで諸君、そのちょっとしたションボリ感を、天橋立で満喫したのである。マバラな観光客とともにリフトに乗り、イグノーベル賞で話題になった「股のぞき」に興ずるヒトビトを眺める。それもまた一興である。

 自分自身は、肉体が固すぎて股のぞきなんか不可能である。何しろ前屈をやっても、両手が膝のちょっと下までしか届かない。前屈でクルブシにすら触れない稀有な存在であって、この硬直ぶりは天然記念物候補に上がっていいぐらいである。

 それでも意地になって股のぞきのまねごとをやってみると、驚くなかれ諸君、ワタクシは股のぞきの台から真っ逆さまに谷底に落ちそうになったのである。危うく「股のぞき中に転落、予備校講師が大ケガ」みたいな記事が、博多駅前陥没事故の記事と並ぶところであったよ。
かわらけ
(かわらけ投げ)

 悔しいので、知らんぷりして「かわらけ投げ」に興ずることにした。かわらけ3個で300円。うぉ、こりゃ高いや。カワラケを谷底にビューンと投げて、1個100円もする。

 ならばソフトクリームでもペロペロやるほうがいいのだが、今井君にとってかわらけ投げほどの大好物はない。得意中の得意であって、京都・高雄の神護寺なんかでも、ワタクシがビューンと一つ投げるたびに、見知らぬヒトビトから歓声が上がるほどである。

 ただし諸君、天橋立でのかわらけ投げの満足感は、「いまいち」「いまひとつ」「決め手に欠ける」であって、何と言ってもカワラケの形状が悪い。もっと薄くて平たい形にしないと、うまく風に乗らないのである。

 やっぱり、高雄がいい。だからと言ってそのためだけにあの神護寺の急坂を登るわけにもいかないだろうが、急に京都が恋しくなった。ちょうど今ごろが、高雄の紅葉の見頃のはず。かわらけ投げはあくまで「紅葉狩りのついでに」ということにして、近いうち神護寺まで出かけようじゃないか。
海
(対岸に渡る船着き場のあたり)

 ま、そういうことである。白砂青松の絶景もそこそこに、谷底に転落の危機を脱した安心感と、かわらけの形状への不満をかかえて、今井君はいったんリフトで下界に降りた。天橋立を縦断して、向こう岸に渡ってみようと考えたのである。

 向こう岸へは、お船も出ている。船着き場から20分か30分で対岸に着くのである。歩いていく人も少なくない。右も左も海、海の風を受けて松の葉がザワザワざわめく音に包まれ、徒歩なら1時間ほどである。松の梢に吹く風を、昔の人は「松籟」と呼んだ。

 ワタクシは松風が大好きである。子供の頃は身近にいつでも松林があった。地面にはいくらでもマツボックリが転がっていて、松籟を聞きながらマツボックリを蹴ったり投げたりして遊んだものである。

 お船も大好きだから、大いに迷うところだ。地元のオニーチャンが声をかけてくれて「どうですか、モーターボート。対岸まで5分で着きますよ」「600円です」とのことだったが、やっぱり普通のお船か、松籟を聞きつつ1時間、海の風に吹かれながら散策するのがいいだろう。
文殊
(切戸の文殊堂。日本3大文殊の1つである)

 船着き場のそばに「智恩寺」というお寺がある。「切戸の文殊堂」と呼ばれ、知恵を象徴する文殊菩薩のお寺であある。「三人寄れば文殊の知恵」の文殊さまであって、ここにお参りすれば、きっとアタマがよくなるのである。

 ここもまた「3大」の1つ。「日本3大文殊」というものがあって、
① 京都府宮津、切戸文殊
② 山形県高畠、亀岡文殊
③ 奈良県桜井、安倍文殊
以上、お参りしてアタマをよくするのも悪くない。

 しかし諸君、今井君はすでに余りに頭がいいので♡、これ以上アタマがよくなったら、かえって困ることも多いだろう。文殊菩薩にお参りするのは後回しにして、とにかく対岸へ渡ってみることにした。

 松籟に包まれて1時間の散策もいいが、今日のワタクシはちょっと忙しい。天橋立の後に、ちょっと京都にも寄っていきたいのである。そこで諸君、選択したのは「レンタサイクル」。これなら、大好きな松の風も楽しめるし、かかる時間も往復30分程度に短縮できる。2時間で400円、このお値段も悪くないじゃないか。

1E(Cd) Fischer & Budapest Festival:BRAHMS/HUNGARIAN DANCES
2E(Cd) Hungarian Quartet:BRAHMS/CLARINET QUARTET・PIANO QUINTET
3E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT
4E(Cd) Backhaus(p) Böhm & Vienna:BRAHMS/PIANO CONCERTO No.2
5E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM 1/2
total m100 y1815 d19520