Wed 161019 天橋立に出かける/日本海と太平洋の記憶/朝の大阪駅/天橋立に到着 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 161019 天橋立に出かける/日本海と太平洋の記憶/朝の大阪駅/天橋立に到着

「せっかくだ、ちょいと天橋立まで行ってこよう」と決めた。大阪からなら、福知山まで特急「こうのとり」で1時間半、福知山で特急「はしだて」に乗り換えて30分。一気に日本海側に出て、宮津からはたった5分の旅である。

 ワタクシは18歳まで秋田県の海辺の街で育ったから、コドモの頃はずっと日本海ばかり眺めていた。「太平洋」というドデカイものを初めて見たのは、えーと、中3の修学旅行の時である。

 それも、果たして「ホントの太平洋」と言っていいものかどうか。修学旅行先が北海道函館と札幌だったから、初めて目にした太平洋は、津軽海峡なのである。たいへん微妙なところであって、確かに太平洋だけれども日本海でもある、マコトにきわどいボーダーライン体験であった。

 その3日後、函館の「湯の川温泉」という温泉のホテルに宿泊した。窓から海が見えた。函館の郊外だから、これまた「どっちなんだ?」であって、太平洋だと言えば太平洋だが、日本海だと主張すれば日本海。なかなか手放しで「海は広いな」「大きいな」「月は昇るし日は沈む」とウットリするような感動体験につながらない。
こうのとり
(朝の大阪駅に到着した特急「こうのとり」。まずコイツで福知山に向かう)

 井の中の蛙としてホンモノの太平洋を眺めたのは、さらにその後であって、大学入学後のことである。
① 鎌倉の美術館を観た帰り、江ノ島に出かけた。
② 友人5人で冬の北海道を旅したとき、根室から納沙布岬まで足を伸ばした。
③ その北海道の旅で、興部(おこっぺ)から雄武(おむ)まで、海沿いを走る「興浜南線」に乗った。もうとっくに廃線になった超ローカル線である。

 しかし諸君、①は相模湾であり、②も③もオホーツク海であって、まだ「ホンモノの太平洋」とは言いがたい。ありゃりゃ、するとホントの「海は広いな」は、さらにもっと後、大学4年の四国旅行で高知の桂浜を訪ねた時か、鹿児島を旅して開聞岳まで行った時か、まあそのへんになるのである。

 こういうふうだから、太平洋への憧れは強く、日本海どんはどうしても井の中の蛙の「井」にしか思えない。日本海どん、ホントに申し訳ない。金沢や新潟で海を見ることがあっても、「広いな、大きいな」という感動はこみあげてこない。
福知山駅
(福知山駅。人生初の福知山である)

 ただし日本海の場合、「月は昇るし」ということは余りないとしても、間違いなく「日は沈む」のである。年齢を重ねると、その「日は沈む」のあたりに深い情緒を感じるようになる。

「広いな」「大きいな」という大きさのスケールより、赤やピンクやオレンジの日没の情緒のほうに惹かれるというのが、年を重ねた結果なのかもしれなくて、昨年あたりから島根県の出雲を訪ねたくなったり、ふと五能線を北上して、暗い岩浜に打ち寄せる波を眺めたくなったりする。

 そこで今回は、やっぱり天橋立だ。日本三景の一角を占めている天橋立を、こんな年齢になるまで訪ねていないのは、日々旅にして旅を住処とする者として、まさに怠惰としか言いようがない。

 8時半にホテルを出て、JR大阪駅に向かう。朝の大阪駅は凄まじいエネルギーの渦巻きである。今井君みたいな田舎モンがウロウロしていれば、サラリーマン諸君の渦巻きにはじきとばされて、あっという間に尻餅をつく。

 それほど彼ら彼女らのエネルギーは強烈であって、こりゃ新宿も渋谷もかなわない。大阪梅田は、東京駅の役割と新宿駅の役割をセットにしたようなものである。

「どけどけ」「邪魔や、この田舎モン!!」と、口に出して言わないまでも、朝から遊びに出かける中年の暇人には、やっぱり冷たい視線が注がれる。表情も態度も視線も吐息もチクチク、冷たさに慣れたこのワタクシでさえ、思わず縮み上がるほどである。
天橋立駅
(天橋立に無事到着)

 さてと、たとえそういう目で見られていようと、とりあえずチケットは手に入れた。あとは御弁当がほしい。朝メシなら、立ち食い蕎麦でもハンバーガーでも別に構わないようなものであるが、たとえ小旅行でも旅は旅だ。何か旅情を誘うような御弁当がほしい。

 大阪駅の構内で駅弁を手に入れるのはなかなか難しいが、諸君、そこは旅慣れた今井君だ。御弁当がほしい時は「金沢・富山方面」のホームに行けば、確実に手に入るのを知っている。

 関西での公開授業の翌日が北陸でのお仕事、そういう移動も珍しくない。金沢に向かう特急「サンダーバード」で、大阪から京都を経て車窓に琵琶湖が見えてくる頃まで、御弁当をワシワシやって過ごすのである。

 この日入手した御弁当は、豪華な幕の内弁当。ズラリと並んだ御弁当のうちで一番豪華なヤツであって、単なる幕の内なのに1400円もした。
御弁当
(豪華幕の内弁当。金沢方面ゆきホームで手に入れた)

 いろんな天ぷらが入っているけれども、天つゆも塩もナシ。金魚の形の入れ物に醤油が入っていて、どうやら「天ぷらを醤油で食べたまえ」と言うことらしい。なかなか厳しいご命令だが、他ならぬ御弁当サマの命令なら、従うことにヤブサカではない。

 こうして9時10分、城崎温泉ゆき特急「こうのとり」は、無事に大阪駅を出たのである。おお、「いかにも関西のオジサマ」という発音の車掌さんが、停車駅ごとにマコトに丁寧な車内放送を繰り返す。

「車内での喫煙は出来ません。喫煙ルームもありません」
「車内販売はございません、自動販売機もございません」
「最近携帯電話など、お忘れ物が目立っております。お気をつけ下さい」
「携帯電話での通話は、ご面倒でもデッキをご利用ください」
「お客様のご理解とご協力をお願いいたします」

 こういうアナウンスを、乗り換えの福知山まで繰り返し繰り返し聞かされて、アタマのいい今井君はすっかり記憶してしまった。御弁当の「醤油で天ぷら」とともに、朝の胃袋が重くもたれる体験であった。

 福知山で「はしだて」に乗り換える。京都から来る特急であって、「こうのとり」と同じデザイン。昭和の日本を快走した「こだま」「はつかり」タイプの車両が最後まで走っていた区間であるが、最近どうやら引退してしまったらしい。
電車
(天橋立駅に停車していた豊岡方面ゆきの電車)

 こうして、天橋立には11時半の到着。大阪から福知山、福知山から天橋立、電車はすべて「ほぼ満席」の状態で、やっぱり日本の景気回復を強く実感する。「グリーン車でなければ空席がありません」と言われた区間もあった。

 電車内のヒトビトの表情も、みんなニコニコ満足げで、それを見ているだけで嬉しくなってくる。ここからさらに豊岡方面に向かう電車を見たけれども、中では温かい食事が振る舞われるらしい。おお、豊岡にもまた行かなきゃならんね。

 兵庫県豊岡には、代ゼミ時代の2002年春に行ったきりである。近畿大学豊岡高校での講演会で、その夜は高校の先生方とカラオケ大会をやった。豊岡市内「銀馬車」という店で、たいへん歌の上手な先生がいらっしゃったのを覚えている。

 しかしあれも、もう15年も昔のことになる。宿泊は、城崎温泉。あの時の生徒諸君は、すでに30歳を超えているはずだ。時の経つのはホントに速いものであって、驚くなかれこの今井君も、とうとう798歳になってしまった。

 もちろんその年齢はウソであるが、オヒゲに白髪が十数本。これ以上増えないうちに、とっとと日本三景・天橋立を堪能してこようじゃないか。

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 1/4
2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 2/4
3E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4
4E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4
5E(Cd) Glenn Gould:BACH/GOLDBERG VARIATION
total m95 y1810 d19515