Wed 161012 ぎゅっとシエスタ/パルティニコ/ジェシカとジョルジョ(シチリア物語17) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 161012 ぎゅっとシエスタ/パルティニコ/ジェシカとジョルジョ(シチリア物語17)

 これほどギュッと寝静まったシエスタの町は、イタリアでもスペインでギリシャでも、ホントに久しぶりである。午後2時になっても夏の日光はほとんど衰えず、あくまでも燦々と降り注ぐ(スミマセン、昨日の続きです)。

 屋根は熱く焼け、人々は扉も窓もカンペキに閉め切って、クーラーの爽やかな風を外に逃がさないように、ひっそりスヤスヤお昼寝に集中しているのである。静まり返った町には、忍び歩く猫の姿さえない。

 空耳か、「スヤスヤ&スヤーッ」「スヤスヤ&スヤーッ」の声がセミ時雨のように町を満たしている気さえする。いんにゃ、あれは穏やかな午後のティレニア海の波の音である。そりゃ諸君、「スヤスヤ&スヤーッ」だなんてのが聞こえてくるはずないじゃないか。

 記憶をたどれば、もう8年も前のことになるが、スペインの風車の町・コンスエグラの午後がこんなふうだった。町の真ん中の広場に太陽ばかりが燦々と降り注ぎ、さっきまでバーに集まってビールを楽しんでいたオジサマやジーサマの姿も、みんなどこかに消えていた。
教会
(トラーパニの大聖堂。エメラルド色のドームが美しい)

「これはもしかするとかなり危険なシチュエーションなんじゃないか」と、一瞬あたりに耳を済ます。「治安は大丈夫?」というヤツであって、確かにこんなに誰もいないんじゃ、すぐ目の前の薄暗闇から悪漢が飛びだしてきたら、助けなんか呼んだってどうにもなりそうにない。

 しかし諸君、そんな「悪漢」などというものも、シエスタの町には存在しないのだ。悪漢もみんな「スヤスヤ&スヤーッ」であって、どんなにタチの悪いヤツも、午後の重い睡魔には勝てないのである。

 だから、もしもホントのトラーパニ体験をしたければ、町の人々といっしょに午後の深々としたスヤスヤ&スヤーッを実際にやってみなければならない。

 名所旧跡でガイドブックを開いて「フムフム」と頷くのも結構だし、ミシュラン店の料理に舌鼓を打つのもまた結構。しかしこの硬質のシエスタに加わらなければ、ホントにこの町を経験したことにはならないのだ。

 そこでワタクシは決意するのである。来年もトラーパニを訪ねようじゃないか。今年は「見残し」にするエリーチェの町も散策しよう。そして何より大切なのは、シエスタのスヤスヤ体験だ。トラーパニに2泊か3泊して、たっぷりスヤスヤしようじゃないか。そういうマコトに怠惰な決意である。
シエスタ
(ぎゅっとシエスタな町。動くのは風にそよぐ洗濯物だけである)

 そういう決意を胸に、パレルモに帰るバスに乗り込んだ。午後4時、さすがにシチリア島の太陽もオレンジ色に染まり、車窓は豊かな穀倉地帯がどこまでも続く。

 古代ローマの食は、シチリアとエジプトが支えたのである。急峻な岩山に続く広大な斜面はどこまでも黄金色の小麦畑であり、小麦畑の周囲を、オリーブ畑とブドウ畑が囲み、黄色や緑の大きなスイカやメロンも、そこいら中にゴロゴロ転がっている。

「パレルモまであと少し」というあたりで、高速道路の表示に、ふと「PARTINICO」の文字を発見。今井君の灰色の脳細胞に、思わぬ記憶が蘇ってきた。
「お、PARTINICOか!!」
「おお、このへんがPARTINICOなんだ!!」
と心で呟いたものである。

 そんなこと言ったって、誰も「Partinico」なんか知ってるはずはない。ガイドブックにはもちろん載っていないし、イタリアの人だって「Partinico」という地名を知っているのはごくわずかだろう。シチリアの島民でさえ、Partinicoを知っている人はあんまり多くないかもしれない。
シチリア風景
(岩山までの傾斜に広大な小麦畑が広がる)

 じゃあ、「いったいPartinicoって何なんですか?」であるが、諸君、かつて早稲田大学法学部の長文問題に、このPartinicoが登場したことがあるのだ。70行ほどの文章であるが、忘れもしない、その第1文は、
I had decided to go to Partinico in the Italian island of Sicily
to work in the Dolti Community Welfare Center.
「イタリアのシチリア島、パルティニコに行こうと決意していた。ドルチ…センターで働くためである」

 問題文の冒頭に「次の文章は1960年代に書かれたもので、筆者はアメリカの若い女性です」と但し書きがある。フィレンツェからパレルモへ、女子一人旅の途中なのである。名前がないと説明に不便だから、仮に「ジェシカ」ということにしよう。

 第1パラグラフの第2文では、
I boarded my train in Florence, and found myself sharing my compartment with a young family who were returning to
Palermo, the capital of Sicily.
「フィレンツェで列車に乗り、気がつくと私のコンパートメントには『パレルモに帰る』という年若い家族連れが一緒だった」
と続く。

 同じコンパートメントに、メッシーナから黒いサングラス怪しい男が乗ってくる。若いジェシカを、サングラスの陰からジロジロ観察している様子である。彼の名前をジョルジョ(35 仮名)としておこう。
パルティニコ
(高速道で「PARTINICO」の表示を発見。ガラス窓に映った毛むくじゃらの腕は、前の席の乗客のもの)

 当然のように列車は遅れる。何しろ20世紀のイタリアの長距離列車だ、遅れは遅れを呼び、パレルモになんか全然到着しそうにない。1時間遅れ、2時間遅れ、パレルモ駅に迎えに来るはずの人も、きっと呆れて帰ってしまったに違いない。

 コンパートメントの中にも、緊張感が増してくる。外は雨、というかむしろ嵐の様子。サングラスのジョルジョはジェシカへの視線を緩めない。家族連れと雑談するうちに、「若い外国人女性が、1人でパレルモに?」とビックリされる。それほど危険な町という前提なのである。

 列車はすでに2時間半も遅れている。午後の時間は見る間に過ぎ去り、日も沈んで車窓は暗くなってきた。目指すPartinicoには、パレルモからバスに乗っていくしかなさそうだが、最終バスはきっともうとっくに出てしまっている。「どうしよう」「どうしよう」と泣きそうになる場面である。

 ジェシカが「ホテルに泊まるのはどうでしょう?」と言ってみると、周囲の乗客が一斉に「A young girl alone!?」と叫び、「そんな考えは論外」と一蹴される。やっぱり物凄く危険な町なのだ。そんな夜の駅に重い荷物をかかえて到着したら、ジェシカはいったいどうすればいいのだ?
海と塔
(トラーパニの思ひ出。遥か岬の先端に「リニーの塔」が見える)

 この緊張感を、英文は以下のように書いている。諸君、強調構文でござるよ。
It was on that note of dramatic suspense that the train finally emerged from the darkening rain into the relative cheer of
Palermo Station.
「そういう劇的な緊張感の旋律にのせて、次第に暗くなっていく雨の中から、列車はついに姿を現し、パレルモの駅の中に走り込んでいった。駅は出迎えの親戚たちの歓声に包まれていた」

 ジェシカ、危うし。あわや、落花狼藉の結末か? たいへんなことになったわけであるが、ここで例のサングラス男ジョルジョが援助を申し出る。「私のクルマでPartinicoまで送りましょう」とおっしゃるのである。それって、一番危険じゃないの? 「送りオオカミ」って、昔たくさんいましたよ。

 ま、結果を言えば、大丈夫だったのである。送りオオカミどころか、ジョルジョはちゃんとマンマに電話をかけて「マンマ、ディナーには遅れちゃうよ」と連絡するほどのマンマ想い。ジョルジョのFiatは、暗闇の山道をPartinicoまで駆け抜けた。

「It seemed an endless journey」と、最後にジェシカは告白する。「But it can’t have been more than half an hour」。エンドレスに思えたドライブも、実際には30分もかかったはずはないのだった。めでたしめでたし。それ以上のロマンスはなくて、ジョルジョとジェシカは固く握手して別れたのであった。

 いまワタクシのバスが駆け抜けたPartinicoは、60年前にはそんな準ロマンスが芽生えかけた場所である。音読を繰り返して、いつの間にか記憶してしまった文章を反芻しつつ、今井君のバスは準ロマンスとはPartinicoから逆方向、夕暮れのPalermoに向かって疾走を続けたのである。

1E(Cd) Sirinu:STUART AGE MUSIC
2E(Cd) Rampal:VIVALDI/THE FLUTE CONCERTOS 1/2
3E(Cd) Rampal:VIVALDI/THE FLUTE CONCERTOS 2/2
4E(Cd) Anne-Sophie Mutter:VIVALDI/DIE VIER JAHRESZEITEN
5E(Cd) Krause:BACH/DIE LAUTENWERKE・PRELUDES&FUGEN 1/2
total m60 y1775 d19480