Sun 161009 なあなあ感を猛反省/今日からは再び熱く燃え盛る/まだ7年は熱之助 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 161009 なあなあ感を猛反省/今日からは再び熱く燃え盛る/まだ7年は熱之助

 諸君、ワタクシは先週あたりから熱々に反省しているのである。「20世紀的自己批判」と言ってもいい。この5年間、「いいひと」「温厚なオジサマ」を演じることに夢中だった。熱く生臭いマグマを内側に貯め込んだまま、なあなあ&なあなあ、マコトにダラしなく生きてきた。

 その様子を、真剣に心配してくれる同僚もいたのである。ある数学の先生であるが、「今井さんはこのごろすっかり優しいオジサンになりきって、誰にでもニコニコしてばかりのようですが、そんなにナアナアな先生であってほしくありません」と真顔でおっしゃるのである。

 確かに5年前までのワタクシは、常に熱々の湯気ボーボーであって、ヤカンの中は煮えたぎる熱湯のごとし。不用意にフタに触れれば、噴出する水蒸気で激烈なヤケドを負いかねない。そのぐらい危険な燃えるオジサマであった。

「あの頃の今井サンは、いつでも激怒していましたよ」
「最近は全然怒らないんですね」
うーん、なるほどその通り。ホンの5年前までは、例えば公開授業に臨む場合でも、気合いの入り方が今とは別次元ないし異次元のものだった。

 だってそうじゃないか。生徒諸君がせっかく90分も割いてくれるのだ。「初めて東進に来てみました」という外部生の諸君のみならず、「すでに大ファンです」という内部生だって、この公開授業をキッカケに、グングン&ググンと学力を伸ばしてほしいじゃないか。
赤羽1
(東京都赤羽会場にて。「ワタクシのアップは必要ありません」と言ったのに、何故かアップばかり16枚がカメラに残っていた)

 だから5年前までの今井君は、「私語厳禁」にシコタマうるさかった。私語厳禁のために、あえて厳密な座席表さえ作成してもらっていた。私語とは、講師の話に対する稚拙な拒絶である。講師の一言一言にいちいち茶々を入れて、真剣に聞こうとする自己の意志を、あえて自分から妨害する行為である。

 自分で自分を駄目にするだけならいいが、私語は周囲の諸君の集中力ももちろん削いでしまう。講師のコトバに心から真剣に頷いた瞬間、隣席や後ろの席から誰かが面白おかしく混ぜっかえすと、感動も感激も、理解も決意も、すべて一瞬で吹き飛んでしまう。

 だから私語の存在は、せっかくの授業をほとんど無駄にしてしまう。周囲の生徒も、私語に夢中の本人も、マコトに可哀そうである。教室内が熱く熱く盛り上がっている最中に、「私語はやめたまえ」と講師がたったヒトコト指摘しただけで、雰囲気も一気に冷たく凍りついてしまう。

 そこで今井君は、公開授業前の司会者からの指示として「私語厳禁」を徹底してもらう。どれほど私語が馬鹿馬鹿しく有害なものか、どれほど周囲の人間に嫌がられ軽蔑されるか、周知徹底をはかるのである。

 それでも足りないから、出席者が100名から150名程度の時には、詳細な「座席表」を作成してもらっていた。400名とか500名とか、コンサートホールでの大規模講演会なら別だけれども、150名ぐらいまでなら、友人知人どうしが隣り合わない形での座席表作成は簡単だろう。

 授業とはそうやって、友人知人と離ればなれの席に座り、ひとりぼっちの状態で静かに集中して聴くものである。孤独になって講師のコトバに集中すれば、授業の効果は5倍にも10倍にも高まるはずだ。
赤羽2
(アップしかなかったので、申し訳ございません。赤羽で熱く燃えるオジサマでございます)

 ところが諸君、この4〜5年の「なあなあオジサマ」☞ 今井君は、座席表の作成さえお願いしなくなってしまった。だってきっと主催者側は、座席表作成をメンドーと思うだろう。いろいろ忙しい日々の業務がある中で、「たかが公開授業のために」、座席表なんか作ってもらうのは、余計なご苦労をおかけすることになる気がした。

 気がつけば、座席表なんか、もうすっかり過去の話になっている。一応それらしいものはあるのだが、「このへんが内部生」「このあたりが外部生」「一番後ろが遅刻者と保護者の席」という程度の、マコトに大雑把な間に合わせのものになってしまった。

 だから、結局は友人どうしがデレデレ&ダラダラ固まって席を占める。最初から最後まで私語モード全開であって、表情からも態度からも、あまり緊張感を感じない。「90分、まあ講師の話を冷やかしながら過ごそうぜ」というニヤニヤ感覚が横溢している。

 そういう雰囲気は、当然のようにスタッフにも伝わる。研ぎすまされた緊張感も、今はむかしの物語。「この公開授業で一気にモチベーションを高めよう」「やってきた外部生は1人も残らず仲間にしちゃおう」みたいな、かつての熱さが懐かしい。

 そりゃ1年に3回も4回も公開授業があれば、この種の緩みも理解できないことではないが、「この1回に賭ける」というか「この90分に力の全てを集中しよう」みたいな、ヤケド寸前の熱さを感じないこともある。
ピロシキ
(福岡天神「ツンドラ」のピロシキ。いま今井君はこのぐらい熱くパンパンに盛り上がっている)

 我々の校舎ではありえないことだが、最近になって雨後のタケノコのようにニョキニョキ増えてきた「映像授業タイプの塾」で、以下のような光景が展開されてはいないだろうか。年若い校舎長が、アルバイトの男子学生にこんなふうに声をかけるのだ。

「○○クン、次の日曜日、空いてるかな。東進をパクって『公開授業』とかいうのやるんだけど、どうしても人手が足りないんだ」
「ええー? 日曜日、別のバイトが入ってるんですけど…」
「そんなの、断っちゃって、断っちゃって。どうしても、もう1人必要なんだ。△△先生って、ケッコ、うるさい人らしいんだよね」
「ええー? その先生、何の科目でしたっけ? ボク、受講したこともないんですけど」
「カンケーないじゃん。いいから、とにかく日曜日の夕方、空けといてね」
「ええ、まあ、いいですけど…」

 しかし、もしも新規参入の予備校や業界全体がそんなムードになりつつあるとしたら、それもやっぱり超ベテラン今井君あたりの「なあなあ化」に原因があるんじゃないか。「反省しきり」なのは、そういうわけである。

 生徒諸君のマコトに大切な90分なり100分なりを、公開授業に割いてもらっているのに、今の日本のヌルさはいったい何なんだ? 私語し放題の状況じゃ、どんな先生がどれほど素晴らしい講義をしたって、英語力アップなんかとても望めない。
つぼ焼き
(福岡天神「ツンドラ」の壷焼き。今井君はパンの下のスープのようにグツグツ煮えたぎっている)

 もしもワタクシが校舎長として公開授業を主催するなら、開催が決定した当日に、2ヶ月先だろうと3ヶ月先だろうと、もう人員の割当まで全て決定してしまう。当日のアルバイト学生には、その先生の授業を最低1回分、出来れば5回分、マジメにノートを取りながら受講してもらう。

 ブラック企業じゃないんだから、もちろんその受講時間も拘束時間として、給与支払いの対象とする。△△先生の授業とはどんな授業で、どんな分野でどんな力がつくか、職員全員が熟知した状況で当日を迎えたいじゃないか。

 その先生がブログとかツイッターとか、まあその類いのものをやっている場合には、というか今やマジメな講師なら誰でもやっていると思うが、その辺も職員全員でチェック。せめて10日分ぐらい溯って熟読する。

 やがて会場にやってくる講師について、生徒に何を質問されても即座に自信をもって答えられるようじゃなきゃ、生徒たちが安心して受講できないはずだ。何というネーミングのどんな講座を担当しているのかを尋ねられて「えーっと、よく知らないんだけど…」みたいに言葉を濁すことがあったら、その予備校全体、いや、この業界全体の信用に関わるはずである。 

 公開授業から最高の結果を導きだすには、最低限そのぐらいの努力は必須なのだ。
① 講師の情報に関しての周知徹底
② 私語でせっかくの熱さが台無しにならないための座席表の作成
③「どうしてもこの先生の授業を受講させたい」という一致した熱意
以上の3点は、公開授業を行う際の最低ラインである。

 もっともっと緊張感を高めて、1人でも多くの生徒を継続させたい。生徒の学力を1cmでも2cmでも余計に伸ばしたい。そういう熱意が、この数年の「なあなあ今井」からは薄れていたように思う。反省しきり、猛省しきりである。
あまちゃん
(赤羽でケーキをいただく。おいしゅーございました。ダイエット中なので、これからはクマにケーキを与えないでください)

 今日からは5年前の熱々な今井熱之助に回帰して、ボーボー真っ赤に燃え上がろうと決意している。諸君、覚悟してくれたまえ。オヒゲに十数本の白髪が混じって以来、「そろそろ後進に道を譲ることも考えなくちゃ」と思っていたのだが、諸君、熱井熱之助がこうして帰ってきた以上、あと少なくとも7年は引退なんかしてあげないから、そのつもりでいてくれたまえ。

 11月1日、東京都北区赤羽で公開授業。出席者、約100名。諸君、赤羽という土地の故事来歴を思うに、高1高2だけで100名もの受講生が集まったのは、スタッフの熱さの賜物であって、この点ではまさに感謝&感謝、大感謝である。
 
 昨日の市ヶ谷に続き、赤羽でも写真は今井君のアップ写真ばかりである。本当に申し訳ない。「ワタクシのアップは必要ありません」「いつものブログ用です。生徒全員の背中が写るように、後ろから教室全体を撮ってください」とお願いしたのだが、どういうわけか今井君のアップが16枚もカメラに残っていた。全体の写真なんか、1枚もないのである。

 マコトに些細なことだか、昨日の市ヶ谷に続き2日連続でこんなことになると、やっぱり自ら猛反省する必要を感じないではいられない。どんな子供っぽく馬鹿馬鹿しい些細な雑事でも、常に余裕の笑顔でビシッとこなしてほしいのである。

1E(Cd) The Scholars baroque Ensemble:PURCELL/THE FAIRY QUEEN 1/2
2E(Cd) The Scholars baroque Ensemble:PURCELL/THE FAIRY QUEEN 2/2
3E(Cd) Corboz & Lausanne:MONTEVERDI/ORFEO 1/2
4E(Cd) Corboz & Lausanne:MONTEVERDI/ORFEO 2/2
5E(Cd) Festival International de Sofia:PROKOFIEV/IVAN LE TERRIBLE
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