Sun 160925 明日10月20日は、1回目のなでしこ忌 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 160925 明日10月20日は、1回目のなでしこ忌

 2時間ほど前に日付が変わって、今日は10月19日。ということは、明日は10月20日、「なでしこ忌」である。なでしこは、黒と茶色のキジトラのねこ、2002年12月24日生まれ。昨年10月20日午後5時、13歳の誕生日まであと2ヶ月で亡くなった。重い腎臓病だった。

 純白のニャゴロワとは、姉妹なのである。どちらが姉でどちらが妹だか、何しろ相手はねこだから、本人たちにもわからない。無邪気で明るいニャゴロワが、おそらく妹。賢くてどこまでも控えめななでしこは、身体は遥かに小さいが、おそらく姉なのである。

 ごく普通の日本猫ではあるが、本の表紙にもなったこともある。猫との付き合い方を特集したビデオに、2匹で一緒に出演もした。臆病だけれども、いったんギュッと張り切ってしまえば、勝ち気な妹にも決して負けていない、マコトに賢い姉ねこなのであった。

 腎臓病になったのは、ニャゴロワが先、発症は2010年12月のことであった。2匹が共同で使用しているトイレの砂が、毎日どうも薄赤く染まるので、慌てて獣医さんに駆け込んだ。「どちらかが腎臓病のようです」と獣医さんに言われ、直ちに血液を検査してもらった。
本が好き
(なでしこは本が大好き。あくまでお嬢様なねこだった)

「病気はニャゴロワちゃんのほうです」「数値が致死的です」「余命100日、実際にはもっと短いかもしれません」。そういう診断を聞いて、悲嘆は余りに深く大きく、もうゴハンも喉を通らなくなった。

 クリスマス間近の頃である。ペットショップにもジングルベルが流れ、ねこたちのためのプレゼントが店先に並んでいた。しかし「余命100日の腎不全」という診断では、あんなに食いしん坊のニャゴロワに、オヤツもプレゼントしてあげられない。

 あんまり悲しくて、ペットショップから逃げるようにしてオウチまで走った。しかしニャゴロワの食欲は旺盛。「余命100日」などという残酷な診断を見事にはね返して、あれからすでに2000日以上を生き抜いた。今朝も今夜も、白い大きな身体を揺らして、そこいら中を駆け回っている。

 もちろんねこだって人間と同じ哺乳類だから、もし腎臓を病んでしまったら、連日の点滴が必要である。2日に1回の割合で125cc、背中に太い針を刺して点滴を続けた。いちいち獣医さんに連れていくわけにはいかないから、飼い主が自分で点滴をしてあげるのである。

 妹のニャゴロワが点滴に耐える様子を、なでしこは毎日つらそうに見守っていた。点滴用のネットに入れられて暴れているニャゴのそばに静かに歩み寄って、「痛い?」「つらい?」「頑張りなよ」と、点滴が終わるまで、まるで励ますかのように蹲っていた。
テレビの上で1
(大好きだったテレビの上で 1)

 しかしやっぱり姉妹なのである。遺伝子が似ていれば、同じ病気にもかかりやすい。なでしこの腎臓病発症は2012年秋。苦しそうな様子が見えた最初は「結石のようですね」と言われ、手術で石はキレイにとれた。入院も1週間で済んだのである。

 ところが、結石はとれても、どうしても気分が悪そうである。食べたものも頻繁に戻してしまう。飲んだ水も吐いてしまって、毎朝床に小さな吐き跡が残っている。ニャゴなら吐き跡はもっと派手だから、頻繁に吐いているのは、おそらくなでしこである。

 こうしてなでしこの腎臓病が発覚。以後、なでしこも2日に1回の点滴が必要になった。奇数日はニャゴ、偶数日はなでしこ。かわりばんこに点滴をして、1日でも長く生きてもらおうと懸命の日々を過ごした。

 明るい暢気なニャゴロワなら、点滴もあまり怖がらない。しかしなでしこは違う。いま写真を見てみても、なでしこはいかにも「深窓の令嬢」タイプ。黒い大きな瞳を見開いて、点滴の太い針を見つめ、点滴が始まる気配がしただけでどこか、決して捕まらない暗い片隅に逃げてしまう。

 余りに賢いので、「今日はニャゴロワの日」「今日は偶数日だから自分の番」と、カレンダーを見て理解している様子。大好きなテレビの上で眠っている時でも、点滴の気配が少しでもあると、いつの間にか姿を消している。
テレビの上で2
(大好きだったテレビの上で 2)

 両手も後足も、なでしこは透き通るような純白なのである。全身が純白のニャゴロワは、そこいら中を走り回っているうちに全身クリーム色に染まってしまうが、大人しいなでしこの両手は、ニャゴよりずっと真っ白に見える。

 その白い両手を柔らかく折り畳んで、黒と焦げ茶の七分袖から覗かせている姿は、いかにも世田谷のお嬢様ふう。飼い主が世田谷から渋谷区に引っ越してしまっても、なでしこはどこまでも世田谷の令嬢であって、いつ上手にピアノを弾きはじめても、ちっとも不思議ではない様子をしていた。

 あんまり両目を真っ黒にして逃げ惑うから、さすがにあんまり可哀そうで、思わず点滴も間遠になる。「2日に1回」が原則だけれども、間に2日あいてしまうこともあった。それでも何とか発症から3年、ゴハンの量も少なくなったが、なでしこは気丈に生き続けた。

 決定的に体調が悪くなったのは、2015年10月、中旬に入ろうとする頃である。水を飲んでは吐き、ゴハンを食べては吐き、もともと小型のねこだったが、お腹のあたりが見る見る痩せていく。
痩せてきていた頃
(痩せてきていた頃)

 獣医さんのアドバイスも、急激に厳しいものになっていった。「ギリギリの延命治療をこのまま続けていても、かえって可哀そうかもしれませんよ」とおっしゃるのである。

「入院して大量の点滴を続ければ、まだ1ヶ月ぐらいは大丈夫かもしれません。でも入院しているより、最後の数日を懐かしいオウチの中で過ごすのも、ねこにとっては幸せかもしれませんよ」。そういう苦渋の言葉が、獣医さんの口から出るようになった。

 10月17日、なでしこはいよいよ痩せ細り、見るからに苦しそうで息も絶え絶えの状況。しかしワタクシは北海道で公開授業の予定があって、まさか「ねこが危篤状態なので」と言ってお断りするわけにもいかなかった。

 信じがたいかもしれないが、「もうどうしようもない」という気持ちの時には、人間の思考も満腹中枢も普通ではなくなるものらしい。紅葉の進んだ秋の北海道で、非常識なほどジンギスカンを貪った。味なんか全然わからないまま、茫然と咀嚼だけを続けたのである。

 北海道から帰ったのは、10月19日。ちょうど1年前の今日である。なでしこは、入院中。しかしもうほとんど意識はなくて、目を閉じたまま小さな息を繋いでいるだけである。「もうオウチに帰って、最後の数日をオウチで過ごしたい」。三角形の2つの耳が、そう訴えているようだった。
姉妹
(姉妹)

 そこから先の数日のことは余りに悲しいので、今はまだ書きたくない。「なでしこラストデイズ」として「ウワバミ文庫」の中にまとめてあるから、読みたい人は是非クリックしてくれたまえ。

 あれから1年、なでしこはまだオウチにいるような気がする。目を閉じれば、黒に茶色の小さなキジトラねこが、子ねこのような歩き方で向こうから静かに近づいてくるのが見える。ニャゴはソプラノだが、なでしこは落ち着いたアルト。姉と妹で、上手に役割を分担していた。

 なでしこのお葬式が済んでから、ニャゴロワは半年ほど、なでしこ姉さんを探していつまでも歩き回っていた。早朝でも真夜中でも白昼でもおかまいなし、ソプラノの声のボリュームをさらに大きくして、「どこに行った?」「どこに行った?」と、人の顔を見て激しく問いかけるのである。

 仕事から帰ると、玄関の階段の右側にニャゴロワ、左側になでしこ、狛犬のように2人で並んで、じっとこちらを見おろしていたものである。相棒はいなくなったけれども、ニャゴロワは健在。まだ少なくとも5年は生きていそうな陽気さで、階段の右側を白く占領している。

 明日10月20日は1回目のなでしこ忌であるが、ワタクシは沖縄で公開授業がある。鼻の頭がなでしこの花のようにピンクだから、この名前をつけた。黒いほうの毛先が2mmほどキラキラ金色に光る、優しくて、小さくて、臆病な、おそらく世界で一番のねこであった。

1E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN①
2E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN②
3E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO
4E(Cd) Indjic:SCHUMANN/FANTAISIESTÜCKE CARNAVAL
5E(Cd) Argerich:SCHUMANN/KINDERSZENEN
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