Tue 160920 ランチ難民/カレー屋の幻滅/やけのやんぱち/ 片隅で聴いていたボブディラン | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 160920 ランチ難民/カレー屋の幻滅/やけのやんぱち/ 片隅で聴いていたボブディラン

 最近は観光地も空港もウルトラ激混みであって、こんなに混雑したら、昼メシも晩メシもちっとも楽しくない。10月初旬は中国の「国慶節ウィーク」。10月9日、博多駅や福岡空港の混雑はハンパなものではなくて、メシ大好きなこの今井君でさえ、ランチを躊躇したほどである。

 こんなに頻繁に出張&出張に追われる毎日を送っていれば、「趣味はランチ」「特技はディナー」、そういう人間が出来上がって当然だ。それなのに諸君、この店もあの店もみんな満席、店の前には長ーい列ができて、「順番にご案内しております」という冷酷な掲示まで出る始末だ。

 メシだって、あんまり貪欲になっちゃいけないのだ。冷静に&冷静に。確かにそう思うのだが、先週の福岡空港の状況は、お腹を空かせた哀れな今井クマ助どんには、さすがにちょっとツラすぎた。

 何しろ福岡空港は大規模改修工事中。ただでさえ通路も搭乗口も狭くなって、大混雑の状況だ。そこに外国からのお客様がどっと押し寄せたからたいへんだ。

 お土産物屋もラーメン屋も、もう言語道断のアリサマである。押すな&押すな、引くな&引くな、割り込むな、座るな、叫ぶな、泣き出すな。否定命令文を学ぶなら、これほど好適な環境は考えられない。
にゃご
(ニャゴロワ。相変わらず美ネコである)

 今井君が入りたかったのは、中華料理屋。「は? 中華料理?」であるが、今年の夏に試しに入ってみたら、「おや、旨いじゃないか!!」とビックリマークが2つもつき、あれ以来すっかり大ファンになった。

 ところが何とピンポイントで、その中華料理屋だけが「改修工事中」。そして諸君、他はすべて長蛇の列。ラーメンばかりではない。蕎麦屋も、居酒屋も、ファミレスも、寿司屋も、どこもみんな順番が来るまで15分以上待たなきゃいけない。

 仕方がない、いったん昼メシは諦めて、ラウンジに入ることにした。ところが諸君、ラウンジもまた大混乱。ありゃりゃ、ソファもデスクもみんないっぱいで、座る場所さえ見当たらない。重たい鞄をぶら下げて、まさに途方に暮れたのである。

 そこでワタクシは、かねてより気にかかっていた7番搭乗口横のカレー屋を目指したのである。「かねてより」とはいったいいつからなのかであるが、諸君、驚くなかれ、最初に気にかかったのは、まだ駿台講師の時代、一週間に1回の福岡出張に出かけていた頃だから、すでに20年が経過する。
笑う
(ニャゴは、時として激しく爆笑する)

 福岡空港にヒコーキが到着すると、乗客は必ず7番搭乗口付近を通過する。一時間半の搭乗でお腹がペコペコになっているところに、マコトに旨そうなカレーの香りが漂うわけだ。

「いつかは食いたい」「いつかは食いたい」。そうやって憧れながら、20年の歳月が流れ、駿台 ☞ 代ゼミ ☞ 東進と移籍を重ねて、ついにこの日を迎えた。「ついにチャンスがめぐってきた」。そういう感動で、目が血走るぐらいだった。

 ところが、ここもまた満員。カウンター席だけの小さな店だが、そのカウンターが全て埋まっちゃっている。こうなると「もう異常」と言ってよくて、ランチにもラウンジにも見放された今井君は、その場で激しく泣き出してもおかしくないぐらい、追いつめられた気分であった。

 5分待って、やっと席が1つ空いた。うぉ、こりゃ意地でも飛び込まなきゃいかん。ガシッとカウンターをつかんで椅子を確保、我が運命がかかっているような切羽詰まった気持ちで「カツカレー!!」と叫んだ。
うみうし
(うみうし)

 ところが諸君、ひどいじゃないか。返ってきた答えは「カツは品切れです」なのである。しかも全く感情も同情も哀れみもこもっていない。鉄面皮のオバサマが、完全な鉄面皮のままで、さも当然であるかのように「売り切れです」と冷酷に言い放ったのである。

 一日中営業しているカレー屋なのに、午後2時の段階でカツカレーのカツが売り切れ。そんなことがあっていいものだろうか。店の看板メニューが、こんな早い時間帯に品切れになるなんて、いったいどういう仕入れをしてるんだ?

 それはちょうど、深夜までやっているラーメン屋で、午後9時に「ギョーザが売り切れ」と言い放つのと同じじゃないか。先週の下北沢で、古文のウルトラ先生が激怒した理由も、この時のワタクシには骨身に沁みてよく理解できたのである(Sun 160911「焼き肉屋/ラーメン屋で餃子が売切」参照)。

 まあ諸君、憧れは幻滅に変わりやすいものであり、希望はあっという間に絶望に変わり、夢は破れ、国破れて山河だけが残る。カレーに対する憧れなんかを、20年もウジウジ居抱き続けているほうが悪いのだ。

 カツカレーに憧れ続けたミジメな中年男が、これほど冷然と「カツは売り切れました」と宣告されれば、もう致し方ない。何でもいいからお腹をいっぱいにするだけのことである。メニューを一瞥して「じゃ、カレーセット」とションボリ言ってみた。
まるまる
(ネコはソファで丸くなる)

 そこからのオバサマのコトバは、もう敗残の兵に鞭打つようなものである。「セットには、うどんとお蕎麦があります」「じゃ、お蕎麦で」「お蕎麦は、温かいのと冷たいのとどっちにしますか?」。うーん、もう、そんなのどうでもいいのである。

 そもそも、「カレーライス + お蕎麦」って、そんな炭水化物セットが必要なのか。重々ミスマッチを承知で、ワタクシはホット蕎麦とカレーのセットをお願いした。捨て鉢、ヤケッパチ、昔は「やけのやんぱち」と言ったが、漢字で書けば「自棄のやん八」。自暴自棄のことである。

 もっと詳しくは「やけのやんぱち 日焼けのナスビ」であり、フーテンの寅さんはさらにつづけて「やけのやんぱち 日焼けのナスビ 色は黒くて食いつきたいが あたしゃ入れ歯で歯が立たぬ」とおっしゃった。

 ついでに昭和中期、高石ともや「受験生ブルース」の中にも「やけのやんぱち」が登場する。受験生が公園に行ってみるとと、「アベック」ばっかり。恋しちゃならない受験生が「やけのやんぱち 石投げた」というのだが、諸君、石なんかなげちゃいけませんよ。作詞:中川五郎。「アベック」も古いね。

 そのころ全盛だったのが、ボブ・ディランである。ノーベル賞も、ずいぶん意表をついてきた。まるで「ハルキはまだ若すぎる。ハルキにはまだまだ待ってもらいます」という冷酷な宣言のようにも見える。
毛玉
(やがて毛玉と化す)

 ボブ・ディランなら、文学賞よりも平和賞のほうが似合っている気がする。一国の大統領に平和賞というなら、ボブ・ディランに平和賞のほうがよくはなかったか。

 今ごろ日本国中で「ガロ」の検索が爆発的に増えているはずだ。ボブ・ディランで思い出すのは何が何でもガロ「学生街の喫茶店」である。きんみとよく こんの店に来たものさ。ワケもなくお茶を飲み話したよ。学生で賑やかなこの店の、片隅で聞いていたボブ・ディラン。おお、昭和じゃ。

 山上路夫作詞、すぎやまこういち作曲。そういう時代を思い出しつつ、蕎麦をすすり、カレーをかき混ぜた。あんなに憧れたのに、20年も憧れたのに、幻滅は余りに深い。

 だって諸君、スプーンが使い捨てのプラスティック製なのだ。「カレー屋のオバチャン、せめて、キラキラ光る銀色のスプーンで食べさせてほしかったよ」。クマどんはこんなふうに嘆いて、しょんぼり東京に引き返していきましたとさ。

1E(Cd) Kempe & Münchener:BEETHOVEN/SYNPHONIE Nr.6
2E(Cd) Karajan & Wiener:BEETHOVEN/MISSA SOLEMNIS①
3E(Cd) Karajan & Wiener:BEETHOVEN/MISSA SOLEMNIS②
4E(Cd) Furtwängler & Vienna:BEETHOVEN/SYMPHONY No.7
5E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS①
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