Mon 160919 ウスティカ島に出発/島の埠頭で唖然/ジーチャンのクルマ(シチリア物語9) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 160919 ウスティカ島に出発/島の埠頭で唖然/ジーチャンのクルマ(シチリア物語9)

 いきなり誰も聞いたことのないような離れ小島に日帰り旅行を敢行しようというのであるから、8月30日、ウスティカ島に旅立つワタクシの張り切りようは並みではなかった。

 片道3時間、往復で6時間。そんなに遠い離れ小島なんだから、どうしても朝1番の船に乗りたいのである。5時起床、早速ブログを1本アップして、ジャグージ付きのお風呂につかった。

 旅が長くなればなるほど、朝の入浴だけは絶対に欠かしてはならない。出張旅行でも何でも、ついメンドーになって「シャワーだけでいいや」と自暴自棄に陥るけれども、日本人にとって風呂桶ないしバスタブは心の故郷だ。

 ましてやシチリアの旅であり、誰も知らない離れ小島 ☞ ウスティカを旅するのだ。肉体の癒し以上に、ちゃんと心を癒してから出発しないと、自分に対しても他者に対してもトゲトゲした態度に陥りがちだ。

 ただし諸君、昨日まる1日シチリアの強烈な陽光に焼かれ、ワタクシの肉体は真っ黒焦げの状況。鼻も耳も両腕も、とにかく露出していた部分はヒリヒリのヒーリヒリだ。そのヒリヒリ感は、「乾布摩擦を2時間やりました」という非常識な痛みに近いものがある。

 こんな痛みを全身に感じながら41℃のお湯につかるのは、それはほとんど拷問である。ヌルくヌルく、あくまでヌルく。ほとんど常温のお湯でジャグージを動かし、爽やかなアワアワを炭酸水みたいにシュワシュワさせて、心と身体をじっくりと癒したのである。
パレルモ港
(パレルモ港。背景になっているのがフェリー「ティレニア号」、手前がウスティカ行きのお舟)

 朝7時、ホテルを出てパレルモ港に向かう。風は爽やかだが、すでに太陽光線はイバラのトゲのような刺激を帯びていて、目にも皮膚にも頭皮にも痛い。

「頭皮にも痛いということは、もしかして…」と、ふと頭髪の密度と絶対量について不安に襲われるが、ま、今はとりあえずそんなこと、気にしないほうがいいだろう。

 陽光はまだ朝焼けのオレンジ色に染まっていて、その強烈なトゲを剥き出しにしてはいない。それでもすでに危険を感ずるほどに鋭角的。「こんな日に離れ小島に渡るなんて、ちょいと大胆すぎないか?」と、別の不安が頭を占領するのである。

 港と言っても、パレルモの港は貨物が優先。北アフリカのどこかの国からやってきた大型フェリーが接岸しているが、マルセイユみたいに連日チュニジアやアルジェリアのフェリーが往復している港とは雰囲気がまるで違う。

 それらしい旅客ターミナルも、存在しない。掘建て小屋に毛が生えた程度のチケット売り場があり、その前にたくさんの野良犬が集まっていて、それだけである。待合室もないから、チケットを購入した後は、もう野良犬をからかいながら時間を潰すしかないのである。

 野良犬はみんな大型なので、「からかう」といっても、イニシアチブが人間の側にあるのか犬の側にあるのか定かではない。あんまりお犬様のご機嫌を損ねると、人間のほうでお許しを乞わなければならなくなるような、マコトに物騒なお犬様がほとんどである。
犬君
(このぐらいの大きさのお犬様がたくさんウロついている)

 そうしているうちにも、どんどん陽光は強烈になってくる。これ以上真っ黒焦げにはなりたくないから、日陰を求めてあたりをうろつくのであるが、さすがシチリアの港であって、あたりには怪しい人影もチラチラしている。日陰を求めて探険しすぎると、いろいろネロネロした誘いの声がかかる。

 結局ワタクシは他の人々とともに埠頭に出て、強烈な陽光を浴びて30分、お犬様と目が合うのを避けながら、ひたすら船の入港を待ったのである。その船がまた、時間ギリギリまでなかなか入港してくれない。

 8時発の船が接岸したのは7時50分すぎ。人々ハ丸いダンゴ状になって押し合いへし合い、列なんか作って大人しく並んでいる人々ではないから、競い合って船内になだれ込む。席を奪い合ってスッタモンダが終わらないうちに、もう船はウスティカに向けて出発したのだった。

 あとは3時間、ホントに何にも起こらない。さっきの押し合いへし合いとスッタモンダが嘘のように船内は静まり返って、誰も彼も口を開けてグースカ。イタリア人特有の祝祭的な激しいオシャベリにふける人は皆無、そこはマコトに幸運だった。

 グースカな沈黙の中、目指すウスティカ島が近づいてきたのは、午前10時半のことである。ありがたい、定刻に到着である。何しろ日帰り旅であって、帰りの船のウスティカ出航は午後5時だ。あんまり派手に遅れられると、ウスティカ滞在の時間がどんどん減ってしまう。
ウスティカ
(ウスティカ島の風景 1)

 そして諸君、ついにウスティカに上陸、午前11時。船内にも歓声が上がる。海水浴に釣りに磯遊び、パレルモの人々にとってこの島は、お盆にバーチャン&ジーチャンの家に帰ってくるような感覚なのだ。

 しかし埠頭に上がってみると、これはもう唖然&茫然とするしかない。間違いなくここはエオリエ諸島の一角なのであるが、昨日の記事に書いた「風のエオリア」みたいな優雅な世界とは全く違っている。

 何にもないのである。ホントに何にもないのである。太陽から身を隠す場所も見つかりそうにない。初めてこの島を訪れたらしいイタリアの人々も、余りの何もなさに茫然として、一歩も前に踏み出せないでいる。

 しかしとにかく前進しないわけにはいかないから、とりあえずワタクシは目の前の坂道を登って行くことにした。坂道は緩やかに右にカーブして、登りきったあたりに小さなホテルが2〜3軒、肩を寄せあって立っている。

 助かった、とりあえずこれで太陽に焼き殺されることはなさそうだ。帰りの船まで6時間、ホテルのカフェでしゃがんでいれば、何とか生きてパレルモに帰れそうである。
ウスティカの丘から
(ウスティカ島の風景 2)

 そのへんをウロウロしていたら、地元のニーチャンが声をかけてくれた。上半身ハダカ、褐色に日焼けしたたくましいニーチャンであって、遠慮会釈のない猛スピードのイタリア語で、「舟に乗らないか」「舟に乗らないか」「50ユーロで洞窟に連れていってやる」とおっしゃる。

「13時半にまたここに来い」「そしたら舟で洞窟に行こう。海水浴も出来る。来いよ来いよ、絶対来いよ。50ユーロでいいんだ」というわけである。「13時半か、そうか、ならばこれから2時間、どこかでメシでも食ってくる」というわけで、ワタクシはさらに坂道を登りつづけた。

 5歩で汗が噴き出し、10歩で汗みどろ。エオリアの爽やかな風なんか、ソヨとも吹いてこない。「とんでもない島に来たな」と汗みどろの顔を拭っていたら、向こうからこちらをうかがっていたジーサマが「どうしたんだ」「困ってるのか」「どこへ行きたいんだ」と声をかけてきた。

「レストランを探している」と告げると、「この道を登っていけ」「ずっと遠くにレストランがいくつかあるぞ」と言いながら、何だかネロネロ嬉しそうに、ダラしなく笑いはじめた。「オレのクルマに乗せていってやろう」というのである。

 その「クルマ」というのが、果たしてクルマと呼んでいいのかどうか、一瞬迷うようなシロモノ。あちこちガムテープで補修してあるし、窓は閉まるのかどうか不明、シートは破れて、中から黄色いスポンジだか何だかがはみだしている。しかしジーサマは意地でも送っていきたいらしい。
教会
(たどり着いたウスティカ大聖堂)

 すると奥から配偶者のバーサマが出てきて、絶望したように両腕を天に差し上げたかと思うと、何だか激しい呪文をジーサマに向かって投げつけはじめた。名セリフというのか何と言うのか、すでに誰かが書いてくれたセリフを読み上げるかのような、歌うような名調子なのである。

「あなた、おやめなさい。またそんな変なことをして。近所の人が何て言ってるか、あたしがどんなに恥をかいているか、知ってるでしょう。またそんな変な東洋人をつれて、こっそりタバコでも吸いにいくんでしょ。お医者様が何て言うか。事故でも起こしたらどうするの」
ま、バーサマの呪文の中身は以上のようなものであった。

 しかし諸君、レストランやカフェが数軒、確かに坂道のすぐ上に見えている。ホンの100メートルかそこいらのドライブだ。見たところ90歳近いジーサマがこんなに嬉しそうにしているのに、カタクナに遠慮したら返って可哀そうじゃないか。

 動き出した「クルマ」の時速は、おそらく10km未満。いや、5km未満かもしれない。むしろ歩いたほうが速いぐらいのスピードで、喘ぎながら坂道をゆるゆる登っていく。それでも所要時間1分。「クルマ」は広場のウスティカ大聖堂の脇に、何とか無事に到着したのであった。

1E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES②
2E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES③
3E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES④
4E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES⑤
5E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES⑥
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