Wed 160914 余りに具象的な/余りに抽象的な/アラブとビザンチンの融合(シチリア物語6) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 160914 余りに具象的な/余りに抽象的な/アラブとビザンチンの融合(シチリア物語6)

 8月29日、マルトラーナ教会を埋め尽くすモザイク画にすっかり魅了された後は、すぐに続けてそのお隣の「サン・カタルド教会」に入ってみた。2つの教会の入場券をセットで買えば割引がある。教会が2つ、これほどピッタリくっついて並んでいる様子は、それだけでも十分に面白い。

 しかし諸君、隣り同士であっても、教会のあり方は丸っきり真逆である。マルトラーナ教会は「具象的な、あまりに具象的な」とタメイキが出るほど、モザイク・モザイク、またモザイクの世界。キリスト様もマリア様も、神様や精霊や天使に至るまで、具体的な人間の姿で描かれている。

 難しいことを言えば「あれれ、偶像崇拝って、禁止されてませんでしたっけ?」であって、可愛い天使や、ちょい意地悪な表情の聖人や、「そのへんのオニーサマ」「普通のオネエサマ」ふうのマリア様キリスト様がワンサと描かれた教会は、考えてみると面白すぎるである。
サンカタルド
(パレルモ、サン・カタルド教会。1000年前のシチリアを支配したアラブの影響が色濃い)

 偶像たちがワイワイ騒がしい会議でもやっているようなマルトラーナ教会を出て、お隣のサン・カタルド教会に入ると、まさに状況は180°真逆である。打って変わった極端な静謐に、唖然&茫然とするばかりである。

 つまり今度は「抽象的な、あまりに抽象的な」という世界が待っているわけだ。偶像も装飾も一切なし、楽しいモザイク画もなければ、煤けた油絵の1枚も飾られていない。

 静かな祈りの場としては、サン・カタルドのほうが圧倒的に優れている。ガヤガヤみんな楽しく騒いでいるんじゃ、例えそれが天使や聖人たちであっても、まるで学校の休み時間みたいな、カオスというか混沌というか、楽しすぎてマジメに物事を考えられないじゃないか。

 それに対してサン・カタルドは、観光客が口を揃えて「入って損した」と唸りそうであり、ガイドブックへの投書欄なんかで「オカネを払ってまで入る意味はありません」とか、一種の悪口雑言を書かれそうなほど、ホントにホントに何にもない。

 あるとすれば、屋根の上の3つのピンクのお帽子ぐらいか。ならば2.5ユーロを入口で支払うより、外に立って心ゆくまで眺めていればいい。「お帽子」と言ったけれども、実際にはこの3つのお帽子も屋根の一部分をなしている。
サンカタルド内部
(サン・カタルド教会で天井を仰ぎ見る。装飾は一切なし、イスラムの影響が濃厚に残っている)

 建設は1160年ごろから始まった。200年にわたるサラセン人支配のあと、ノルマン人が島全体を制圧した時代である。壁も、天井も、床も、今日の写真の2枚目に示した通り、全て石材が剥き出しのまま。モザイクの「モ」の字もなければ「ザ」の字もない。

 簡素と言えば簡素。静謐と言えば静謐。シーンと静まり返って、自分の心臓の鼓動が聞こえるほどである。寺院とは本来こんな場所であるべきなのだ。「1000年前、間違いなくイスラム教徒がここを支配していたんだな」という強烈な実感がある。

 ただし、やってきた観光客はどんどん去っていく。「来た、見た、去った」である。次の一団も同様に、来て、見て、去っていく。みんな口を尖らして、不満そうにしているか、不思議そうにしているか、そのどちらかである。

 写真を撮る人もほとんどいない。ガランとした空洞、装飾のない剥き出しの壁と天井、そういうものを撮影しても、少なくともブログやツイッターの面白味には貢献しないだろう。

 かくいうワタクシも、さすがにサン・カタルドでは10分ももたなかった。上を見れば天井、中程を見れば壁、下を見れば石の床。それだけの空間で、無宗教な凡人がいったい何を見ればいいんですか?
カテドラル
(パレルモの大聖堂)

 偶像ばかり見慣れて、ざわざわ騒がしい装飾に囲まれていないと、あっという間に困り果てる。逃げ出すように教会から走り出て、「赤い丸屋根は、ハーレムの宦官の帽子をモデルにしたもの」というガイドブックの説明にホッとする。

 具体性の中でしか生きられなくなった駄目オジサンの典型的な姿である。諸君、ホントはこんなことではいかんのだ。具象性を一切排除した静謐の中で思索や祈りに集中できないようでは、きっと人間として失格なのだ。うにゃにゃ、修行も修業もまだまだ足りませんな。

 というわけで今井君は、深く反省しながら次のお寺を目指した。「でも、やっぱりモザイクとか彫刻とか絵画とか、いっぱいあって賑やかなのがいいな」。そういうホンネを剥き出しにして、ひたすらモザイクの天使やキリスト様を求め、ヴィットリオ・エマヌエーレ通りを西進した。

 このあたりには古本屋が立ち並んで、神田神保町と似た雰囲気である。一軒一軒の古本屋にハッキリ個性があって、ヒトクセもフタクセもありそうな難しい顔のオヤジが店の奥で頑張っている。悪くない雰囲気だ。

 その先、進行方向右側に見えてくる大っきなお寺が「カテドラーレ」。ここも歴史が長くて、建設開始は1184年、完成までに600年を要したのだという。

 600年ってアンタ、壇ノ浦で平家が滅亡した頃から建てはじめて、出来上がりは寛政の改革の頃、「白河の清きに魚の住みかねて 元の田沼の濁り恋しき」とか、そんな時代まで延々と建て続けたというのだから、マコトに恐れ入るじゃないか。

 しかもここはシチリア・パレルモだ。その600年は日本とは比較にならない激しいスッタモンダの連続なのである。イスラム勢力が根強く残存しているところへ、北欧からノルマン人が攻め込んでくる。「最盛期のアラブとノルマン文化が融合」。なかなか想像がつかないじゃないか。
パラティーナ礼拝堂
(パラティーナ礼拝堂。再びモザイクの嵐である)

 さらに大通りを西進すると、ノルマン王宮とパラティーナ礼拝堂がある。パラティーナのほうは、パレルモ観光のMust中のMustであって、ここを外せば、「パリに行ったけどエッフェル塔は見なかった」「ロンドンで大英博物館に行かなかった」の類いのヘソ曲がりと見なされる。

 もちろん今井君はおヘソなんか曲がっていたって一向に構わないし、実はそういうヘソ曲がりな行動もしょっちゅうなのだが、せっかく「今回は勤勉なシチリアをやろう」と決意したばかり。危険なほどの炎天下、長い列に並んでチケットを手に入れた。一種の奇跡と言っていい。

「アラブ・ノルマン様式の礼拝堂」ということになっているが、壁も天井もモザイクで徹底的に装飾された状況からは、アラブの影響をほとんど感じない。「あまりに具象的な」のほうであって、キリスト様もマリア様も聖人の皆様も、みんな賑やかにザワザワ語り合っている様子である。

「どこかにアラブの痕跡がないか」と、ふと天井を見上げて気づいたのが、グラナダ・アフハンブラ宮殿を埋め尽くしているのとソックリな、ハチの巣状の幾何学模様である。今日の写真の5枚目がそれ。12世紀中頃に制作されたものである。

 ビザンチンのモザイクと、アルハンブラと同じイスラム文化が、この狭い礼拝堂の中にギュッと詰め込まれているわけだ。そこにノルマン文化も混じりあう。これほどの融合を見れば、間違いなく感激は深いのである。
思い出す
(ハチの巣状の幾何学模様。アルハンブラの思ひ出が蘇る)

 なお、「チケット売り場がわかりづらい」という情報があるが、そんなことは全くなかった。

 まずヴィットリオ・エマヌエーレ大通りを、ヌオーヴァ門まで真っ直ぐに進む。ヌオーヴァ門から100mほどの所で左に緩い弧を描きながら歩いて3分、向こうに長蛇の列を発見したら、それがチケット売り場だ。

 おお、珍しい。役に立つ観光情報も、書こうと思えば書けるのである。普段のワタクシは、そういうことは全て他の人にゆずって、ワザとフザケて役に立たない話ばかりに熱中してみせているのだ。これからも悪しからず、ちっとも役に立たない情報の羅列に付き合ってくれたまえ。

1E(Cd) Bill Evans:GETTING SENTIMENTAL
2E(Cd) George Duke:COOL
3E(Cd) Joe Sample:RAINBOW SEEKER
4E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
5E(Cd) Marc Antoine:MADRID
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