Mon 160815 モンサンミシェルへ(ボルドー春紀行33/第2994回/カウントダウン6) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 160815 モンサンミシェルへ(ボルドー春紀行33/第2994回/カウントダウン6)

 モンサンミシェルとは、「モン/サンミシェル」であって、「モンサン/ミシェル」ではない。何となく後者のほうが収まりがいいような気がするが、モンサンでひと呼吸入れると、Mac君がイタズラをして「紋さんミシェル」みたいな変換で、イヤなツッコミを入れてくる。

「Mont」が山、サンミシェルとは大天使ミカエルのことであって、出来るだけ日本語に訳せば「大天使ミカエル山」なのである。一瞬にして恐ろしげなお山の名前に変わってしまう。

 8世紀初期、ある司教の夢の中に大天使ミカエルが現れ、「あの島に聖堂を建てるのだ」と命ずる。ところが司教は半信半疑で「悪魔のイタズラに違いない」と判断、夢のお告げを信じない。

 ミカエルどんは再び司教の夢に登場。「あの島に聖堂を建てるのだ♨」と繰り返す。またまた司教は信じない。仕方がないからミカエルどんは、3度目の夢に現れた時、司教のヒタイに指を置いて、彼のヒタイに穴をあけちゃう。

 たいへん乱暴な話であるが、ようやく司教はびっくり仰天、「よーし♡聖堂を建てるぞ」と決意。早めに決意すればヒタイに穴なんか空けられなくて済んだのに、むかしむかしの人は多くが猜疑心のカタマリであり、その猜疑心のせいで返っていろんな損をしたのだった。
到着
(はるかなモンサンミシェル、ついに到着)

 そのモンサンミシェルが日本で有名になったのは、今井君の記憶が確かならばつい最近、20世紀後半以降のことだったと思う。もちろんいったん有名になってしまえば、後は急転直下&一気呵成、「日本人でモンサンミシェルを知らない人なんか存在しない」という状況になった。

 1976年の日本イタリア合作映画「ラストコンサート」の冒頭、モンサンミシェルの勇姿がいきなり大映しになる。つい最近、上野樹里どんの吹き替えで新バージョンが出たから、若い諸君も聞いたことはあるはずだ。

 マコトにベタなラブストーリーであって、20歳そこそこの女子と、元ピアニスト・初老の男子が、モンサンミシェル近くの静かな病院で知り合う。何かの原因で夢も希望も失った男子。女子のほうは医師の診断で「余命3ヶ月」という設定になっている。

 その2人がモンサンミシェルからパリまで、バスを乗り継いで旅をするうちに恋におちるのであるが、それ以上のことは書かないでおくから、興味のある諸君はDVDを借りて観るなり、HULUみたいなもんでみるなり、まあ観てみてくれたまえ。冒頭のモンサンミシェルがマコトに印象的である。
水に映る
(ブルターニュの海水にモンサンミシェルの勇姿が映える)

 何で今井君ともあろう中年男がそんな映画を知っているのかといえば、大学4年の5月26日、いつも通り授業をサボって、「早稲田松竹」という古い映画館で観たことがあるからである。2本立てのうちの1本だった。

 2本立てのもう1本は、トマス・ハーディ原作の「テス」。2本合計で5時間。いやはや、シューカツに励まなければならないはずの大学4年男子が、いったい何をやっていたのかと思うが、まあこれが当時の今井君の日常であった。

 どこまでも話がそれていってホントに申し訳ないけれども、20世紀の日本には「名画座」というものがあって、古い映画を2本立てとか3本立てで上映してくれた。2本観て300円、3本観て350円、そういう信じがたい値段設定だったから、フマジメな学生のタマリ場になった。

 当時の今井君は、政治学科の学生だったはずだが、日常はほとんど映画館に入り浸りであって、例えば1週間の時間割は次のようになっていた。

  月:早稲田松竹
  火:飯田橋佳作座
  水:三鷹オスカー
  木:池袋文芸座
  金:渋谷ジャンジャンで演劇
  土:上野の美術館2館(常設展)
  日:竹橋と京橋の美術館2館(常設展)
土日が美術館なのは、映画館が混雑するからで、常設展なら400円あれば十分だった。
逆さモン
(長年の夢だった「逆さモンサンミシェル」が実現)

 こんな日々で、残りは塾講師のバイト。絶対にオススメできない生活であるが、おかげで1年で映画400本、演劇50本、美術館訪問も100回、4年で映画1500本、演劇200本、美術館訪問400回、ミルフィーユみたいに積み上げたら、いつの間にかそういう具合になってしまった。

 それで何か「役に立ちましたか?」「プラスになりましたか?」と質問されれば、「別に♨」と憮然と答えるしかなくて、そのへんはひと昔前の沢尻どんと同じことである。沢尻しか思い出せないのは記憶力減退の印かもしれないが、要するに沢尻、おおそうだ、「エリカ」どんだったわい。

 もちろん「大学4年の5月26日」とか、「2本立てのもう1本は『テス』だった」とハッキリ記憶しているのはさすがである。しかしそこには理由があって、あの夜は22時過ぎに帰宅、すぐに電話があって、4年間親しく付き合ってきた青森出身の友人の、突然の死を伝えられたのである。

 そういう悲しい記憶につながっているので、「ラストコンサート」のモンサンミシェルの勇姿も、やっぱり忘れがたいのである。こんなにたくさん旅しているのに、モンサンミシェルほどの超有名観光地を後回し&後回しにしてきたのも、実はそのへんのことと関係があるのかもしれない。
馬車
(路線バスのバス停から、シャトルバスや馬車が頻繁に走っているが、ここはあくまで徒歩で。次第に近づいてくる勇姿を楽しむほうがいい)

 モンサンミシェルはフランス北西部ブルターニュのサンマロ湾に浮かぶ小島である。この海は潮の満ち干が激しくて、干潮時には沖合およそ20kmまで引いている潮が、満潮になると一気に激流になって押し寄せる。

 むかしは、巡礼にやってきた善男善女が、その激流におおぜい押し流されて命を落とした。たいへん危険な場所であったが、19世紀、島に徒歩で渡れる陸路が建設されて状況が一変した。

 人工の陸路の周辺に、大量の土砂が堆積したのである。堆積は周辺一帯で2mを超え、島まで海水が来ることはほとんどなくなってしまった。島とは名ばかりの陸続きになり、海水に島が映って「逆さ富士」みたいに見える「逆さモンサンミシェル」の絶景も、もはや望み薄になっていた。

 しかし諸君、さすがフランス人じゃないか。21世紀になって、堆積の原因の陸路を撤去。代わりに長い陸橋を建設して土砂の堆積を止めた。今や再び海水が流入し、大潮の時などには「逆さモンサンミシェル」も見られるという。

 4月12日から13日にかけて、ワタクシはパリのホテルに荷物を全て置いたまま、モンサンミシェル近くのホテルに1泊。1泊しなければ楽しめない
 ① 夕暮れのモンサンミシェル
 ② ライトアップされた深夜のモンサンミシェル
 ③ 早朝のモンサンミシェル
以上、「3大レアもの」な大天使ミカエル山を眺めに出かけた。
接近
(ググっと接近する)

 もちろんこういう旅は、長い時間かけてシミジミ行くのがいいのだ。ツアーのバスに乗ったり、レンタカーを借りてすっとばしていけば、高速道路で3〜4時間の道のり。「日帰りで十分だ」ということにもなりかねない。

 しかし大学4年5月26日の友人の死から、気の遠くなるような長い時間を経ての旅である。まだ夜の明けきらないパリ・オペラ座の脇から地下鉄を利用、8号線 ☞ 12号線と乗り継いで、モンパルナスでTGVに乗り換えた。

 そのTGVも、真っ直ぐモンサンミシェルまで行ってはくれない。モンパルナスから2時間ほどの「レンヌ」の駅で、路線バスに乗り換える。途中の濃霧のせいでTGVが10分遅れたため、乗り継ぎ時間は5分しかない。

 TGVの進行方向に長いホームを走り、「北口」の改札を出たらすぐ右に曲がる。駅を出てすぐ、もう一度右折すると、バスターミナルは目の前だ。おお、何とか間に合った。

 後ろから走ってきたインド系のカップルもギリギリで乗せてもらって、ほぼ満員の路線バスは、レンヌ発10時、モンサンミシェル到着11時。いろんな意味で遥かな道のりをはるばるやってきたが、こうして諸君、モンサンミシェルの勇姿が、いよいよ目の前にグングン迫ってきた。

1E(Rc) Collegium Aureum:HAYDN/SYMPHONY No.94 & 103 
2E(Rc) Solti & London:HAYDN/SYMPHONY No.101 & 96
3E(Rc) Collegium Aureum:VIVALDI/チェロ協奏曲集
4E(Rc) Corboz & Lausanne:VIVALDI/GLOLIA・ KYRIE・CREDO
5E(Rc) Elly Ameling & Collegium Aureum:BACH/HOCHZEITS KANTATE & KAFFEE KANTATE
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