Tue 160809 シュールな春の雨の旅/バイヨンヌのジーサマ連(ボルドー春紀行27) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 160809 シュールな春の雨の旅/バイヨンヌのジーサマ連(ボルドー春紀行27)

 この世の中にはシュールな体験が満ち満ちていて、ハムレットは「ホレーショよ」「この世の中にはな…」と親友に向かって慨嘆したものだが、日本にいても世界中を旅していても、今井君にもまた驚きの日々が続く。

 例えば、「横向きに並んで座るTGV」である。4月の雨にボルドーの街が生温かく濡れた土曜日の朝、ワタクシはスペイン国境までズルズル南下するTGVに乗り込んだ。

「ホンキで走れば、日本の新幹線にも負けないよ」。TGV君自身はそう息巻いているが、実際に乗り込んでみると、マコトに20世紀的というか、「チャスラフスカの時代の乗り物」「ずいぶん年をとったね」の感を拭えない。

 4月9日のTGVは、山手線や地下鉄の車両みたいに、乗客が横向きにズラリと並んで座るタイプであった。超高速で走る電車に、横向きに並ぶ。肘掛けもない。もちろんリクライニングもない。

 もし横向きでリクライニングがあったら、それもまたシュールな感じだが、特急料金をビシッと徴収しておいて、リクライニングなし、ガチンガチンに固めた固い座席に2時間半、「ここに座ってなさい」と命令されるわけである。
歌声1
(バイヨンヌで、ジーサマたちの歌声に感激する 1)

 濡れた傘を置く場所もナシ。しかし手ぶらの今井君はまだいいほうで、欧米人独特のドデカいスーツケースを2つも3つも引きずってきた乗客は、もうニッチもサッチもいかないのである。

 荷物置き場ナシ、頭上の棚も物入れもナシ。仕方がないから、膝の前にスーツケースを並べて置く。床は雨に濡れたクツや傘からの滴でドーロドロ。うーん、20世紀の思い出が、床からモワモワ湯気になって立ちのぼる。

 しかも諸君、このTGV、「高速で走れるんだけど、意地でもスピードは出さない」という頑固一徹なヤツである。「能力はあるが♡発揮はしない」「できるけど♡やらない」。この言い訳がましい頑固一徹こそ、TGVの真骨頂なのかもしれない。

 だって悪いのは、線路のほうなのだ。世界最高速で走れる車両なんだけれども、線路のほうがそれに追いつかない。ボルドーからスペイン国境までビスケー湾に沿って走る、そんな田舎の鉄道を高速走行用に整備するカネはない。

「他にもっとすべきことがあるんじゃないでしょうか」。3〜4年前の日本の野党の皆さんもみんな同じようなことを言っていた。田舎の高速道路、田舎の橋、立派なダム、田舎の新幹線。そういうものに使うカネを見直せば、「カネなんかナンボでもある」、そういう話だった。

 あの頃、日本の野党は何故かみんな「み」の字で始まった。「みんなの党」「みんしゅ党」「みどりの風」「未来の党」。偶然の一致だったのか、誰かがこっそりそういうトレンドを作って、「政党は『み』で始めとくとといいよ」みたいなことを言ったのか、その秘密は誰にも分からない。
歌声2
(バイヨンヌで、ジーサマたちの歌声に感激する 2)

 さて、そういうツマラン連想を次から次へと繰り広げながら、雨の田舎道を千鳥足で行く横向きTGVに揺られつつ、今井君は南下を続ける。窓の外は「ランドの森」。ビスケー湾沿いの砂地にどこまでも広がる広大な松林である。

 ランドの森の荒涼とした風景には、4日前にも眺めて茫然とさせられた。茫然としすぎて高熱を出し、ブルブル震えながらボルドーのホテルに退散するはめになった。風景の荒涼に茫然としてカラダをこわすということも、この世の中にはあるのである。

 だから、ご用心。荒涼とした景色は、あんまり気を許して見入ってはいけない。幸いなことに今日のTGVの座席は山手線タイプ。窓を背に、ズラリと並んだ乗客が、通路をはさんで互いのお顔をつくづく眺めながら行くのである。これなら窓の外を見なくて済む。

 ただし、「お互いの顔」というものも、しばらく眺めあっていると、風景以上に荒涼としたものに見えてくる。やりばのないスーツケースをかかえて、怒りのやりばもないのである。
バイヨンヌ1
(バイヨンヌ風景 1)

 手ぶらのワタクシも何となく息苦しくなって、ふと「カヌレでもかじっていこうかな」と考える。カヌレについては、昨日の記事と写真を参照。フランス南西部の銘菓、カステラをガッツリ固めたような大学イモ味のお菓子である。

 こうして、ハムレットでさえビックリ、超シュールな状況ができあがった。2時間半、能力の発揮を拒み続けるTGV。通路をはさんでズラリと並んだ不満顔。口にはカヌレ。不満顔に背を向けて窓の外を見ようにも、そこには高熱の原因となる危険な松林の荒涼。我が人生は、ここで苦境に陥った。

 しかし諸君、どんな苦境に陥っても、「自力で打開するぞ!!」と勇み立つばかりが能力ではない。老練な今井君は「危機が去るのをひたすら待ち続ける」という忍耐力も完備している。

 バイヨンヌまでホンの2時間半じゃないか。カヌレで体力を温存しながら、150分を待てばいいだけだ。確か東大入試でも、英語の制限時間は150分ではなかったか。そう考えれば150分など、覚悟を決めてギュッと目を閉じれば、あっという間に過ぎ去ってしまうじゃないか。

 というわけで、バイヨンヌ到着はちょうどお昼ごろになった。「あれれ、4日前にもバイヨンヌに来ましたよね」であるが、まさにその通り。よほどバイヨンヌが気に入ったみたいであるが、さにあらず、今日のバイヨンヌ訪問は、前回のリベンジなのである。
バイヨンヌ2
(バイヨンヌ風景 2)

 だってそうじゃないか、4日前のバイヨンヌ訪問は、高熱と吐き気のせいで散々なアリサマ、せっかくのランチさえ食べきれずに、ほうほうのていでボルドーに逃げ帰った。ここでリベンジしておかなければ、バイヨンヌの町に申し訳がない。

 バイヨンヌ駅前も、やっぱり雨に濡れていた。ただしずいぶん空は明るくなって、川は濁流と化してはいるが、傘をささずに歩いていけるぐらいの雨である。

 バイヨンヌは、アドゥール川とニーブ川の合流点に位置し、バスク地方の中心都市。土曜のお昼、町のレストランはどこもみんな大盛況、川沿いの1軒のから、男たちの大合唱の声が聞こえた。

 合唱は、地元のジーサマたちのものであった。今日の写真の1枚目と2枚目である。酒を片手にコブシを振り上げつつ、70歳過ぎのジサマたちが声を張り上げている。コトバは、おそらくバスク語。フランス語でないのは間違いない。

 周囲のテーブルのお客も、みんなうれしそうな笑顔でその様子を眺めている。そもそも、こんなふうに盛り上がった陽気なジーサマ集団ほど、楽しい存在があるだろうか。

 重い雨雲は遠ざかり、次第に明るくなっていく空。しぶきのような細かい雨滴を浴びながら、歌い続けるジーサマたち。周囲の客から湧き上がる手拍子。犬たちも興奮して駆け回り、サントマリー大聖堂の鐘まで響きわたれば、まさに絵に描いたような幸福の風景である。
バイヨンヌ3
(バイヨンヌ風景 3)

 ただし、ふとワタクシは寂しくなるのである。自身がジサマになった頃、こうして肩を組みコブシを振り上げて合唱できる仲間がいるのかどうか、はなはだ自信がもてないじゃないか。

 小中学校の友人たち、高校時代の諸君。さすがに秋田を離れて数百年、連絡を取り合っている故郷の仲間はもうほとんどいない。大学なら何とかならないこともなさそうだが、「ジサマになってから」となるとマコトに心許ない。

 目の前のジーサマたちが羨ましくてならない。1つの店から別の店へ、次々と訪れては声を張り上げて故郷の歌を歌い、そのたびに手拍子と喝采をうけ、意気揚々とまた隣りの店に向かう。素晴らしい雨の土曜日なのである。

 寂しくなったワタクシは、サントマリー大聖堂に立ち寄った後、とぼとぼランチのお店に入った。4日前、キツい吐き気のせいで半分も食べきれなかったお店であるが、ま、とりあえずリベンジだけはしておかなきゃならない。

1E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 3/6
2E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 4/6
3E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 5/6
4E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 6/6
5E(Cd) Avner Arad:THE PIANO WORKS OF LEOŠ JANÁĈEK
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