Sat 160806 羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」のこと/ロッシーニを食す(ボルドー春紀行24) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 160806 羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」のこと/ロッシーニを食す(ボルドー春紀行24)

「中世の町」などと書けば、そこいら中の高級なオバサマたちが「あら、ステキねえ」「ぜひ行ってみたいわぁ」と両手を組み合わせ身をよじって、「中世」というコトバだけで熱く感激してしまいそうだ。

 しかし実際の中世は、21世紀の我々から見れば、どう考えても身の毛のよだつ地獄絵図の世界なのである。農村でも町でも、略奪に次ぐ略奪が横行し、小領主は大領主にいいように搾取され、貧民は娘を売り、町には糞尿が溢れた。

 そのアリサマについては、岩波新書の初期の初期、1968年に出版された羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」を参照のこと。ただし諸君、すでにAmazonですら出品者からしか手に入らない。とりあえず図書館に走りたまえ。

 冒頭から約50ページ、延々と中世を罵倒し続ける。その勢いたるや、まさに圧巻であって、「これほど中世の悪口を書き続けるのは、本当は私だって嫌なのである。しかしそれでもやっぱり書き続けなければならない」と、天を仰ぎ熱涙を注ぎながら、地獄の中世に生きた人々の苦難をひたすら慨嘆してみせる。
ラ・ボエシ
(サルラ「ラ・ボエシの家」。モンテーニュと親交のあったヒトで、この家はルネサンス期のもの)

 ついでに諸君、彼がこの本を執筆していたのは、前回の東京オリンピックからメキシコオリンピックの時代であるが、その頃の日本人が読み書きしていた物凄い日本語にも、是非とも触れていただきたい。

 新書ですら、数ページにわたって段落分けがない。80行でも100行でも一切の段落分けを拒絶して、延々と中世を罵倒し続ける。同じ内容の罵倒が続くんだから、確かに段落分けは必要ないわけだが、とにかくページはどこまでいってもギュッと活字だらけであって、白いスペースなんかちっとも見当たらない。

 それに比べて、今や大学入試の英語ですら、30行か40行を超えれば「長文」と呼ばれる時代。SNSなんか「うぜ」とか「わかったぴょーん」とか「リョーカイ」とか、吐息かタメイキ程度のコミュニケーションの世界。「了解」もメンドーだから「りょ」で済ますヒトもいるそうじゃないか。

 確かに、羽仁五郎から50年もの歳月が過ぎた。東京オリンピックだって、まもなく第2回を迎えようとしている。文章というものがどれほど変質しても、驚くには当たらないのかもしれない。
ミランドル
(サルラでのランチに選んだ「Auberge Le Mirandol」。この店以外には、ほとんど客が見当たらなかった)

 しかし、ワンセンテンスが10行超になることも珍しくなく、どこまでが主部でどこからが述部なのか、どの修飾節がどの語を修飾するのか、その判断さえ難しいこういう文章を読むと、やっぱり昭和文化圏に属する今井君なんかの慨嘆は大きいのである。

 ついでに言えば、昭和人間♡今井君も、すでに8年にわたってこのブログを書き続けながら、ずいぶん21世紀的になってきた。最初の頃は、羽仁五郎なみとは言わないまでも、数十行にわたって段落分けナシという日もあったし、ワンセンテンス10数行なんてもやった。

 段落と段落の間も全部くっつけたままだったから、目に入る画面全体が全て文字。平成生まれの諸君や、21世紀に生まれたヒトビトにとって、さぞかし読みにくい文章だったに違いない。それが今や、段落分けごとにスペースを1行空けるほどの読者サービスを展開している。うーん、日々成長のクマ助である。

 そういう古くさい昭和人間♡イマイが、「フランス中世の町サルラ」に迷い込んだわけだから、町の空気を肺の奥深くまで吸い込んだだけで、ユンケル3本グイッと飲み込んだイチロー選手よろしく、両眼ギラギラ熱く輝きはじめた。13世紀から14世紀、サルラはこの地域の商業の中心であった。
天井
(Auberge le Mirandol店内。天井もなかなか重厚な作りである)

 長い中世には、陰険な搾取と略奪と、病と糞尿と悪臭が支配したであろう狭い街路であるが、もちろん近代化の波が押し寄せてすでに数百年が経過。土曜日ごとに立つ朝市と、フォアグラの生産で名高い町である。

 だからサルラを訪れるなら、朝市で賑やかな土曜日にすべきなのかもしれない。人気の朝市は、足の踏み場もないほどの雑踏なのだという。それこそ「中世のカホリ」を胸いっぱいに吸い込もうとするなら、土曜日の朝市に勝るものはない。

 しかし何度も言う通り、「中世のカホリ」などというものは、羽仁五郎に指摘されるまでもなく、ロクでもないカホリに過ぎないのである。むしろ土曜日以外の、穏やかに静まり返った日のほうがいい。祭りの日よりも、普段着の町が好きなのでござる。
ロッシーニ
(Auberge le Mirandolのロッシーニ。おいしゅーございました)

 ま、そのへんはマコトに贅沢な話なので、観光業もサルラの産業の柱の一つである以上、観光客もそれなりに目にはつくのである。4月初旬、フランスの山の中はまだ寒いから、分厚いジャンパー姿のオジサマ&オバサマでいっぱいであった。

 とにかくフォアグラを食べなきゃ、サルラに来たことにならない。確かにワタクシは高価な珍味はキライ(昨日の記事参照)。トリュフのヒラヒラ、キャビアのネトネト、フォアグラのモソモソ、全て食指は動かないが、フォアグラなら、熱を加えてギュッとソテーしてもらえば、まあ何とかなるのである。

 牛フィレステーキに、ソテーしたフォアグラを乗っけると、「ロッシーニ」と呼ぶんだそうな。トリュフ君も参加している。ロッシーニは、もちろん「セビリアの理髪師」「ウィルヘルム・テル」の作曲家だが、彼は食べるのも料理するのも大好き。こういう料理を工夫して、グルメ界にも名を残した。

 ワタクシはグルメな世界にはマコトに疎い人間であるから、ついこの間、バルセロナのレストラン「ロッシーニ」でロッシーニを試してみるまで、ロッシーニというものの存在も知らなかった。

 バルセロナで食したロッシーニにも首をひねり、「何だこりゃ」「こりゃダメだ」と一口でダメ出しをしたほど、味覚は鈍感と来ている。今回のサルラでも、ランチにロッシーニを試すかどうか、まあ最後までウジウジ迷っていた。
ワイン
(サルラで飲んだ赤ワイン。たいへんおいしゅーございました)

 数軒しかレストランのないサルラ旧市街で、ワタクシが選んだ店は「オーベルジュ・ル・ミランドール」。別に積極的にこの店を選んだのではなくて、他の店が完全にガーラガラ、ホントに一人もお客がいない様子だったのに対し、「ミランドール」だけは数人のお客がすでに存在したのである。仲間がいないと、やっぱり寂しすぎる。

 お店の奥には、原始時代の洞窟が残っている。何しろサルラは「ラスコーの洞窟」のすぐ近く。山を1つだか2つだか越えていけば、原始の壁画で世界中知らぬ者のないラスコー洞窟に至る。

 人類の文明の夜明けとなったこの場所で、ロッシーニの工夫した名物料理を食する。野蛮なクマ助なんかには、過ぎた名誉と言っていい。天井には中世の民家で使用された太い木材が何本も走り、長い歴史を感じさせる名店である。

 町の近くには有名ワイン・シャトーも林立している。ランチだけれども、礼儀として赤ワイン1本は空けなきゃいかん。「グラスで」なんてのはもってのほか、意地でもボトル1本でなきゃいかんだろう。

 奮発して、ランチメニューにあった一番高いワインを注文。ウェイトレスはたいへんうれしそうな顔をしてくれたが、しかしワイン通の方々が見れば、マコトに平凡な1本であるらしい。

 一方のロッシーニであるが、キライだったフォアグラ君、あんた意外に旨いじゃないか。フィレ肉クンはもちろん大好物だから、一気にワシワシ貪ってしまったが、フィレ肉クンの背中にチンマリ乗っかってカラ威張りしている様子のフォアグラ君にも、サルラのワタクシは十分に舌鼓を打ったのである。おいしゅーございました。
 
1E(Cd) Miolin:RAVEL/WORKS TRANSCRIBED FOR 10-STRINGED & ALTO GUITAR
2E(Cd) Queffélec:RAVEL/PIANO WORKS 1/2
3E(Cd) Queffélec:RAVEL/PIANO WORKS 2/2
4E(Cd) Martinon:IBERT/ESCALES
5E(Cd) Bruns & Ishay:FAURÉ/L’ŒUVRE POUR VIOLONCELLE
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