Sun 160724 ひめゆりの塔にお参り/嘉手納高の大健闘/ソーキそば/ブログ更新の危機 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 160724 ひめゆりの塔にお参り/嘉手納高の大健闘/ソーキそば/ブログ更新の危機

 こんなふうにして、8月10日から12日に至る沖縄の旅は終わるのである(スミマセン、昨日の続きです)。仕事は11日夕暮れの浦添市の1回だけだったが、最終日のヒコーキも那覇20時半、羽田着23時過ぎの最終便にしたおかげで、まるまる3日の沖縄の夏旅はマコトに充実したものになった。

 今まで書かなかったが、この3日間のうちに「ひめゆりの塔」にもお参りした。70年前の悲劇を考えれば、ひめゆりの塔参拝は本来6月中にすべきなのかもしれないが、8月6日広島・8月9日長崎と8月15日に挟まれたこの時期に沖縄を訪問したのなら、このお参りはどうしても欠かせない。

 沖縄師範学校女子部と、沖縄県立第一高等女学校の生徒、合計222名。職員18名を含めて240名の悲劇は、読者諸君もよくご存知のはずである。沖縄県・南風原の陸軍病院に、看護要員として従軍した若い人々の凄惨な夏の日々を、ここで改めて詳述するには、筆者は余りにも非力である。
ひめゆりの塔
(ひめゆりの塔にお参りする)

 ちょうどワタクシが訪れた日に、高校の先生方の研修会がここで開催されていた。ひめゆりの女生徒たちには、18名の先生方が付き添っていたのだ。その多くが20歳代と30歳代だったのである。若い教師として、18名の先生の悲劇から学ぶことは多いはずだ。

 悲劇の直前、音楽室のピアノでベートーベンの「月光」を演奏した東風平先生は、生徒たちが卒業式で歌うはずだった「別れの曲」の作曲者でもある。21世紀の先生方にも、「ひめゆり平和祈念資料館」で開催中の特別展「ひめゆり学徒隊の引率教師たち」を目撃していただきたい。

 特別展は、2017年03月31日まで、09:00~17:00。修学旅行で沖縄を訪れるなら、先生方にとってこの特別展観覧は必須。21世紀生まれの生徒諸君とともに特別展を回りつつ、自らの立場から戦争の悲惨を直視すべきだと信じる。

 悲劇の日々を経て、亡くなったのは123人の生徒と13人の教師。奇跡的に生き残った先生と生徒は、戦後の日本をどう生き抜いたのか。いま20歳代から30歳代の先生は、1970年代から80年代生まれであって、当時の生徒の孫の世代。特別展で学ぶことはマコトに多いと思う。
第3外科壕
(陸軍病院 第三外科壕あと)

 ひめゆりの塔へのお参りは、沖縄訪問の初日、ホテルにチェックインした直後に済ませた。しかし、「食糧は1日にオムスビ1個」「やがてピンポン球程度の大きさのオムスビになっていきました」という彼女たちの悲惨な日々を、今井独特の自由奔放な日々と並べて書くわけにはいかなかったのだ。

 真夏の沖縄を去る日も、テレビはひたすら高校野球。久米島からのフェリーのテレビでも、泊港から空港に向かうタクシーのラジオでも、白熱した高校野球中継が流れ続けた。戦後70年、日本はすっかり平和になったのである。

 今井君が熱く応援していた沖縄代表・県立嘉手納高校も、大健闘むなしく3回戦で敗れ去った。高知代表・明徳義塾に13—6。確かに大差で敗れはしたが、8回裏に6連続安打。一気に4点を奪って甲子園ファンを異様なほどの熱狂に誘い込んだ。素晴らしい試合だったと思う。
外科壕
(ひめゆりの塔のそばで。あまりの悲惨さに絶句する)

 さて今井君は、5日後が心配なのである。高校野球の熱戦に沸き、福原愛のチーム愛に熱い涙を流す日々。ホントに冗談じゃなくて、お目目がヤケドしそうな毎日である。しかし諸君、全ては5日後にピタッと終わってしまう。

 高校野球は、あと3日。オリンピックは、あと5日。その後は全てが平常に戻って、日本中がシーンと静まり返る。パラリンピックが始まるまで、とにかく全てが静まり返って、あんなに楽しみだった夏休みも、シュルシュル音を立てて収縮していく。

 残るのは、やり残した宿題への後悔ばかり。「やり残した宿題」には、いろいろな種類や様々な次元あって、それこそ「自由研究まだやってない」もあるだろうし、「彼女にまだコクってない」みたいなコマっちゃくれた話もあるだろう。「虫歯がそのまんま」なんてのもあるに違いない。

 その意味では、今井君は「夏にやり残したことなんか1つもない」と断言できる幸福なクマである。授業収録も8種類カンペキ。河口湖合宿も、カンペキどころか200%。公開授業も満足度200%で約40回、夏巡業が始まった6月の頃のことは、もう十分に「まんが日本昔話」の世界である。

 沖縄の旅の締めくくりに、空港のお蕎麦屋さん「たぬき」で「沖縄ソーキそばセット」もすすった。とにかくいつでもやるべきことは全部やっとかなきゃ、悔いが残るじゃないか。
津堅島
(上空からの津堅島。これでツケンジマと読む。一度ぜひ訪ねてみたい)

 昨日の写真の5枚目を見てくれたまえ。コラーゲンたっぷりのデカいお肉が3個も入り、ソーキそばも絶品。「ジューシー」炊き込み御飯も、マコトにおいしゅーございました。これによーく冷えたオリオンビールが加われば、もうヒトコトも文句なんかないのである。

 ただし、店のオバチャンたちがちょっと不機嫌だった。お盆の直前、沖縄の空港はおそらく目いっぱいの大混雑だっただろう。すでに時計は19時に近い。閉店直前のオバチャンたちが若干不機嫌でも、まあ致し方ないかもしれない。

 ただしここで、那覇空港の今井君がブログ更新の危機に直面していたことも記録しておかなければならない。2012年6月27日以降、現在ブログの連続更新記録は4年1ヶ月を超えている。その記録があわや途切れるかもしれないという危機に立たされていたのだ。
海
(今回の沖縄の旅は、これで終わりである)

 そりゃ諸君、3行か4行の文章を写真にくっつけて紙芝居みたいに解説するブログなら、誰でもあっという間に更新継続は可能。しかし今井君には今井君の美学と審美眼があって、ブログを始めて8年、意地でも文章のクオリティを確保し、文章優先のブログを10年書き続けようと努力を続けてきた。

 ソーキそば完食の段階で、すでに時計は19時に近い。ヒコーキの搭乗時刻は20時10分。那覇空港にはダイアモンドラウンジがあって、そのデスクにかじりついてカタカタ文章を書くのであるが、60分ちょいでいつものキチンとした分量を確保できるかどうか。

 文章だけではない。写真だってアップしなきゃいけないし、写真にはそれぞれ1行の説明をつけたい。それもワタクシの美学&審美眼。そうだそうだ、ブログのタイトルだって、出来るだけ凝ったものにしたいし、ブザマなタイプミスも修正しなくちゃいかん。

 以上が、危機の正体。ほとんど全ての原因は、① フェリーの遅れ ② 那覇の道路の渋滞、その2点に集約される。フェリーの遅れは、往路45分、復路35分。合計で1時間半近く遅れたんじゃ、そりゃ今井ブログが危機に陥るのも当たり前だ。

 夕暮れの那覇市内の渋滞もヒドい。今回の那覇滞在で利用したタクシーの運転手さん9人が、口を揃えてコボしていた。特に夕暮れの那覇・国際通りの周囲はたいへんだ。誰かがタップリ努力して、早急に改善する必要がありそうだ。

 それでも何とか危機を乗り越え、20時20分、予定のヒコーキに搭乗。那覇の離陸が15分遅れて、羽田到着は20分遅れ。この日は羽田でもいろいろあったのだが、詳細はまた明日の記事に書くことにしたい。

1E(Cd) Wigglesworth & Netherland radio:SHOSTAKOVICH/SYMPHONY No.4
2E(Cd) Mravinsky & Leningrad:SHOSTAKOVICH/SYMPHONY No.5
3E(Cd) Maggini String Quartet:ELGAR/STRING QUARTET in E MINOR & PIANO QUINTET in A MINOR
4E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN⑤
5E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN⑥
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