Thu 160721 さて、久米島に行こう/焦げ茶ズンボの故事来歴/少しずつ断捨離が進む | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 160721 さて、久米島に行こう/焦げ茶ズンボの故事来歴/少しずつ断捨離が進む

 予備校のスーパー大先輩というか、ワタクシが自分で勝手に「師匠」と決めているある大先生に、「紳士と言ふものは、人前に出る時は必ずスーツ姿でなければならない」と教えられたことがある。スーツ以外で人前に出た瞬間、紳士の資格を放棄することになるというのである。

 それどころか、その大先生は「上着を脱いではならない」とまで喝破した。ワイシャツとは本来は下着の一種であって、女性もおおぜい出席している講演や授業で上着を脱ぐなんてのは、「紳士の風上にもおけぬ下品な行動である」とおっしゃるのであった。

 青年時代のワタクシが大きな影響を受けた先生であるから、ずいぶん無理してこの教えを遵守しようとしてきた。「真夏でも上着を脱いではならない」のほうは20年前にさすがに諦めたが、「スーツでなければ人前に出ない」のほうは、いまだにほぼ遵守を続けている。

 その方針は収録授業でも公開授業でも変わらないので、CMでも何でも、今井君がスーツ姿以外で公の場に出ることは2つの例外を除いてありえない。例外のうちの1つが「河口湖合宿」。だからこそこのブログでも「Tシャツで人前に出た」ことをずいぶん物凄いことのように写真まで掲載して示すのである。
渡嘉敷島あたり
(久米島に向かう船の左舷から、渡嘉敷島あたりの海を望む)

 もう1つの例外が、沖縄での公開授業である。せっかく沖縄まで飛んできたら、目いっぱい観光もしたい。久高島なら自転車で一周したいし、西表島なら水牛の引くクルマに乗って浅瀬を横断したい。そういう旅をするのに「スーツ」はさすがにツラいじゃないか。

「ツラい」というより、むしろ他の人をビックリさせてしまう。沖縄の夏は、「かりゆし」が正装。観光客のほうは、上品な初老の紳士でもTシャツに半ズボンである。

 オジサマたちの半ズンボは、似合わないというか、違和感のカタマリというか、あんまり違和感を強烈に漂わせているので、かえって可哀そうである。スーツを着せられた七五三の男子と、初老のオジサマの半ズンボ。可哀そうな違和感は、ほとんど相似形と言っていい。

 しかし諸君、そういう観光客集団の中に、いきなりイカツイ今井君がスーツ姿で闖入してみたまえ。さすがにみんな唖然&茫然、小さなコドモなんか、あんまりコワくて泣き出してしまいかねない。

 そこで沖縄の今井君は、「ワイシャツとズンボ」、ホンの少しだけくだけたカッコをしたいのである。ワイシャツにネクタイを結べば、まあ何とか正装にはなる。講師が紳士であることに厳しかったあの大先生だって、何とか許してくれそうだ。

 そこで登場したのが、昨日の写真の「焦げ茶のズンボ」だ。20年前、「どうすんだい?(仮名)」から「ぜみぎヨヨナール(仮名)」に移籍した直後に、世田谷区梅が丘「紳士服のコナカ」で購入した。
フェリー琉球
(フェリー琉球。那覇から久米島まで、時刻表によれば、3時間半の旅である)

 アントキノイマイ君の突然の移籍は、予備校の世界では大きな出来事だったし♡、そのぶん周囲の注目も浴びていたから、ワタクシ自身の緊張もかなり大きかった。「どうしても失敗できないな」という緊張の強烈さは、移籍を経験したヒトでなければ分からない。

 だって、「どうすんだい?」で人気沸騰の状況だった講師が、「ぜみぎヨヨナール」に移籍した途端にシュンとしぼんでしまったんじゃ、何だか古巣に申し訳ない。とりあえず服装から整えることにした。

 そこで諸君、今井君は梅が丘の「コナカ」でジャケットやズンボを買いまくったのである。おお、買った&買った。ジャケット20着、ズンボ20着。服を買うのが苦手なワタクシとしては、「一世一代」みたいに張り切って、「コナカ」従業員のオニーサマがビックリするぐらい買いまくった。

 ただしそういう行動は、当時マコトに景気のよかった「ぜみぎヨヨナール」ないし「佐々木ゼミ」の講師たちから見れば、ダサいもダサい、ダサすぎて話にもならない、窮極的にダサい行動だったのである。
焦げ茶君
(焦げ茶ズンボの今井君 @ 沖縄県浦添)

 アントキノ今井は「コナカ」に全てを賭けたのである。しかし同じころ「佐々木ゼミ」の先生方には、「数百万円のスーツ、数百万円のクツ、そういうのが常識」という恐るべき生活をしているオカタも珍しくなかった。

「オレのクツはよー、世界に2足だけなんだー。1000万円。ホントだぜ、マジでー。おー」。エレベーターの中で、そういう会話に花が咲いた。今井君はションボリしているしかなかった。

 西新宿の高級ホテルの部屋を1年単位で借り切って、ついでに部屋のリフォームまでしちゃった人もいた。最高級ベンツにレンジローバー、ポルシェからフェラーリ、そういうクルマを乗り回すのは当たり前。国産車だと「何で?」と不思議がられた。

 そういう世界に闖入していく時に「コナカでオトナ買いしたジャケットとズンボ」なんてのは、要するに「噴飯もの」の扱いを受け、土俵の外にポイ!!と投げ出される類い。「新しく移籍してきた鳴り物入りの英語のセンセは、そういう人らしいぜ」と授業で言われ、ずいぶん笑われていたらしい。

 ただし諸君、いったん授業が始まってしまえば、そこはさすがに今井君だ♡ あっという間に、2ヶ月もかからず、5月にはもう「四天王」の一角を担うところまで突き進んだ♡ ケロロ、マンガ的に言えば「瞬殺」。ズンボがどんなにダサかろうと、ワタクシは絶対に負けはしないのだ。
フェリー渡嘉敷
(那覇・泊港に停泊する「フェリーとかしき」。渡嘉敷島までなら、フェリーでも1時間、高速船なら30分で行ける)

 その予備校で8年もお仕事をするうちに、今井君もさすがに贅沢になった。スーツはZEGNAになり、革靴はCHURCHになり、ワイシャツもやっぱりZEGNA、腕の時計だってULYSSE NARDINだのIWCだの、いやはや、周囲の影響はマコトに強烈である。

 その流れで、あの時「コナカ」でオトナ買いしたジャケットやズンボは、タンスの隅で20年間、長い&長い眠りを強いられることになった。1997年3月、佐々木ゼミ(仮)移籍を機に埼玉県鷲宮から下北沢に移転。オトナ買いはその直後のことであった。

 しかし、外国を旅行する時を中心に、ワタクシはあの時のズンボ君やジャケット君に声をかけてみるのである。「どうしてる?」「まだ大丈夫かい?」「生きてたかい?」「2週間ほど、海外に付きあってくれないか?」。そういうことである。

 6年前、「ブダペスト・ウィーン・プラハ。付き合ってくれないか?」と声をかけたズンボは、もうとっくに断捨離の対象になった。ウェスト91cm。太っていた頃だったからマコトに重宝したが、毛玉がウントコサついて、間もなく破れてしまった。
夏の雲
(久米島まで3時間半、東シナ海の真夏の風景を満喫する)

 この3〜4年は、コナカの黒い夏ズンボが大活躍した。
「マルセイユ、行ってこようぜ」
「マルセイユからヴェネツィアに、日帰り旅もしちゃおうぜ」
「2年連続でマルセイユ。また一緒に行ってくれないか?」
大活躍の黒ズンボだったが、黒い生地が太陽の熱をメッタヤタラに吸収するのだけが欠点だった。

「真冬のベルリンだけど、ヒートテックのパッチ君と協力して、ドイツの寒さからボクを守ってくれたまえ」
ホントに可愛いヤツだったが、クリーニングを繰り返すうちに色落ちして、黒い地に灰色のシマシマが目立つようになった。今年5月に断捨離を決めた。

 こうして諸君、あの黒ズンボ君が亡き後、タンスの隅から登場をお願いしたのが、今回の焦げ茶ズンボである。こうやって長い長い故事来歴を披露すれば、ダサさにもダサいなりの濃厚な味を感じてもらえると信じる。

 8月12日、ワイシャツの腕をまくり、歴史ある焦げ茶ズンボを颯爽と着こなして、夏の今井クマ助は二日酔い状態ではあるが、いよいよ久米島に向かって旅立つのである。那覇からフェリーで3時間半。幸い天候に恵まれ、沖縄の夏空に真っ白な綿雲が整然と並んでいた。

 日差しは焼けつくようであるが、船が動き出せば南の海風が心地よい。甲板の上で数十分間、太陽に照らされてヤセ我慢ぐらいは出来そうである。観光シーズン真っただ中の沖縄、さすがにフェリーは超満員で、ゆっくり座れる咳なんか1つも見当たらないのであった。

1E(Cd) Sinopoli・Jarvi・Pletnev:RUSSIAN FAMOUS ORCHESTRAL WORKS
2E(Cd) Minin & The State Moscow Chamber Choir:RUSSIAN FOLK SONGS
3E(Cd) John Coltrane:IMPRESSIONS
4E(Cd) Maria Del Mar Bonet:CAVALL DE FOC
5E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN⑤
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