Sun 160515 ふと、諏訪湖へ あずさ17号 太宰治「八十八夜」 片倉館の千人風呂 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 160515 ふと、諏訪湖へ あずさ17号 太宰治「八十八夜」 片倉館の千人風呂

 マコトに唐突で申し訳ないが、ふと長野県の上諏訪温泉を訪ねたくなり、昼過ぎの新宿駅から松本ゆきの特急「あずさ17号」に乗り込んだ。東京はいかにも梅雨らしい霧雨であった。

 本来、自由な人間の行動というものは、唐突であるのがその本質であって、「申し訳ない」などといちいち謝罪する必要なんかないのであるが、もしそんなことを言うなら、読者のほうだってその謝罪を読まなきゃいけない義務はないはずだ。まあ「お互い様」ということでいいじゃないか。

 昭和の昔、「狩人」という男子デュオが歌番組を席巻した。竜真知子作詞、都倉俊一作曲、「あずさ2号」。この曲のせいで、新宿から「あずさ」「スーパーあずさ」に乗り込むヒトは、21世紀の今になってなお、必ずその歌詞を心で絶叫しなきゃイケナイことになっている。

「8時ちょうどの『あずさ2号』で、ワタシは、ワタシは、アンナタから、ハッ、タビダチーますぅ~~~♨」というわけであるが、いやはや昭和の昔には、新宿から中央本線の特急に乗り込む程度のことで、まるで世界の果てに旅立つような物凄い決心が必要だったらしい。
上諏訪駅
(1時ちょうどの「あずさ17号」で。上諏訪にたどり着いた)

 その歌詞を顧みるに、
「サヨナラはいつまで経っても、とても言えそうにありません」
「ワタシにとってアナタは今も、まぶしい1つの青春なんです」
ときて、いきなり「8時ちょうどの『あずさ2号』で」(中略)「ハッ、タビダチーますぅ~~~♨」と来る。

 すると何と彼女は、キチンと「サヨナラ」を宣言することなしに、黙って彼氏から旅立っちゃったことになる。しかもその旅の出発点は、上野駅でも東京駅でも、羽田空港でも成田空港でもなくて、あの騒然とした新宿駅。旅立った先は、諏訪湖周辺か松本市付近に過ぎない。

 うーん、この行動、中途半端すぎて、彼女の行動の真意がどうも怪しい。「ワタシはワタシはアナタから旅立ちますぅ~」と、不気味な唸り声を響かせている割に、その旅立ちにはむしろ熱い手招きを感じるのである。

 より正確に言えば、「怪しい手招き」というか「まだそばにいます」「追いかけてきてください」「まだ間に合います」みたいな、普通に言えば「未練」、悪く言えば「悪あがき」ないし「執念」。今井君の読解力は、彼女の別れのコトバから糸を引いて伸びる釣り糸のようなものを読み取るのであった。
あずさ
(あずさ17号の車内。こんなに明るい車内じゃ、一世一代の別れの決意も難しそうだ)

 ま、そんなことはどうでもいいので、12時半の新宿駅KIOSKで購入したのは、焼酎のウーロン茶割を1缶と「おつまみ3点セット」。チー鱈とサラミソーセージとチーズが小袋3つに分けて詰め込まれている。停車駅は、立川・八王子・甲府・韮崎・小淵沢・茅野。上諏訪まで2時間20分の道のりだ。

 唐突にこんな日帰り旅を思いついたのは、太宰治どんの影響である。このところ、30年も前に購入した太宰治の個人全集10巻の再読を進めていて、最初の心中や最初の薬物中毒から立ち直った、太宰31歳頃の作品を精読する日々である。

 太宰が甲府に住み、野良犬との親交を深め、やがて三鷹に転居し、堅実に執筆を続けながらも、あまりに堅実な日々の生活に、再び苛立ちが募り始める頃の作品群である。日々の暮らしのスキマ&スキマに、聖母マリア様への憧れが顔を覗かせる。

「俗天使」というタイトルの作品もあるが、平凡な日常に立ち現れるごく普通の女性たちに、すがるべきマリア像を見るのである。荻窪のラーメン屋や三鷹の寿司屋の店員さん。甲府の鄙びた温泉で出会った床屋の娘。三鷹の自宅に現れた女盗賊。新人女優や、架空の女学生。マリア願望は、なかなか執拗である。
片倉館
(諏訪湖畔、国の重要文化財「片倉館」。この中に「千人風呂」がある)

 その時期の太宰に「八十八夜」という作品があって、主人公の作家「笠井さん」は、ふと上諏訪温泉を訪ねたいと思い立つ。笠井はもちろんKASAIであって、KASAIとDAZAI、こんなにキレイに韻を踏まれれば、どんなに太宰が嫌がっても、「モデルは本人」と前提せずにはいられない。

 この作品の中に、マリア像が2人現れる。上諏訪温泉で馴染みの旅館の仲居サンと、同じ旅館の新人従業員と思われる17歳か18歳の少女である。

「八十八夜」では、「一寸先しか見えない薄闇の中、もう3年も4年も手探りで進んできた」「しかしもう限界だ」と、トボケた口調で述懐する主人公KASAIさんことおそらくDAZAIさんが、中央本線の列車で上諏訪温泉を目指す。どうしてもあの仲居サンに会いたいのである。

 しかしその旅程は、2重にも3重にも屈折していて、真っ直ぐに上諏訪温泉を訪ねない。上諏訪より一駅先の下諏訪まで行き、そこからいろんな紆余曲折があって、やっと上諏訪にたどり着いた。そういうふうにしたくて、あえて下諏訪で列車を降りる。

 詳しくは、諸君自身で読んでくれたまえ。というか、IMAI君の誘導が余りに巧みだから、よほどヒネくれていない限り、諸君のほとんどがKASAIとDAZAIと「八十八夜」に深い興味を居抱いてくれたものと確信する。
タオルの湯のみ
(片倉館「千人風呂」の休憩室にて)

 作品の執筆は、昭和12年ごろ。下諏訪駅には温泉旅館の番頭が5~6人、それぞれ宿屋の旗を片手に客引きをしている。2016年、作品からすでに80年が経過して、上諏訪駅の周辺には、宿屋の番頭は愚か、ごく普通の市民の姿もほとんどない。

 まさに「何しにきたの?」という表六玉もいいところであって、太宰の作品の中では車窓に見え隠れする甲斐駒ケ岳も八ヶ岳も、梅雨の重苦しい雨雲の陰に隠れて、車窓だってちっとも面白くなかった。

 上諏訪駅から諏訪湖方面に向かい、イヤというほど閑散とした地方都市を横切って、今井君は「千人風呂」で有名な「片倉館」を目指す。諏訪湖畔も梅雨の重苦しい曇天。お風呂にでも入んなきゃ、小旅行もちっとも楽しくないじゃないか。

 片倉館は、おお、何と国の重要文化財である。昭和3年竣工、日本の輸出総額の約4割が絹製品であった時代である。「シルクエンペラー」と称された片倉財閥の二代目・片倉兼太郎は、大正11年~12年にかけて、北米 ☞ 中南米 ☞ ヨーロッパを回る視察旅行を敢行した。

 その旅の途上、ヨーロッパの農村に充実した厚生施設が整っていることに感激。日本にも同様の施設を提供したいと一族に図り、地元の信州・上諏訪にこの「片倉館」を建設するに至った。
ポスターより
(広々とした「千人風呂」。片倉館のポスターより)

 諸君、諏訪湖を訪れる機会があったら、是非とも片倉館を訪ねてみたまえ。深さ1メートル強の湯舟に豊富なお湯が溢れ、41℃のやや熱めの湯に浸れば、約5分で全身から汗がほとばしり出る。いやはや爽快、15分の入浴で全身から毒素が抜け、3時間経過してもまだカラダの芯から温もりが消えない。

 湯舟の底には黒い玉砂利が敷き詰められ、広い湯舟をぐるぐる歩き回れば、足の裏への刺激もまた爽快である。湯上がりには、コーヒー牛乳・フルーツ牛乳・瓶のコカコーラ・冷たいビアも完備している。

 まさにテルマエ・ロマエの世界であって、実際「テルマエ・ロマエ2」には、片倉館の卓球場が登場するらしい。湯上がりのワタクシは、ビアと枝豆でこの世の最高の幸福を噛みしめた。「イナゴの佃煮」なんてのもある。IMAI君は遠慮したが、その類いがお好きなヒトには最高のアトラクションだろう。

 この日の夕暮れは、修学旅行の中学生集団が入浴にやってきた。いやはや、中年や中高年の楽しみの場に、何も中学生が大挙して来なくてもよさそうなものだが、ま、みんな平等の「千人風呂」なんだから、中学生の襲来を拒む理由も権利もない。潔く、とっとと湯舟を退散するだけのことである。

1E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN SYMPHONIES⑤
2E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN SYMPHONIES⑥
3E(Cd) Marc Antoine:MADRID
4E(Cd) Brian McKnight:BACK AT ONE
5E(Cd) George Duke:COOL
total m75 y843 d18548