Fri 160422 楡家の人々 美食の街なのか スタンダードこそ鍵なのだ(ボルドー春紀行6) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 160422 楡家の人々 美食の街なのか スタンダードこそ鍵なのだ(ボルドー春紀行6)

 三島由紀夫が「戦後日本の小説の中で最も重要なもののうちの1つ」と絶讃した作品がある。北杜夫「楡家の人々」である。1962年から1964年の作品。「さあ東京オリンピックだ♡」のころだ。国民みんなが「ウントコ&ドッコイショ」とラストスパートにかかっていた時期である。

 三島の称賛はさらに続いて、「不健全な観念性を脱却した巨大な作品」「我々が出現を夢想だにしなかった小説」とまで書いている。北杜夫のパパはもちろん斎藤茂吉どんであって、精神科の大病院を営む斉藤家をモデルに、家族の隆盛と没落を描いた大長編。分厚い新潮文庫で2冊もある。

 時間軸のほうも、大正初期から太平洋戦争の終戦後まで。これを読破するのはなかなか大変であるが、まあ三島どんが称賛を惜しまなかった作品だ。チャレンジしてみるのもいいだろう。

 まだコドモだった頃、秋田のオウチの本棚にドカンと分厚い「北杜夫集」が存在するのは知っていたが、余りの分厚さにさすがの今井君も思わず読むのを躊躇していた。しかし1972年、今度は札幌冬季オリンピックの年に、NHKが「銀河テレビ小説」でドラマ化してくれたのである。

 朝ドラの夜バージョンであって、21時40分から毎晩20分間。軽い気分で見られる連続ドラマであったが、さすがにこんな長いタイムスパンを扱うんだから、4月から6月まで3ヶ月もかかった。
牡蠣
(ボルドーで最初に食べた牡蠣。「これ、ホントに牡蠣ですか?」と聞きたくなる牡蠣であった)

 テレビドラマで見た後なら、コドモでも長大さに負けずに読破が可能だ。今もワタクシは「銀河テレビ小説」の復活を待望しているのだが、ドラマを見た後に原作でキチンと復習したわけだから、今でもストーリーをしっかり記憶している。

 いや、ストーリーというより、しっかり心に刻み込まれたのは、むしろ登場人物1人1人の強烈な個性である。中でも、
① 山形から上京して一代で大病院を築いた病院長「楡基一郎」
② 奇妙なフシをつけて新聞を音読しまくる「ビリケンさん」
ワタクシが大の音読好きになったのも、ビリケンさんの影響がチッとはあるかもしれない。

 ドラマで「楡基一郎」を演じていたのは、宇野重吉。ビリケンさんを演じたのは、私の記憶が確かならば三谷昇ではなかったか。「三谷昇」をググってもその記録が見つからないが、後に別役実や蜷川幸雄の演劇に多数出演した怪優である。もし違ったら、スンマセン。
ステーキ
(ボルドーで最初に食べたステーキ。噛んでも噛んでも飲み込めない激烈なお肉であった)

「どうしてボルドー旅行記に、北杜夫や『楡家の人々』の話が長々と続くの?」という疑問はマコトに当然であって、知らないヒトにはまさに「全然カンケーねーんじゃね?」に違いない。

 しかし逆に知っている人間なら、「ボルドーと聞いただけで『楡家の人々』を思い出す」なのである。小説に登場する「ボルドー」は、実はワインではない。アルコール・ゼロ、ただのサイダーに赤い色をつけただけのシロモノである。

 これが病院長・楡基一郎の大好物。病院が大火事になり、再建への苦心の中で老いていく基一郎は、「もうボルドーだけで生きている」というアリサマだったのだ。かすれた声で弱々しく「ボルドー…」「ボルドー…」と甘えてねだる宇野重吉の名演が光った。

 コドモの時にそういうドラマを3ヶ月も見てしまったら、「ボルドーと聞いただけで楡家を思い出す」のも、ムベなるかなというしかない。旅の初日のボルドー散策時にも、頭にはまだ「楡家」の思い出があった。
ワイン
(さすがにボルドー。ごく安い平凡なワインでも旨かった)

 ガロンヌ河に沿って街を南下し、国鉄の中央駅「ボルドー・サンジャン」まで探険したところで、時計は14時。さすがにお腹が空いた。「メシ」「メシ」と唸りつつ、メボしいレストランを探してさまよったが、「ここだ!!」とピンと来る店がなかなかない。

 空腹に疲労が加わり、そろそろ限界に近づいたところで、駅前からトラムに乗り込んだ。ボルドーのトラム初体験であるが、おお、こりゃ快適だ。ずいぶん遠くまで歩いてきた気がするけれども、トラムに乗ってしまえば、わずか10分の道のり。あっという間にカンコンス広場に戻ってきた。

 何度も言うようだが、ここがボルドーの中心街。「ピンとくるレストラン」なんかナンボでも見つかりそうなものだが、ありゃりゃ、まだ14時半なのに、もう店はみんな片付けを始めている。美食の都にしては、ずいぶん閉店を急ぐじゃないか。

 このあたり、ワタクシと一番フィーリングが合うのは、何と言ってもスペインである。スペインのレストランは、13時頃からランチ営業を始め、そのまま17時ぐらいまでノンビリとランチが続く。ディナーは20時から。20時でもまだ「おや、早いですね」という顔をされるぐらいだ。
満開
(4月3日、ボルドーでも桜が満開だった。ハチ君たちがたくさんたかってブンブンいっていた)

 14時半でランチが終了だなんて、そりゃ旅行者にとっては早すぎる。しかもここは世界最大&最高のワインの都。ワイン1本をポンッと開けたお客なら、せめて16時近くまでゆっくりさせてほしいじゃないか。

「このままではランチにありつけない」と危機を感じ、まだしばらくやっていてくれそうなお店でテキトーに妥協することにした。だって、冷たい雨も降り出した。疲労と空腹に雨まで加わって責めたてられちゃ、ヤワなワタシは溶解し始める。

 オペラ座近くの小路を左に曲がったあたりの店で、注文した品々が今日の写真の1枚目から3枚目。1皿目が、牡蠣8個。2皿目がステーキ。写真だけで十分にワタクシの落胆が伝わると信じる。

 牡蠣のカラにへばりついたピラピラを、フォークでこそぎとって口に運んでもみても、1コの体積で換算すれば、ハマグリというよりアサリに近い。それともこれはシジミかい?

 ステーキのほうは、オランダ・ドイツ・アルゼンチン、世界各地でいただいた絶品ステーキとは比較にもならない。というか、ナイフで切ろうとしても切れないし、「メンドーだ、口の中で何とか処理しよう」と捨て鉢な決意を実行すると、200回咀嚼しても嚥下が不可能。眼を白黒させるばかりであった。
看板
(入ったお店とは別のお店の看板だが、お皿でワインを飲んじゃうような街である)

 ホンの少しでも「ダメでした」と書く時は、決して店の名前を書かないのが、このブログのスタイル。それにしても、旅の1軒目でこういう目に遭うと、「ボルドーは美食の街」という夢も幻想も、熱いトーストの上のバターみたいに、あっという間にどろどろに融けてしまう。

 ただし、ワインは旨かった。断っておくが、1本数万円もするようなワインはキライなので、この旅の間も「数千円のワインまで」と決めていた。そこから上の「シャトーめぐり」みたいな難しい話は、エラーいワイン通の方々にお任せする。

 酒の抜群に旨い街なら、標準的かつリーズナブルな酒だって抜群に旨いはず。肉の旨い国なら、スタンダードな肉が一番旨いはずだ。ヴィンテージにこだわる必要はない。

 というか、スタンダードが旨くない街では、ヴィンテージだって怪しいものだ。「勝負は常にスタンダードで」。諸君、けだし名言じゃないか。

「どの店でも間違いなくおいしいで♡」
「何を注文しても抜群やで♡」
「何でも安くて、何でも旨いで♡」
という自信こそ、真の美食の街だと信じるのである。

1E(Cd) George Duke:COOL
2E(Cd) Bruns & Ishay:FAURÉ/COMPLETE WORKS FOR CELLO AND PIANO
3E(Cd) Carmina Quartet:HAYDN/THE SEVEN LAST WORDS OF OUR SAVIOUR ON THE CROSS
4E(Cd) George Duke:COOL
5E(Cd) Bruns & Ishay:FAURÉ/COMPLETE WORKS FOR CELLO AND PIANO
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