Thu 160414 無為の2週間 春日部の藤とカレー 野田線急行 Königsblau | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 160414 無為の2週間 春日部の藤とカレー 野田線急行 Königsblau

 4月下旬から5月のマコトに長い連休が終わるけれども、ワタクシは日々ホントに大人しく読書やら何やらに励んでいたので、この場でわざわざ公表しなければならないほどの花々しい成果も戦果も失敗談も、何1つ思いつかない。

 要するに、4月16日にフランス・ボルドーの春の旅から帰還して、その後の20日間は「ボーッとしていた」と表現するしかないのである。特に5月に入ってからはそうで、暑かったり寒かったりハッキリしなかった5月の1週間は、「これをやり遂げました」という記憶もないまま無為に過ぎ去った。

 もちろん、4月21日は大阪で文楽を満喫し、翌22日には秋田県の角館に姿を現して、夕暮れのソメイヨシノと武家屋敷の枝垂れ桜に陶然とした。しかし派手に飛び回っていたのは、結局そこまでであった。

 こりゃほとんど「しばらく冬眠」という状況であって、マコトにお恥ずかしい。本来ならクマと言ふものは、今こそ冬眠から覚めて猛然と行動を開始するはずであるが、冬眠を終えた途端に今度は「春眠」であって、しかもその春眠は「暁をおぼえず」という困ったシロモノなのである。
ジャンボハンバーグ1
(春日部「ラホール」のジャンボハンバーグカレー。「ジャンボ」がどのぐらいジャンボか、キュウリと比較してくれたまえ)

 実は、角館から帰った4日後、ちょっとした遠出をしたにはした。しかしそれは埼玉県の春日部どまりであって、その目的も「辛いインドカレーをシコタマ腹に詰め込んだ」というだけの話。まさに恥じ入るばかりである。

「春日部に行ってくるかな?」と思い立った瞬間には、「有名な春日部の藤を見てきたい」という殊勝な動機もあった。春日部から東武野田線で東に1駅、その名も「藤の牛島」という小さな駅で降りれば、見事な藤の花が街を藤色に染めるほど、春風にブラブラ揺れている。

 むかしむかし今井君は春日部駅前に4年も住んでいたことがあるのだが、そのころは日々の生活やら仕事やらに追われて、藤の花が暢気に揺れている様子なんか、とても見に行く気持ちにはなれなかった。

 しかし2016年現在、4月と5月の今井君はシコタマ暇を持て余し、受験生が単語や文法や音読に必死になっているのを横目に、「春眠♡暁をおぼええず」とホザイているアリサマ。ならば有名な藤の花でも揺すぶって、クマンバチに追っかけられるぐらいの冒険はしたほうがよくないか。

 ただし諸君、「クマンバチに追っかけられる」というのは、ホンモノのクマでも甚だ危険な行為であるから、決して触発されないこと。藤の花はクマンバチをはじめとする大きめのハチさんたちの好物らしい。十分に注意してくれたまえ。
インド激辛
(春日部「ラホール」のインドカレー極辛。なかなか凶悪そうな色彩であるね)

 オウチから春日部には、まず小田急で新宿、新宿から「湘南新宿ライン」で大宮、大宮からは東武野田線で春日部へ。普段は北千住経由で行くのだが、たまに別ルートを試すのは、人生にタイクツしないための大事な方法である。

 途中ちょっと寄り道をして、大宮駅東口を散歩してみた。18歳で秋田から上京してきた時、1年だけ大宮で暮らしたことがあって、大宮から御茶の水の駿台予備校に通っていた。当時はまだ駿台の全盛期。「浪人して東大を目指す者は駿台に通うこと」と、ほとんど法律で決まっていたと言っていいぐらいだった。

 だから大宮は懐かしい。「今井君が18歳だったころ」とは、要するに縄文時代であるが、当時は西口よりも東口のほうが圧倒的に栄えていて、西口の方は夜9時を過ぎると歩く人影もマバラであった。

 ところが2016年現在、圧倒的に繁栄しているのは西口である。東口はすっかり昭和の彼方に取り残されて、「戦後のドサクサから続いています」みたいな飲食店がまだたくさん残っている。「高島屋」は、ワタクシの18歳当時から老舗としてここにあったが、今もなお古色蒼然とした姿のままで営業を続けていた。
拡大図
(ジャンボハンバーグ、拡大図)

 その大宮東口のずっと奥に、これもまた古色蒼然とした「東武野田線のりば」という看板を発見する。大宮始発、柏・船橋方面行き。首都圏と北関東のちょうど境目あたりを、縦横に大きく揺れながら走る懐かしい電車である。

 予備校講師になりたての頃、「午前は柏、午後は大宮」とか「午前は大宮、午後から千葉」とか、激烈な移動を連日強いられていた時代があって、専ら東武野田線が頼りの1~2年を過ごした。

 それが諸君、驚くじゃないか。「東武野田線に、なななな、なんと、『急行電車』が誕生していた。大宮を出ると次は岩槻、岩槻の次は春日部。途中の小さな駅は容赦なくビュンビュン飛ばしてしまう。

「野田線」じゃダサいから「アーバンパークライン」と呼びましょう。そういうネーミングの変更があったらしいし、その「ハイカラな」ネーミングがちっとも定着しないのも知っていた。しかし「急行電車」とは、ずいぶん思い切って意表をついてきた。

 ただしこの急行電車、あんまり人気がないようである。野田線は、むしろ「小さな駅のお客様」が主流。ローカルすぎて申し訳ないが、大和田・七里・東岩槻・豊春、そういう駅を無視しちゃうなんて、需要をチャンと見極めた結果じゃなくて、単に「急行が出来ました」という話題づくり優先なんじゃないか。
ジャンボハンバーグ2
(これは前回訪問時の「ジャンボハンバーグ」、インドカレー辛口。トマトと比較して巨大さを体感してくれたまえ)

 さて春日部であるが、もちろん藤の花よりもカレーが優先、カレーがメイン。目指す「ラホール」には、1年に3回か4回しか来ないが、さすがに25歳の頃から通い続けていれば、すっかりお馴染みさんと言っていい。

 注文したのは、ジャンボハンバーグ・インドカレーの「極辛」。いつもは気持ちを抑制して「辛口」にしているけれども、「せっかく爽快に晴れた1日だ。今日は1歩進んで極辛にしよう」と、ワケの分からない結論を導きだした。

 もちろんカレーファンの諸君、さらにその上に「極々辛」「激辛」などという突き抜けた世界もあるから、ぜひ安心して「ラホール」を訪ねてくれたまえ。「ジャンボハンバーグ」という注文の声があった瞬間、店の奥のほうでペッタン&ペッタン、ピシャッ&ペシャッと、巨大なハンバーグを捏ねる音が聞こえ始める。

 待つこと10分弱、その間に瓶ビールを1本カラッポにしてしまったが、見よ諸君、「誰にも文句を言わせない」という大迫力の極辛カレーが、巨大ハンバーグとともに運ばれてきた。

 この旨さでまだ文句を言うヒトは滅多にいないだろう。「具がちっとも入っていません」という不満を読んだことがあるが、諸君、「具」はすべてカレーの中に溶け込んでいる。しかもこの巨大ハンバーグつき。ゴロッとしたニンジンだのジャガイモだの、そういうのは単に邪魔なだけだろう。
ケーニッヒブラウ
(5月5日、長く使ってきたペリカンのインク「Königsblau」が、とうとうカラッポになっちゃった)

 ただしやっぱり「極辛」は、ワタクシには辛すぎたかもしれない。途中でどうしても我慢できなくなって「スミマセン、瓶ビールをもう1本ください」という結果になってしまった。

 当然の報いとして、ジャンボカレー完食&瓶ビール2本で、ポンポンはもう破裂寸前だ。カレーの辛さで噴き出した汗と、破裂寸前の胃袋あたりから流れ出たアブラ汗とで、「とてももう藤の花どころではありません」というテイタラクになった。

 結局、「藤の花はまた来年」ということにして、ほうほうのていでオウチに帰ってきた。帰りもまた「野田線の急行電車」を利用、大宮&新宿経由でオウチまで1時間半。それでもまだ汗は完全には引いていなかった。

「なあんだ、藤の花の写真を期待していたのに」という諸君に、美しい「Königsblau」を紹介して今日の記事を締めくくろう。フランス語なら「bleu de roi」か「bleu royal」。要するに、英語なら「king’s blue」である。5月5日に使い切った万年筆のインクが、このキレイなブルーなのであった。

 手に入れたのは、15年も昔のこと。使っていた万年筆が「ペリカン」の頃である。文房具屋さんで「ペリカンのブルーブラック」と言ったら、この瓶を手渡された。万年筆なんか滅多に使わない時代になって、デスクの引き出しで15年寂しそうにしていたが、ついに一昨日カラッポになった。

 あとは諸君、「Königsblau」で画像をググってみてくれたまえ。その鮮やかで高貴で爽快なブルーを眺めれば、ブンブン飛び回るクマンバチにビクビクしなくても、きっと心は5月の快晴のお空みたいに爽やかに晴れ渡っていくだろう。

1E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
2E(Cd) Gergiev & Kirov:RACHMANINOFF SYMPHONY No.2
3E(Cd) Midori & McDonald:ELGAR & FRANCK VIOLIN SONATAS
4E(Cd) Maggini String Quartet:ELGAR/STRING QUARTET IN E MINOR 他
5E(Cd) Maggini String Quartet:ELGAR/STRING QUARTET IN E MINOR 他
total m71 y680 d18385